Nicotto Town


かきくけこのブログ。


愛知県のとうもろこし、塩ゆで。

愛知県でとれたとうもろこし。今が旬。かなり安くなっている。旬になると安くなる。しかも、塩ゆでで食べたら甘い。美味しい。安くて、美味しくて、栄養もたっぷり。旬とはなんてすばらしいのだろう。子供も喜んで食べていた。旬のうちに絶対食べたいとうもろこし。おいしい野菜があるのは、北海道だけじゃなかった。愛知県のとうもろこしもかなり美味しかった。特に難しい調理しなくてもおいしいというのが嬉しい。


家庭菜園でとうもろこし。

一度、自分の庭でとうもろこしを育てようとしたら育たなかった。日当たりが悪いとこに植えて、土づくりサボった。そうやったら育たなかった。種だけまいて育つもんではなかった。愛知県で植えたら簡単に育つミカンや柿や栗のように、アホな主婦がやってそう簡単に育たないとうもろこし。家庭菜園では無理だと思っていた。でも同じ土質、気候の愛知県という環境でも、農家さんはあんなに甘いとうもろこし作れる。
 自分ができない事をやってのける人を見ると、自分ってバカなんだな。農家さんって凄いな。と思います。農家さんは自然を相手に思い通りに結果をだす人たちで、自然に負けてばっかりの私は農家さんの美味しい野菜に頭の良さに凄い人たちだと思ってばかりです。あと、農業は体力仕事でもあると思うし、知能、体力、忍耐とか、誠実さとか、色々そなえてなきゃできないと思うので本当に凄い職種です。とうもろこしって、塩ゆででも美味しかったんだなという衝撃の愛知県のとうもろこしだった。今年の天候がよかったのかな。

愛知県でよくある自己紹介。

 なぜか、愛知県で暮らしていると、「祖父母実家は農家で」という自己紹介によくであう。ニュアンスとしては、たぶんなんだかしがないですようちは、みたいな雰囲気で話す人たちが多い。謙そんみたいなニュアンスで「実家農家で」という。
 昔の士農工商の価値観がすたれているという事なのだろうか。農家である事が、ちょと恥ずかしいみたいな雰囲気で自己紹介する人によくでくわす。
 でも、士農工商時代でいえば、農家そこまで低い地位じゃなくて、半分に線ひいたら、上のほうで…。武士ほど偉くはないけど、それなりに人に恥ずかしくない人たち。それが農家。という事で偉い人のはずなんですけども、現代ではなんだか、農家な人達は「農家ですんません」みたいなニュアンスを出すのですね。いや、農家、地位高いですよ?と私みたいなエタヒニン階層といって差し支えない無職の主婦は思うんですよね。農家で、というのはマウンティングなのか…?と時々実家が農家の人のアイデンティティの置きどころには不思議なものを感じる。場所柄、お殿様がいっぱいたりした地域といえるし、武士の存在を身近に感じてきた人たちだからか、農家の人は今でも自分たちを謙遜しているのだろうか…。現代は士農工商というより、もっと明快な「年収額」みたいなのが物を言う時代なのかもしれません。勝てば官軍ではないけど、稼いでいれば偉いみたいな。そんな価値観になった令和時代だから、農家実家な人たちの謎の謙遜というものがあるのかもしれません。

令和で存在してないえたひにん
 昔はもっとえたひにんが多かっただろうけど、今は無職ホームレスなんて殆どいない。私の家の神(夫)も、「うちの祖先は農家で」と言ってた。農家にも色々あるけど、農家ならいいじゃないの。と思うんですけど、なぜか一様に愛知の農家様は、不思議なほど謙虚なのだ。農民というのはそれほど、謙虚で常識を備え処世に長けてるものなのか。無職にはどっか「農家ってマウンティングなのか?」とひねくれて見える事もあるけれども、そんな農家なひとたちの謙遜に、いまだにそれはどういう上流階級に生きてるから謙遜になるんだろう?と、愛知県の豊かさというか、お殿様がはぐくんできた日本の城下町の雰囲気を、令和になってもつくづく感じる。




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