Nicotto Town



6/25 キラキラと4択

仮想タウンでキラキラを集めました。

2024/06/25
キラキラ
集めた場所 個数
展望広場 10
ニコット山 3

4択  「お茶


キラキラ  「展望広場」桶置き場

     「ニコット山」左側の道奥 街灯 

4択  コンビニでよく買う飲み物は? → お茶



「そんなものいくらでも普通に飲んでるじゃん。売り出してどうするのwwwww」とお茶のペットボトルを出したサントリーがせせら笑われた時代から遠くへきたものだ。

緑茶・烏龍茶などの簡易飲料は当然ながら缶から販売された。
多分その時も「お茶は家で飲むもの」という意識があって、わざわざ外出先で買わないよwwwお茶が飲みたかったら家から水筒にいれて持参するだろwwwと言われただろうなぁ。

1985年に伊藤園が本格的な商業ベースで初の缶入り緑茶を販売する。
お茶はしばらくすると酸化して変色する。
なので容器に空気を入れることはNG。
かといって容器パンパンにお茶を満たすことは開けた時にブッシューーーとなるのでNG。
伊藤園は窒素を入れることでこの問題を解決する。

1989年にはほうじ茶、玄米茶を加えて「お〜いお茶」ブランドでの販売を開始。
1900年にペットボトルで販売を行う。

その頃サントリーもペットボトルでお茶を販売していて笑われたのだ。

ソフトドリンクとして売るなら、紅茶までが最低ラインだろ、という意識であった。
伊藤園は「お茶会社」だから別腹!

その頃、急須でお茶を入れるのが面倒というので茶葉の売上がどんどん落ちていたのだ。
従って、お茶会社としては生き残りを賭けて商品化するのは当然だろう、ソフトドリンク会社が手を出すものではない、という意識。

が。しかし!!!
2000年3月にキリンビバレッジが「生茶」を市場に投入!!!
おまっ!!!
笑ってたくせに実は密かに開発しとったんかい!!という恐ろしい企業競争!!!
そして2000年には伊藤園が加熱して売れるペットボトル(北海製罐の開発)を業界初販売する。
「第一次緑茶戦争」と言われたらしい。

1997年からサントリーは「のほほん茶」を販売している。
好きだったなーー。
ネーミングが!!
実はうちわを持っている!
関係者は応募できないが、私はもう勤務していて父とは同居もしていないし関係ないわーーーとプレゼントに応募したのだった。
無事入手で今も大事にしている。

私は好きだったが売れ行きとしてはイマイチだったらしく2004年にサントリーは「伊右衛門」に商品チェンジ。
ヒットになり「第二次緑茶戦争」と言われた。

市場規模だが1990年の生産量は5.5万kl。
2007年には246.7万klまで急増している。
45倍成長だ!!
1990年時点での茶系飲料の内訳はウーロン茶と紅茶で大半を占めていたが、2007年にはウーロン茶飲料16.9%、紅茶飲料17.1%に対し、緑茶飲料43.3%、ブレンド茶飲料15.7%、その他の茶系飲料(麦茶など)7.0%となっている。
緑茶強し!!!
だってずっと飲んできたのだ。
日本食にあうに決まっているのだ!

昔、大工さんや植木屋さん、塗装屋さんの工人さんが仕事をする時はでっかーーーーいいお茶のタンク?みたいなのを持ってきて、それぞれがそこからカップにお茶を入れて飲んでいた。
今ではペットボトルや缶コーヒーだ。
それだけお手軽になったのだなぁ。

実は1人暮らししていた時、急須はもっていなかった。
今、実家暮らしで急須はあるのだが、部屋にペットボトルでん!でお茶を飲んでいる。
人間、楽に流れるのは早いのだ・・・・・・・
それを見越しての商品開発なのだ・・・・・
笑っている場合ではなかったのだよ・・・・

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2024/06/25 13:16
楽に流れるに決まってるさ~。




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