Nicotto Town



6/24 キラキラと4択

仮想タウンでキラキラを集めました。

2024/06/24
キラキラ
集めた場所 個数
教会広場 4
ショップ広場 3

4択  「入学式


キラキラ  「教会広場」教会前の道 左端

     「ショップ広場」プレミアムショップ 看板 

4択  お花見以外で春のイベントといえば? → 入学式



今どきの入学式は子どもの両親、祖父母とそろって見に来るのだろうか?
特に小学校!

昔は生徒が多くて体育館にそんな見学者の場所はなさそうだが、今の子供が少なくなっている状態だったら大丈夫?
昔、従弟の運動会(小学生)を見に行ったが(たまたま東京に遊びに行っている時にあったので)もうめっちゃ早い時間から両親が撮影場所の取り合いで大変だった!!
いい場所がとれた親御さんは知り合いの親御さんから「うちの子も撮ってコピーしてください」といいながら、別の場所で撮影に勤しんでいて、うわーーすげーーー時代が違うぜーーー!!と思ったものだった。

しかし、戦前は「運動会」は町内会総出で見に行く地域もあったそうだし、そこで酒盛りもしていたしで、「子供を出汁に飲むぜ!」な宴会であったようであった。
さすがに入学式は全然関係ない人が見に行ったりするお祭りではなかった・・・よね?

入学式っていつ始まったのだろう??

慶應義塾の校内記事?で「入学式の今昔」というものがあった。

それによると義塾の草創期にはいつ入学(入塾)すると決まったものはなく、用意のできた生徒がその時期時期で入り入学式というものも行われていなかったらしい。
当時はまだ大学がなく、高校も入試が行われていたのかどうか・・・。
明治期に高校・・しかも私学の・・なんていける人って限られているな。

文献で初めて「入学式」というものが確認できる最初は1890(明治23年)1月27日に、文学・理財・法律の3科による大学部が発足(慶應義塾と早稲田が私立初の総合大学として発足)した際に
行われた「始業式」であるそうだ。

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今の3学期の始業式にはおっそいし、4月の入学式には早すぎるのだが。

しかし、初めて59名の新入生が一同に介して社頭の福澤諭吉
が「今日の始業式に遭うは、老生の深く喜ぶ所なり 」と挨拶 したらしい。
しかしその後ずっと行われていたかは定かではなく、1910年(明治43年)の4月23日の開校記念日に入学式を挙行したとの記載があり、その後はほぼ毎年入学式の記載が見られるらしい。

では卒業式は?というと・・・・・すっごい驚いたんだけど!!!各学校の修了ごとに祝う式典は日本と韓国でのみ見られる習慣なんだって。
欧米の大学で黒いローブと黒い四角い帽子に身を包み、証書を貰い最後に帽子を放り投げるあの儀式は「学位授与の式典」らしい。
西欧諸国など学校の課程終了が公的試験(バカロレアやアビトゥーアの取得)によって認定される国では、卒業という概念はないから儀式もないのだそうだ。

卒業式は1872年(明治5年)の学制の施行に伴い、各等級(学年)ごとに試験修了者に対して卒業証書を授与したことに起源をもち、明治10年代ごろ(1870年代半ばから1880年代にかけて)に現在のような独立した儀式として定着したらしい。

当時は現在のように年齢によって1年生、2年生、となるのではなく就学を希望する子供達には年齢に関係なくまず「下等小学第八級」に入り、試験に合格してその級を「卒業」、七級に進級するというシステムで、進級テストは半年単位で行われたらしい。
今の日本にはない飛び級が行われていたんだな。

それがどうして4月2日~翌4月1日の生まれの者が1学年を構成するシステムのかわったのだろう?
調べてみると1895年には文部省から「1等級の標準修学期間が半年から一年へと変更」された。
その時にはまだ進級テストがあったようだが、就学率の増加に伴い廃止され、年1回の入学式、卒業式となっていったようだ。

それから130年の時が流れ、幾度となく欧米にあわせた9月入学の話がでては消えていく。
桜の舞い散る木の下で希望に満ちた笑顔を見せる子供の姿があまりに「新しい門出」に相応しいイメージに育ったからではないだろうか。

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2024/06/24 08:21
飛び級…ちょっとしてみたかったかも。




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