母親大会記念日
- カテゴリ:勉強
- 2024/06/07 00:40:24
こんばんは!7日(金)は九州から東北南部では雲が広がりやすく、
所によりにわか雨や雷雨があるでしょう。
東北南部から北海道は概ね晴れる見込みです。
南西諸島では雷雨となる所もありそうです。
【おすすめの雨の日の過ごし方は?】
A、大雨や強風でなければ川沿いを歩き、周辺に咲く植物を観察することです。
【母親大会記念日】 Mother’s Day
☆1954年アメリカの水爆実験実施をきっかけに、
世界母親大会が開かれることになりました。
これに先立ち第1回日本母親大会が開催されたのを記念し、
6月7日が「母親大会記念日」になりました。
6月7日は「母親記念日です。
1955年(昭和30年)のこの日、
第1回母親大会が東京で開催され、2000人が参加しました。
[ビキニ環礁/ビキニ水爆実験]
南太平洋のマーシャル群島にある環礁の一つで、
アメリカが1954年3月に水爆実験を実施しました。
その近くを通った日本の漁船である第五福竜丸が被爆しました。
ビキニ環礁とエニウェトク環礁を含むマーシャル諸島で、
1946年の原爆実験から始まりました。
1958年まで水爆実験を含め、67回の核実験を行っています。
その時の汚染物質による環境汚染も危惧されています。
〔アメリカの水爆実験〕
ビキニ環礁とは南太平洋のミクロネシアのマーシャル諸島に点在する、
環礁(珊瑚礁)の一つです。
第二次世界大戦後、アメリカの信託統治領となっていました。
1946年からこの地はアメリカの核実験の実験場として使用されました。
≪アメリカの核実験≫
アメリカは第二次世界大戦中のマンハッタン計画により、
原爆を実用化して広島と長崎に使用しました。
戦後も1951年にネバダ核実験場を開設し、
核兵器開発を本格化します。
1954年にはビキニ環礁で水爆実験を行いました。
キューバ危機後の63年に部分的核実験停止条約を締結したが、
全面的な核実験の停止には至っていません。
第二次世界大戦に参戦したアメリカは、
1942年にF・ルーズベルト大統領が、
原子爆弾開発計画であるマンハッタン計画に着手し、
世界に先駆けて実用化しました。
そして・・・
1945年8月にトルーマン大統領の決断により、
広島と長崎に投下しました。
『米ソ核開発競争』
第二次世界大戦後の冷戦の中で、
アメリカの優位が揺らぐこととなりました。
アメリカはより大規模な核兵器の開発研究を急ぎ、
1951年にネバダ核実験場を開設し、
原子力爆弾の爆発実験を繰り返すこととなりました。
こうして米ソの核兵器開発競争は急激にエスカレートしていきました。
アメリカは1952年に水素爆弾の実験を成功させたが、
水爆実験は1954年から南太平洋のマーシャル諸島のビキニ環礁等で、
実験場として行われるようになります。
ビキニ環礁の水爆実験は、
現地の漁民と日本のマグロ漁船第5福竜丸乗組員が被爆し、
大きな衝撃を世界に与えました。
1955年にラッセル・アインシュタイン宣言が発表され、
核兵器廃絶運動が世界的に広がることとなりました。
■ラッセル=アインシュタイン宣言
1955年哲学者のラッセルさんと、
物理学者のアインシュタインさんの2名が発表した、
核戦争絶滅の訴えです。
多くの科学者が賛同し、世界的な核廃絶運動の契機となりました。
1955年4月11日に哲学者のラッセルさんと、
物理学者のアインシュタインさんの2人は、
核戦争絶滅を訴える呼びかけを行いました。
アインシュタインさんは4月18日に死去し、その遺書となりました。
1955年7月9日に・・・
・マックス・ボルンさん
・ジュリオ・キュリーさん
・湯川秀樹さん
これら等、ノーベル賞受賞者9名も連名で署名し、発表されました。
これが・・・
「ラッセル・アインシュタイン宣言」
このようにいわれています。
◇核戦争廃絶の訴え
1954年3月のアメリカによるビキニ環礁での水素爆弾は、
大量破壊兵器の発達が人類という、
生物の種を絶滅させる危機であると捉え、
しかも核兵器の使用による一瞬間の死は少数でありましても、
大多数はジリジリと病気と肉体崩壊に苦しみながら、
絶滅するであろうと警告しました。
「私たちの前途には、もし私達が選べば、
幸福や知識、智恵の絶え間ない進歩が広がっています。
私達はその代わりに、自分達の争いを忘れ垂れないからといって、
死を選ぶのでしょうか?
私達は人類の一員として、同じ人類に対して訴えます。
あなたが人間であること、それだけ心に留めて、
他のことは忘れてください。
それが出来れば、新たな楽園へと向かう道が開かれます。
もしそれが出来なければ、
あなた方の前途にあるのは、全世界的な死の危険です」
核兵器開発競争が激化する中、
1954年3月1日からは新たに水素爆弾が開始されました。
<概要>
〇母親大会
毎年6月7日にあります。
母親大会の日は、
1955年の6月7日に平塚らいてうさんの呼びかけで、
開催された母親大会に因みまして、制定された記念日です。
〇母親大会の日
「生命を生み出す母親は、生命を育て、生命を守ることをのぞみます」という、
スローガンの下、年1回講演会等が開催されています。
@現在
47都道府県の実行委員会と50の中央団体が参加しています。
@意味
・暮らしと子供
・平和
・女性の地位の向上
これら3つを柱として、母親の立場から話し合い、
連携を深めることを目的とした大会の日です。
これまで世界各地で起きた戦争や紛争に対する反対運動や、
保育所設立や高校増設や小児麻痺生ワクチンの普及等の子供問題、
老人問題、物価問題等を課題に話し合ったり、
阪神淡路大震災等の災害時に募金活動を行ったりと、
その時代に応じた活動の必要性等を呼びかけたりしています。
問題 1954年にアメリカがビキニ環礁で行った水爆実験に対し、
平塚らいてうさんと4人の女性が全世界に向けて、
原水爆禁止の為に訴えた平塚らいてうさんですが、
「元始、女性は〇〇だった」と明言がありますが、
〇〇に入る言葉を教えてください。
1、太陽
2、自由
3、象徴
ヒント・・・〇青鞜(せいとう) 1911年9月~1916年2月(52冊)
文学誌でありましたが、女性解放の為の本誌となっていきました。
元始、女性は実に〇〇だった。真正の人であつた。
今、女性は月である。
他に依つて生き、他の光によつて輝く、
病人のやうな蒼白い顔の月である。
@〇〇と月の対照
〇〇によって照らされて、受動的に光を放つ存在。
お分かりの方は数字もしくは〇〇に入る言葉をよろしくお願いします。