沖縄本土復帰記念日
- カテゴリ:勉強
- 2024/05/15 00:46:41
こんばんは!15日(水)は、西日本から東日本では午前中は概ね晴れますが、
午後は雲が広がりやすく、夕方以降は太平洋側で所によりにわか雨があるでしょう。
又、伊豆諸島では午後を中心に雨が降り、雷雨となる所もある見込みです。
北日本は概ね晴れるでしょう。
南西諸島は朝までは雨の降る所が多く、雷を伴って激しく降る所もある見込みです。
【沖縄本土復帰記念日】 おきなわほんどふっききねんび
the Reversion of Okinawa to
Japan anniversary
☆単に過去を振り返るだけではなく、復帰後の沖縄の変化にも注目する日です。
<概要>
〇日本国民としての一体感が深く関連
沖縄県が長い間アメリカの統治下にある後、
日本に復帰した歴史的な瞬間を記念する日です。
私達の暦に刻まれたこの日には沖縄という土地のアイデンティティと、
日本国民としての一体感が深く関連しています。
〇沖縄本土復帰記念日の歴史的背景
@沖縄返還協定の成立
1971年(昭和46年)6月17日、
世界が注目する中、東京とワシントンで結ばれた「沖縄返還協定」です。
この協定により、戦後27年間アメリカの統治を受けていた沖縄は、
1972年(昭和47年)5月15日に日本へと復帰しました。
@当時のアメリカは、東アジア半共包囲網の重要拠点を求めていた
沖縄は戦後の4半世紀もの間、アメリカの占領化にありました。
冷戦中のアメリカは、東アジア反共包囲網の重要拠点を求めていました。
地理的条件を満たしていた沖縄は各地が基地化され、
住民は抑圧を免れなかったのです。
★アメリカの反共包囲網
東西の集団安全保障機構が地球規模で構築される(1947年~55年)
国連創設時に掲げられた地球規模の集団安全保障の理想は、
米ソ両極を中心とした軍事同盟同士が対立する旧来型の
軍事バランスへと逆戻りしました。
ソ連の膨張主義に対する自由主義の守護者を自任するアメリカは・・・
・トルーマン・ドクトリン
・マーシャル・プラン
これらで経済的な反共包囲網を形成しました。
1949年北大西洋条約機構(NATO)を形成し、
軍事的にも東側に対する包囲体制が構築されました。
NATOの前身となりましたのは、西ヨーロッパ連合条約です。
この条約は47年末にルーマニアが人民共和国を宣言します。
翌48年2月にチェコスロバキアで共産党独裁政権が誕生したことを受け、
危機感を募らせたイギリス、フランス、ベルギー、オランダ、
ルクセンブルクの西側五カ国が、
同年3月に調印して成立した集団安全保障機構です。
同年中にベルリン封鎖が起きる等の冷戦が激化すると、
前途の五カ国にアメリカやカナダ、イタリア等の
七カ国を加えた12カ国が北大西洋条約を締結します。
加盟国の一国に加えられた武力攻撃を、
全加盟国への攻撃とみなす共同防衛体制を作り上げたのです。
52年にはトルコとギリシアが、
そして、55年5月には西ドイツが主権回復と同時にNATOに加盟しました。
西ドイツのNATO加盟に対抗する形で、
ソ連は9日後の5月14日に東欧七カ国と、
総合防衛援助条約を締結します。
*東欧七カ国・・・ポーランド、東ドイツ、チェコスロバキア、ハンガリー、
ルーマニア、ブルガリア、アルバニア
そして、ワルシャワ条約機構を結成しまして、
NATOとの対決姿勢を鮮明にしました。
こうして・・・
世界はアメリカとソ連を盟主とした二極に分けられ、
冷戦構造が固定化していきました。
NATOのような集団安全保障機構の構築は、
ヨーロッパ以外の地域でも進められました。
そのきっかけとなりましたのは朝鮮半島です。
このソ連の世界戦略と断じたアメリカは、
51年8月の米比相互防衛条約調印を皮切りに、
9月にはオーストラリア、ニュージーランドとの
太平洋安全保障条約(ANZUS)を結びます。
さらに・・・
日本とは日米安全保障条約を結びました。
その後・・・
・米韓相互防衛条約
・米華相互防衛条約
・当七時亜条約機構(SEATO)
・中東条約機構(METO)
これらを結成しまして反共包囲網を地球規模に拡大しました。
こちらはいずれも共産主義の脅威への共同対処という論理で、
アメリカが自陣営の防衛強化を図ったものでありますが、
この論理に与さない国も多く、
インドのネルーさんやエジプトのナセルさんらは、
第三世界として存在感を発揮しました。
東側諸国では、1950年中ソ友好同盟相互援助条約を結びまして、
第一条で「日本及び日本に同盟する国の侵略を共同で阻止する」と
掲げられていました。
そして・・・
中ソ対立激化に伴いまして、1980年に失効しました。
1955年に上記西ドイツがNATOに加盟したこと等をきっかけに、
ソ連、ポーランド、東ドイツ、チェコスロバキア、ハンガリー、
ルーマニア、ブルガリア、アルバニアの八カ国で発足します。
東欧の社会主義政権が連鎖崩壊した東欧革命を受けまして、
1991年に解体しました。
☆沖縄で本土復帰運動が高まる
太平洋戦争中の日本で唯一戦場となりました沖縄は、
1952年のサンフランシスコ平和条約発効後も、
無期限にアメリカの施政権下に置かれていました。
アメリカ占領下における沖縄は、
「太平洋の要石(キーストーン)と呼ばれていました。
これは四方を海に囲まれ、
中国大陸と太平洋の間を走る防波堤の役名を果たす沖縄の特性から、
アメリカの東アジア戦略上、極めて重要な拠点と考えられている為です。
★本土復帰要求運動が活発に
戦後の沖縄では基地拡張の為の強制立ち退きが行われる等、
琉球列島アメリカ民政府の軍事優先政策によりまして、
沖縄住民の人権は著しく抑圧されていました。
民政府が借地料の支払いではなく、
実質的な土地買い作である「一括払い方式」の方針を発表しまして、
アメリカ政府がそれを追認しました。
この為、沖縄本島では1956年に「島ぐるみ土地闘争」が、
全島的な反対運動が起きました。
多発する米兵犯罪や基地公害への抗議運動が各地で起こりまして、
1960年沖縄県祖国運動協議会が結成されました。
問題 やがてベトナム戦争の悪化で、沖縄返還が遠のきます。
実はアメリカ政府は1962年に沖縄返還方針を打ち出していました。
しかし、沖縄米軍基地の戦略的な重要性が高まりました為、
早期の返還は棚上げされます。
1965年佐藤栄作当時首相が訪米で沖縄返還を打診します。
同年8月に沖縄を訪問して、指針を述べます。
下記に含まれる文言の???に入る言葉を教えてください。
「沖縄の???が実現しない限り、
我が国にとって戦後は終わっていない」
1、独立
2、祖国復帰
3、自由
ヒント・・・〇スメタナ さん わが〇〇「モルダウ」
懐かしき河よ モルダウの 清き流れは わが心♪
お分かりの方は数字もしくは???に入る言葉をよろしくお願いします。
ノエママン、体調が良くない中、お答えとコメントをありがとうございます。
問題ですが正解ですね。
流石ですね、どうもおめでとうございます(祝)
ノエママン、私の心配をありがとうございます。
現在やや風が強く、肌寒いですね。
ノエママンは39℃出たようで、まだ完治をしていないようですね。
ですので、まずは解熱をする等いかがでしょうか?
勿論合併症や何かの病いやお怪我があるのであれば、
解熱をして良いのかは医師へお聞きしないとですね。
どうか体調が完治、又はそれに準じるようにを心より願っています。
安静にして夜寒く感じるようなら、しっかりと防寒をしておやすみください。
木曜、お疲れ様~☆彡(_´Д`)ノ~~オツカレー♪
2、祖国復帰☆彡(^_^)v
時節柄ご自愛くだしゃんせ~☆彡(*´з`)-♥
無理せず無茶せず、心と体を労わりつつ、ステキな花金を~☆彡(⋈◍>◡<◍)。✧♥