Nicotto Town



4/30 キラキラと4択

仮想タウンでキラキラを集めました。

2024/04/30
キラキラ
集めた場所 個数
コーデ広場 3
展望広場 3

4択  「桃


キラキラ  「コーデ広場」建物 左

     「展望広場」のれん  

4択  好きな果物は? → 桃



どれも美味しい!!
日本の農家さんありがとう!!

品種改良はいつから行われてきたのか?という問には答えられる人はいない。
大きく育った植物の種、寒い気候でも実をつけた種、いつもとは違った育ち方をした(突然変異)種など取っておいて必要な状況に応じて増やしていったと思われる。
遺伝子が調べられるようになってから小麦等を調べてみたら、数種の原種の間に生じた雑種であったらしい。
なのでかけあわせることもしていたのだろう。

当然、日本でも行われていた。

とにかく日本の場合は米!!!
まず米!
何をおいても米!!

年貢を米で納めるぐらいだし、大名のが治める土地の素晴らしさは「石」で表現していたぐらいだ。
「石」は精米されていない米で1石は180リットルで140~150kgになる。
大体風呂場の浴槽に入れる水の量ぐらいのイメージだそうだ。
1石は1年間で1人が食べる米の量と言われていたそうだ。

有名なのは加賀百万石だ。
なので加賀では100万人を養えるぞ!ということだ。
現在の加賀(石川県)の人口は114万人。
惜しい!!
14万人分足りない!!
でも江戸時代では一番多い石高だったそうだ。

日本で米の品種らしきものがでてくるのは奈良時代。
山形県上高田遺跡出土の木簡に「畦越(あぜこし)」という品種名が記されていたらしい。
他にも「白和世(しろわせ)」「足張(すくはり)」「長非子(ながひこ)」「古僧子(こぼうし)」「須流女(するめ)」「白須流女」「荒木(あらき)」など24品種の木簡が出土しているらしい。
既に早生・中生・晩生という熟期区分もあったそうだ。

江戸時代初期に記された農書『清良記』(愛媛県)には、早・中・晩の粳稲、糯稲、陸稲、秈(インディカ米)を合わせて96品種が列記されていたらしい。
それが中期にもなると陸奥国盛岡藩で137品種、加賀国で208品種、尾張国が407品種、筑前福岡領で102品種、小藩の信濃・高遠藩でも72品種など凄まじい数の品種が作られていたことが藩書などでわかるという。
やはり平和な時代というのは大事なものだ。
農家は皆で米の品種について話し合い、研究していたという。
江戸時代の末期には北海道でも育てられる品種が作られている。

桃もそういった品種改良がされてきたんだろうな~~と思って農林水産省のHPを見てみたら、桃は古くは観賞用で食用として普及仕出したのは明治に入ってからだそうだ。
・・・・え?
食べなかったの?
あんなに香りいいのに??

桃の種は固くて残りやすいので各地の遺跡から出土している。
最古のものは縄文前期(約6,000年前)の遺跡から出ているらしい。
その多くが井戸の底に沈んでいたらしく、何をしていたのかわからないらしい。
ただ、イザナミに追いかけられたイザナギが3つの桃を投げて逃げる時間を稼ぐ話があることから厄除けの意味があったのかも?

平安時代、桃の種が薬として使われていた記述があるらしい。
実は?!
実はーーーー?!
江戸時代は桃の品種改良が熱心に行われていたらしい。
桃花の観賞用としてだが。
・・・実は?!
なんで食べなかったのーーー!!

明治になって外来種と掛け合わせて甘い桃を作り食用として多く品種改良されたらしい。
現在日本で栽培・販売されている桃は100種類ぐらい。
そしてその中での一番人気は福島県の「あかつき」という種類だそうだ。
白桃と白凰をかけ合わせた美味しさで福島市の「信夫三山暁(しのぶさんざんあかつき)まいり」という神事から名前をとったらしい。
福島が作ったんだーーー!というアピールがひしひしと伝わってくる!

そこまで美味しい品種ができても「もっと美味しいのできないか?!」と多くの農家さんが研究しているんだろうなぁ。
それは桃だけじゃなくて全ての植物・動物を農家さんが頑張っているんだろう。

ありがとう!!
めちゃ美味しく食べるよ!!
そう考えると仏教由来の「いただきます」「ごちそうさま」がある国だけあるかも?
この「いただきます」「ごちそうさま」がここ100年ぐらいの風習だと聞くとびっくりだけどね!

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2024/04/30 08:21
ももとブドウに囲まれて生きてるよ。




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