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ふみの日

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おみくじ

こんにちは!前線の影響で九州から関東は曇りや雨。

四国は大雨の所も。
東北と北海道の太平洋側は曇りで、日本海側は晴れる。
沖縄は雨。

【ふみの日】 Letter Writing Day

☆日本の郵政省が1979年に制定した毎月23日の記念日です。

 主旨は「手紙の楽しさ、手紙を受け取る嬉しさを通じて、
     文字文化を継承する一助となるように」

 このようなもので、郵便物の利用促進を目的としています。

<概要>

代表作「城ヶ島(じょうがしま)の雨」で有名な、
北原白秋(きたはらはくしゅう)さん。

〇短歌

「君かへす朝の舗石さくさくと雪よ林檎(りんご)のごとくふれ」

@北原白秋さんのロマンチックな歌

 作者は隣家の人妻俊子さんに「文」を送ったりしたのだろうか!?

《北原白秋》さん

明治時代から昭和時代にかけて童謡を中心に数多くの詩作品を残し、
日本を代表する詩人です。

出身地  :熊本県玉名郡関外目村(たまなぐんほかめむら)

      *玉名郡関外目村・・・現:熊本県玉名郡南関町(なんかんまち)

生年月日 :1885年1月25日

死亡年月日:1942年11月2日(享年57歳)

〔少年時代から文学に熱中・・・中学は落第・中退〕

 1885年、本名北原隆吉(りゅうきち)さんは生まれました。

 生後間もなく福岡県山門郡沖端村(やまとぐんおきはたむら)に移ると、
 酒造を営む両親の長男として育てられます。

 *山門郡沖端村・・・現:福岡年柳川市

 少年時代からの才能の片鱗は見せ始めていたものの、
 勉学は疎(おろそ)かでしたので、
 両親には結構な問題児だったといわれています。

 1897年、北原白秋さんは福岡県立伝習館(でんしゅうかん)中学へ
 進みます。

 この頃から文学に熱中し始め、学校の授業はそっちのけです。

 結果・・・

 1899年、成績不振により落第します。

 しかし・・・

 文学への傾倒は収まらず、同人誌への掲載等を続けます。

 1904年、記者の河井醉名(かわいすいめい)さんの目に留まり、
 兼ねてから憧れていた雑誌「文庫」さんに詩が掲載されます。

 感激した北原白秋さんは、
 何と無断で中学を中退し、サッサと上京してしまいます。

 そして・・・

 早稲田大学英文科予科へ入学しまして、本格的に詩人を目指し始めます。

 1901年、実家の酒造が全焼しました。

〔著名な作家達と交流を深めながら文壇での地位を高めていく〕

 上京して数年経ちました1906年頃のお話です。

 北原白秋さんは、
 与謝野鉄幹(よさのてっかん)さんの主催する詩歌結社・新詩社に参加します。

 文学誌「明星」さんにて作品を発表するようになります。

 ≪状況のきっかけ≫

  ・文庫 さん

  ・明星 さん

  北原白秋さんが少年時代から愛読していた雑誌です。

 与謝野鉄幹さんをはじめ・・・

 ・与謝野晶子(よさのあきこ)さん

 ・石川啄木(いしかわたくぼく)さん

 ・木下杢太郎(きのしたもくたろう)さん

 こちらの著名な作家達とも交流するようになりまして、
 文壇とでの地位を着々と築いていきます。

 ≪仲良し≫

  与謝野鉄幹さん        :一緒に九州旅行をする程の仲

 ・与謝野鉄幹さん、木下杢太郎さん:北原白秋さんの実家に宿泊

 新詩社さんを去りました後も与謝野鉄幹さんとの交流は続きまして、
 与謝野鉄幹さんや与謝野晶子さんが創刊しました文学誌にも参加しています。

 *文学誌・・・スバル さん

 又、木下杢太郎さんとは雑誌「屋上庭園」さんを一緒に創刊しています。

 1910年、25歳頃までの北原白秋さんは、
 業界での人間関係も詩人としてのキャリアも順風満帆です。

 ≪スキャンダル≫

  詩誌「屋上庭園」さんは、
  第二号に掲載されました白秋さんの「おかる勘平(かんぺい)」という詩が、
  発行禁止処分を受けます。

  その理由は・・・

  「内容が官能的過ぎる」というものです。

  この後・・・

  北原白秋さんは生涯における一大スキャンダルを起こしてしまいます。

 1912年、北原白秋さんは一人目の妻となります俊子さんという女性と
 恋に堕ちます。

 しかし・・・

 彼女は人妻でした。

 ≪重罪≫

  当時の不倫は今よりずッと重罪で、
  俊子さんの夫に訴えられました北原白秋さんは投獄されてしまいます。

 結局は弟達の尽力のお陰で和解に持ち込まれました為、
 北原白秋さんは釈放されますが、詩人としてのキャリアは堕ちました。

 北原白秋さんのこうした女性問題は、
 同じく女性にだらしなかった石川啄木さんの影響だといわれています。

 この後も・・・

 ・不倫相手の俊子さんと結婚をしますが1年で離婚

 ・東京に呼び寄せていた父と弟が事業で失敗をしまして実家に帰る

〔雑誌「赤い鳥」さんをきっかけに、同様作家として返り咲く〕

 不倫事件から数年後・・・

 ・二人目の妻の章子さんとの再婚

 ・弟の鉄雄さんと出版社アルス さんを創立

 目新しい出来事はありますが、
 以前として北原白秋さんの執筆業は軌道に乗らない状態で、
 生活は困窮していました。

 そんなピンチを救いましたのが・・・

 児童雑誌「赤い鳥」さんの創始者の鈴木三重吉(すずきみえきち)さんです。

 1918年、彼の勧めで北原白秋さんは、
 「赤い鳥」さんの童謡を担当するようになりまして、
 ここから一気に文壇での名声が息を吹き返していきます。

 同時期には・・・

 ・待ちぼうけ          ・雨降り

 ・砂山             ・ゆりかごのうた

 これら等の童謡も残しました。

 この時期に童謡作家としてのキャリアをスタートさせたのをきっかけに、
 北原白秋さんは起死回生の復活を遂げたのです。

 ・新築祝いを派手にやりすぎて、
  弟達からの反感を買いまして、責められた妻の章子さんが出ていく

 ・出版社アルス さんと興文社 さんとの競合問題から、
  作家の菊池寛(きくちかん)さんと裁判沙汰になる

 ・出版内容の行き違いで鈴木三重吉さんと絶交する

 三人目の妻であります菊子さんとは無事添い遂げまして、
 新聞社からの招待等で国内から満州や朝鮮と、
 様々な場所へ旅行にも行きました。

短歌「君かへす朝の舗石さくさくと雪よ林檎(りんご)のごとくふれ」

上記の意味ですが・・・

「君へ帰そうと見送っていると、朝の敷石の上に雪が落ちてくる。
 雪よ、林檎の香りのように降っておくれ」

問題 北原白秋さんの人生とこちらの歌は似ているところはどうでしょうか?

   それは・・・

   短歌の「雪」の視覚や「さくさく」の表現が、
   五感に訴えるものが多彩に散りばめられている為、
   読者は歌の中の「君」と相まみえるのでは?と。

   北原白秋さんの人生とこちらの短歌はに対してですが、
   こちらの文章の〇に入ります漢字を教えてください。

   無味無臭の雪に「林檎の香りのごとく現代史の中で、
           自由に豪〇な比喩を使いこなしたように感じます」

1、奢「豪奢(ごうしゃ)」

2、放「豪放(ごうほう)」

3、快「豪快(ごうかい)」

ヒント・・・〇豪〇

       豪〇な暮らし等のように使用する言葉です。

      @意味

       「豪」=並はずれる、「〇」「贅沢」をする

       並外れて贅沢という意味があります。

お分かりの方は数字もしくは〇に入ります漢字をよろしくお願いします。
  








 


 

 












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