Nicotto Town



4/18 キラキラと4択

仮想タウンでキラキラを集めました。

2024/04/18
キラキラ
集めた場所 個数
自然広場 4
ビーチ広場1 4

4択  「ふりかけ


キラキラ  「自然広場」旧ホームセンター

     「ビーチ広場」海の家 入口  

4択  ご飯のお供といえば? → ふりかけ



しまったぁあぁぁああ!!!

4月17日のクイーンの日にはがんがん書いてやるぞ!!と数日前から手ぐすね引いていたのに、当日すっぽん!と忘れていた!!

罰としてフレディではない人からクイーンを見よう。

1975年に初来日し、イギリスの自宅に帰ったら「お・・・おまえ!日本にいくなんて!いくなんて!!やばい国じゃないか!!なんかされなかったか?!怪我しなかったか?!」と心配された人がいる。
ギタリストのブライアン・メイだ。
父上が「あの日本に行くなんて!!!」とわたわたしたのだった。

1945年の終戦から30年たっていたが、当時27歳のブライアン・メイの父上からしたら結婚する?とかいう頃に敵国だった日本。
イギリスのロンドンはドイツ空軍の空襲を受けている。
そして日本人を全滅させようとしていたアメリカのフランクリン・ルーズベルト大統領は戦争に参加する前から「日本人は野蛮で無法で下品」という話を広めていたのだった。
さすが日本兵の骨で作られたペーパーナイフを贈られて大喜びしただけあるぜ!!
当時のローマ法王に怒られて、泣く泣くペーパーナイフは贈ってくれた人に戻した。

ブライアン・メイは「当時、日本という国があるのは知っていたが、日本のものというのは何1つ知らなかったし、日本人に会ったことがあるのかすらわからなかった」と言っていた。

当時の日本は海外へ行くのに政府の許可が必要だったし、大金持ちか限られたビジネスマン、外務省の人ぐらいしか行かなかったので町中で見なかっただろうなぁ。
例え町中にいたとしても「中国人だな」ぐらいの感覚だったんじゃないだろうか。
香港はイギリス領であったが、他にも大陸内に植民地をもっていて第2次の時危険な砲弾を運んだり、下水の片付けなど奴隷のように中国人は使われていた。
一部のイギリス統治に協力する中国人はイギリスのパスポートを貰っていて出入していたので町中にもいたかもしれない。

尚、イギリスのパスポートは3種類あって、1つは国民に、2つはイギリス統治の役人として働く人に、3つは気がむいた時に配っていた。
2,3のパスポートを持っている人はイギリス国内にいつでも入れるわけではなくイギリス政府が許可した時だけ入れる。
香港からイギリスが引き上げる時に香港人に3のパスポートをすごくいっぱい撒いてきたのだが、イギリス入国は不可で中共が香港統治に乗り出してきてデモが激化した時でもイギリスに行くことはできなかった。
何のためのパスポートだよ!!!と世界にいっぱい怒られて、仕方なくデモが制圧される直前に許可を出したが、もうデモの主要人物は中共の監視下に置かれていて香港を出ることができなくなっていた。

日本という国があると知っているだけブライアン・メイは知識人であった。
中国の1地方でしょ?という認識の人の方が多かったと思うぞー。
というかブライアン・メイはマジで知識人だから・・・。
ロンドンの名門、インペリアル・カレッジ(皇帝大学)という理工系だけの単科大学で宇宙工学を選考した。
大学としての格付け(QS世界大学ランキング。英語の授業のある大学で高くでるので目安)は世界で6位(最高2位になったことがある。東大は23~30位)。
音楽は趣味で「週末にパブなどで演奏できたらいいなーー」レベルの人であったのだが・・・なんでこうなった。
大学を卒業したあと、博士論文を準備しつつ学校の先生になっている。
そんなエリート街道まっしぐらだったのに・・・。

2枚のアルバムを出したあとワールドツアーに出発したのだが(先生は辞めた)本当にお客さんが入らなくて、北欧では新聞に「わざわざイギリスから来てショボイライブしかできなかったw」と載ったり(これはたぶん、イギリスが嫌われていた)、アメリカでは客が150人だけだったりして、これはダメか???と思って日本に来たのだ。

そしたら・・・空港にお出迎えのファンが数千人。
どこにいってもファンに追いかけられ、武道館は満員御礼。
ステージが終わった後、舞台の上にはファンがおいていったプレゼントの山。
ステージの途中でファンが前につめかけ、将棋倒しが起こりあわてて「Calm Down(落ち着いて)!僕たちまだ長くここにいるから慌てないで!」とフレディが呼びかけるも英語わかんないので聞いちゃーーいない。
客を煽って沸かせることが得意なフレディが「落ち着いて」と言ったの初めてなんじゃ・・・。

当時の関係者だけのパーティで挨拶したブライアン・メイの映像が残っている。
「もう・・なんていったらいいのか・・なんかもう、違う惑星に来たみたいな・・・演奏が皆に気に入って貰えるのかわからない・・・ファンの人と会話することもできなかった・・・」
真面目か!!!!
そう。
ブライアン・メイという人はライブが大好きで大好きで、演奏前や後にお客さんと話をすることが大好きで、全然知らない街で触れ合う人と話をするのが大好きで、音楽も好きだけど、そういった人との触れ合いが大好きだから学校の先生になったし、それを辞めて音楽で世界を回ることを決意したのだ。
なのにあまりの人気に街にでることは無理。
ライブの前後にファンと会話するのも無理。
ホテルの中ですら人に追いかけられて部屋に逃げ込む始末。
・・・哀れなのか、それだけ皆に好かれて良かったね、というべきなのか。

少なくとも、日本での人気に「言葉が違う国でこれだけ人気なのだからこいつらいけるかも?」と投資され3枚目のアルバムを出せることになったのはめでたい。
その3枚目のアルバムが世界的大ヒットとなり、クイーンの地位は固まったのだった。

そんな3枚目がでる前のメイ家では、ブライアンが日本のファンに貰った手作りのブライアン・メイ人形や、和紙の折り紙や着物を父上に見せて「日本はいい国だったよ!人も皆優しいんだ。そして仕事に熱心なんだ」と必死に説得していたのであった。

でも父上ーー。
第1次世界大戦の時、日本はイギリスの仲間だったし日英同盟も結んだことあるんだぞーー??
日本にとっては同盟ってすごいことだけど、イギリスにとっては「その他大勢」の1つだったかもしれないけどさ!!!

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2024/04/18 17:57
>もふもふさん
ふりかけはカケラなのに美味しいよね!
アバター
2024/04/18 13:14
ふりかけがカケラも入っていない…。




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