Nicotto Town


モリバランノスケ


雨、雨、雨

朝、目が覚める。晴れていれば、神々しい朝日が、挿し込んでいる時刻である。が、寝室の中は、どことなく薄暗い。コロニアルの屋根瓦を軽く叩きつける雨音が、ココロヨイ一定のリズムを奏でている。それは、とても心地よい響きだ。

何時もの様に、アメリカの女優、シャリーマックレーンの著書(Goingwithin)からヒントを得て、自己流にアレンジした瞑想法を行い、心と体の
バランスを整える。私の場合は、夜中の睡眠が何時も心地よいと言う訳でわない。昨夜も、悪夢に悩まされていた様な気がする。はっきりと覚えていない。が、過去の失敗や嫌な思い出等などが臨場感を伴い再現される。

私は、昨日、このコラムで言及した。夜中に夢を見ているのが、本当の自分(宇宙)だと。だとすると、本当の自分(宇宙)が、悪夢を見ている事は、何か、大きな深い意味が在り、そのことを私に示唆しようとしているのだろうか?。

私も、長い人生を、生きてきた。10代、20代.、30代、40代.、50代、60代.、70代〜〜現在まで
受験、就職、家庭、仕事、社会、等などの中で様々な失敗、思い出したくもない嫌なことを繰り返してきた。本当の私(宇宙)が、悪夢を見ているのは、きっと、その中にこそ、大切な事(真理)が存在することを、私に知らせているのだ。

自分が、(失敗)(嫌な事)と思っているのは、社会という枠のなかで、その様に思わされている、言わば、錯覚なのかもしれない。世界の様々な組織(家庭、学校、会社、民族、国家、等など)の意向に沿わなかった時に、我々人間が、抱え込まされる感情なのだろう。<成功より失敗にこそ価値がある>。この言葉には、深い意味が隠れている。

一方、私には、様々な成功体験もある。けれど就寝中、夢に出てくるのは、何故、失敗、嫌だった事が、多いのか(私だけか?)。それは、損得感情にまみれた、人間社会の成功体験よりも、失敗体験からのほうが、本当の自分(宇宙)は姿を現しやすいから。と、私は考える。だから、悪夢を見ることは、(有難いこと)と捉え感謝せねば。

今日も雨だ。予報では、朝から夕方まで、止むことなしに、降り続く模様である。青年クスノキ、老クスノキ、開花間近な桜木を始めとする、我が庭と森に息づく、総ての草木樹木達にとっては、願ってもない、恵みの雨だろう。
私も、この様な雨に打たれる雰囲気の一日を、深い思索に費やして、色々と考えてみよう。




Copyright © 2024 SMILE-LAB Co., Ltd. All Rights Reserved.