『光る君へ 12回』なんとか見届けました~!
- カテゴリ:テレビ
- 2024/03/25 01:21:44
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ふらふらですが、これだけは寝る前に忘れぬように。
では「光る君へ 第12回」の考察です。
- ・女性は髪をちょっと切れば出家?尼僧の丸坊主はその後のこと?
- ・まひろとさわの衣装はさわの方が立派で分厚い高級な着物を着てるように見えるが・・・。何者かがキーか?架空?
- 今後、腹違いの姉妹だから、結構、からみが多い予感。
・「北の方」は「正妻」という意味で誰にでも使う?妾は南の方か?
・赤痢は不治の病ではなくすんなり治るんだ。それにしてもロバートは全員入れ替えでクビだったが、官位があれば、食っていけるの?
・エッチ画は、まひろ嫁入りのワイロ?
・兼家→土御門への手紙がなめている というのは、「こいつが道長(だから婿にしろ)」と手抜きで書いてるから?
・倫子と明子のダブル北の方?それとも順位アリ?先着順?
- ・また呪詛かあー。「鎌倉殿の~」の髪の毛入りのわら人形を陰陽師を使わずにやるってこと?
- ・結局、今週は道兼が口にした「例の件」は伏線のままでいいよなあ?なにか見逃したかなあ。
・今後、道兼+公任 対 道長 という敵側のブレインになるという構図でいくのか?
・もう、手紙やり取りも無しで、即日なんでもありかいーっ。
次週、呪詛の効果がもう出る?佐々木蔵之介の妾に結局なっちゃうのか、当初考えてた父親身代わり説は消えたかな。
かな?
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道兼+公任 VS 道長 の構図は、道兼が長生きした場合には有り得ましたが、道兼は995年に亡くなりますので、未遂で終わらなかったとしても長続きはしない構図ですね。
ちなみに、はんにゃの金田氏が演じる藤原斉信(ふじわらのただのぶ)は道隆に接近します。もっとも、道隆が亡くなるとすぐ道長に鞍替えするちゃっかりしたところがあります。
こんかい道長が文も出さずに左大臣の土御門殿を訪問したのは、当時としては最大のルール違反でありえない行為です。
それを咎めず、迎え入れてしまいなさい、と言える穆子(むつこ)様は太っ腹。
倫子の大胆さは、絶対母親譲り。史実は知りませんけど。
次回は時間一気に経過して多分990年で兼家の死期が迫った頃。
兼家は病死したそうですが、詳しい死因は分かりません。
既に60歳過ぎのはずですので、どんな病気でも不思議はないです。
呪詛の効果にするのかどうかは、次回を見てみないと何とも言えないですね。
紫式部と藤原宣孝が結婚するのは歴史上の事実なので覆りません。
嫡妻ではなくおそらく妾妻であろう、といいうことも。
ただし妾妻は、現代人が想像しがちな「お妾さん」「愛人」「2号さん」などとは一線を画す存在なので混同するべきではありません。
確たる定義はまだ無くて、歴史の専門家も意見統一が出来ていないらしいですけどね。
実資も一か月ほど病臥していますし、「小右記」にも十度瀉す(下痢または吐き戻しの事)、十二度瀉す、という記述があり、所労、猶ほ堪へ難し、ともありますので相当に酷い状態だったのではないでしょうか。
(「小右記」は摂関期古記録データベースというサイトで確認できます)
見舞いで垣間見た宣孝が「あれは駄目だ」と言うのも無理ないかも。
むしろ、そんな状態でよく日記を残せたな、と感心します。
藤原実資は祖父である藤原実頼の養子となって膨大な家領を受け継いでいますので、たとえ一時的に官職を解かれてもびくともしません。
また官職を解かれても正四位下という位階相当の収入もあり、生活に不自由は一切無かったでしょう。
為時もドラマでは位階まで奪われた様ですが、実際は位階はそのままでしたので位階相当の収入(現代の金額だと年収400万くらい)は基本的にはあった筈です。
ただ平安中期になると下級官人に対する所謂給与未払いがしばしば発生していたらしいので、ドラマ程の困窮ではないものの再び官職を得られるまで厳しい生活には違いなかったと思います。
宣孝の見舞いに挟まれていた絵は「枕絵」と言い、江戸時代には「春画」と呼ばれる類になりました。
実資は奥方を愛し続ける一途な男性だったそうですが、平安貴族らしく多くの女性と関係を持つ女性好きな面もあったそうなので、それを知っている宣孝が見舞いの一つとして贈ったのでしょう。
賄賂と呼べるほどの代物かどうかはわかりませんが。
呪詛は明子が単独でやるのか、それなりの術師を頼むのかは不明ですね。
陰陽師は安倍晴明だけではなく、たとえば道摩法師の様な非官人の法師陰陽師もいましたので、その気になれば幾らでも見つけられたと思います。
ただし呪詛は当時重罪でしたので、大きな覚悟が必要でしたけどね。
実際に呪詛人形(藁ではなく土人形)が発掘されていますので、それなりに横行していたのかもしれません。
道兼の藤原顕光(ふじわらのあきみつ/兼家の兄兼通の長男なので兼家の息子たちの従兄弟)に対する「例の件」は今後の伏線の可能性があるかもしれません。
顕光には朝光(ともみつ)という弟がいて、この弟はかなり有能な人物で道隆と親しい関係です。
女性の場合、落飾の際も完全に頭を丸める事なく肩の辺りで髪を切る尼削ぎ(あまそぎ)が普通でしたから、死の間際に極楽往生を求めての得度の場合は、髪の一房だけでもOKだったのかもしれませんね。
寺に入って修行を志す場合は、完全に剃髪するでしょうけど。
現代でも有髪の僧は幾らでもいらっしゃいます。
「さわ」はドラマオリジナルのキャラクターだと思いますが、モデルとして考えられるのは為時が妾妻との間に作った娘か、為時の異母妹あたりです。
どちらか一方だけではなくミックスして作り上げている可能性もあります。
ちなみにドラマの「さわ」は、為時の妾妻である「なつめ」が前夫との間にもうけた娘で、まひろの異母姉妹ではないです。劇中で明言されてますし。
「北の方」は正妻(律令制では嫡妻)の事で、基本的に一人です。
ただ、妾妻も一応は正式な妻ではある筈。嫡妻より格下で、妾妻から生まれた子供も、嫡妻の子供より下に扱われますが、召人(めしゅうど)と呼ばれる立場よりは格上です。
現代人が考える妾・愛人に相当するのが召人になります。
倫子と明子の場合は、倫子が嫡妻になり明子は妾妻となります。明子の方がより貴種なんですが(明子は醍醐天皇の孫、倫子は宇多天皇の曾孫)、彼女の父源高明(みなもとのたかあきら)は左大臣から大宰帥(だざいのそち)に左遷され既に亡くなっていますので、彼女には有力な後ろ盾がありません。
それに対して倫子の父源雅信は現役の左大臣かつ一上(いちのかみ)。ドラマには描かれていませんが、円融法皇(一条天皇の父親)の信頼厚い人物で莫大な財産も所有しています。後ろ盾の強さは、圧倒的に倫子に軍配が上がります。
そのため、史実の道長も倫子を嫡妻とし大事に扱ったそうです。
有名な望月の歌が詠まれた宴席で、道長がうっかり失言して機嫌を損ねた倫子が退席してしまった時、道長は宴席の客を放置して倫子の機嫌をとることに必死になった、というエピソードがあるくらい。
ドラマでは、倫子と結婚した後に明子とも結婚する流れになりそうですが、実際は明子との結婚の方が先だったらしいです。それでも嫡妻は倫子。
如何に妻の実家の力が重視されたか分かりますね。
癒されましたが、さわって雰囲気も何か貫禄あります。
「学びの会」でまひろと倫子はいい女友達になりそうな雰囲気だったけど。。。
道長が押しが弱くて・・・左大臣の一の姫に婿入りするとまひろに伝えた時に
心の声で「妾でもいいと言っておくれ」でしたね。
恋文のやりとりもなく来た道長に対して
積極的な倫子にビックリ。
道兼+公任の動きは気になります。