Nicotto Town



2/23 キラキラと4択

仮想タウンでキラキラを集めました。

2024/02/23
キラキラ
集めた場所 個数
ニコット山 4
ビーチ広場1 10

4択  「遊園地


キラキラ  「ニコット山」右の小屋

     「ビーチ広場」テトラポッド  

4択  デートはどこがいい? → 遊園地



夢とドキドキの遊園地!!!

1つの遊園地を作るのにどれだけのお金がかかるのだろうなぁ。

1998年頃から2022年までの25年間に主な遊園地・テーマパークだけで50箇所が閉鎖しているという。
しかし25箇所が新たにオープン。
なので1年に1箇所づつ減っていっている、という換算になるという。

広大な跡地は住宅地になったり、ショッピングセンターになったりするが「田舎で一発逆転を狙って作ってみたけど交通の利便性が悪くやっぱりダメでした!」という遊園地も存在する。
そしてそういった遊園地は遊具を撤去する費用もなくそのまま放置されていることもあるのだ。

かつて奈良に「奈良ドリームランド」という遊園地があった。
作った人は、「日本にディズニーランドを作りたい!!!」という熱意でアメリカまで行って懇願。
「ま。時が来たらな(本音:お断りじゃ)」という京都人か?!という言葉でお茶を濁されたのだが、それを京都が隣にあるのにわからなかったのか、遊具の設計をする技術者を連れて再びディズニー本社に突撃、懇願。
その熱意にディズニーランドは「遊園地を経営するノウハウ」を無償で提供する。
そして、遊園地の建築時にもディズニーは技術者を派遣したという。

ディズニー側としては「日本に日本人のための遊園地を作る」ことに協力したつもりであったのだが、ディズニーランド開園を夢見ている開園者にしたら「これだけディズニーが協力してくれている!!!もうこれはディズニーランドじゃね?!」と遊園地に行く子供より舞い上がっていた。

しかし。
当たり前ながら「ディズニーランドの名前を使いたい」という申し出にディズニーは拒否。
ディズニーランドというのは、ディズニー社の「ウォルト・ディズニー・イマジニアリング」がデザイン・設計を監督するパークのみが「ディズニーランド」と名乗れるのであって、技術提供や経営ノウハウの提供ごときで名乗れるものではなかったのだ。

また1955年ぐらいの日本の技術力ではディズニーランドの技術に遠く及ばず、1961年のオープン時「ディズニーランドの日本版!」という宣伝広告を打つのが精一杯(でもかなりアウト案件じゃね?)だったようだ。

そして、この「奈良ドリームランド」の写真を見た生前のウォルト・ディズニーが激怒し「もう二度と日本人なんかと仕事するか! あいつらは絶対に信用しない!」と怒鳴り散らしたらしい・・・。

すまんね。
でもさ、たぶんだけど作った人は本当に本当に「日本にディズニーランドが欲しい。みんなを笑顔にするものが欲しい」って思ったと思うんだよ。
敗戦からまだ10年。
米軍に接収されていた土地が戻ってきて、それをどうしよう?と話し合った時であったのだ。

でもウォルト・ディズニーを激怒させたという事実は凄まじく、東京ディズニーランドは「日本はNOだ」と言い切るディズニー側を説得するところから始めなければならず、難事業だったようだ。

そんな原因になった奈良ドリームランドは1993年からダイエーが経営することになり、ダイエーの破綻にともなって他社に譲渡、休園となる。
休園中は土日祝と夏・冬・春休みだけ営業。
それって閉園っていうの?!という感じで地味に営業していたらしい。
それでも夏季のプール収入だけで赤字にはならなかったというからなかなかの集客力はあったのではないだろうか。

しかしそんな営業も終わった2006年、その跡地は破格で売り出されたものの誰も入札しなかった。
遊具の撤去代がとんでもなくかかるからだ。
2015年にSKハウジングが落札するが、遊具を撤去することもなくそのまま放置(何で買ったんだ?!)。

ディズニーランドを夢見た為に、そのレベルの差はあるとしてもお城やジャングルクルーズ、スカイウェイなどディズニーランドで見られるものがあり、それがどんどん色が剥げ、錆びて、草に埋もれていく。
その錆びれ逝く様子が「廃墟好き」の胸をわくわくさせていたのではある。
しかし普通の人は、子どもたちが「冒険だーーー!!」しそうで危険で嫌だしどこからともなく人がやってくるし、真っ暗な中に歓声が響いたりして怖いしで施設の撤去を何度も何度も懇願していた。

2016年9月の地元紙に「とうとう来月から撤去作業始まる」という記事が載り、10年以上放置された廃墟がなくなった・・・・のかどうかは「撤去が終わった」の記事がないのでわからない。

本物のディズニーランドは1983年にオープン。
ディズニーとの契約はもめにもめ、最終的に米国ディズニー側がパークの設計、運営の指導、クオリティーおよび版権の管理を行うとともにライセンス契約料を受け取り、オリエンタルランド社側が、パークの建設費や運営費などすべての費用を負担するというオリエンタルランドの本気(マジ)ぶりが殺気を帯びているレベルで無事の契約締結&開園に至った。

ディズニーランドの夢を見るには30年早かったのだ・・・しかも奈良て・・・。
でもそのチャレンジ精神は認めてもいいのではないだろうか。

夏草や兵(つはもの)どもが夢の跡 ― 芭蕉

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2024/02/23 23:50
>もふもふさん
いやいや、幼稚園入る前の保育園で門にしがみついて
「おかーさーーんー」って泣いてた記憶とか!
先生にひきはがされて連れていかれたみんなが遊ぶ場所で
腹いせに男の子が遊んでいた積み木を崩したり(ひど!)色々あるさ~~
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2024/02/23 23:05
もしや人生最初の記憶がソレ?
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2024/02/23 20:17
>もふもふさん
そういえばとしま園のプールで溺れたなー。
水越に母が笑ってるのが見えて、何で助けてくれないのーーってなってた。
結局よそのおばちゃんが助けてくれて、母は「頑張って練習してるなーって思ってた」って言ってた。
泳げなかった夏だから幼稚園の頃だな。
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2024/02/23 20:14
>もふもふさん
あ、いやでも、入場料だけで遊べるプールになら遊園地のにいったことあるよ!
としま園とか!!
プールに入って花火を見て帰るんだよ!!夏っぽい!
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2024/02/23 20:01
涙。
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2024/02/23 18:46
>もふもふさん
ないよ
我が家に「遊園地で遊ぶ」という概念はない。
もう一個奈良にあって現在は住宅地になった遊園地には行ったことあるのだけど
「大菊人形展」を近所の家族と一緒に見に行くというやつで、その家族の子どもたちが
ジェットコースターにのったりしているのを横目に菊人形みて帰った。
一応「1個だけなにかに乗っていい」という許可はゲットしたが選んでいるうちに時間切れであったー。
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2024/02/23 11:26
そこに実際に行ったことはあるの?




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