聖書の世界観
- カテゴリ:日記
- 2024/02/22 21:40:05
先日、日本人のこころのあり方を仏教の歴史的な背景や思想について幅広く、そして深く考察した書物を読んでいました。その中でも、修行を重ねて悟りを、欲念を振り払って静寂の悟りを、それとは逆に、そのままの自分受け入れるとか、死後の世界観とか、よくこれだけ調べられたなぁと、感心しつつも、キリスト教やユダヤ教については、一神教の教えと、イスラム教についても、さらりと一言。
まぁ、いいけど、
かつては欧米社会に出ていくためには、聖書を一読しておくべしとか、言われていたような気がします。
最近のニュースでは、日本の道徳教育、礼節を重んじる「武士道」の精神が全く失われつつあり、恥を知らぬ情けない気がしますね。
*「武士道」は、明治の日本人を欧米に紹介するために新渡戸稲造が書いた本ですが、実際のところ、クリスチャンであった新渡戸の理想とすることろは、江戸時代の封建社会ではなく、日本人の高貴な精神を、聖書に通ずる解釈でまとめ上げたような気がします。
おごることなく、ひたすらに質素で、しもべのごとく使え、迫害するものを許す、死をも恐れることのない、生きることへの希望とかは、キリストとその弟子たちの言葉に残されていますね。
毎日反省です
自分は我がままでなんて嫌な人間だといつも思っています
牧師先生が、信仰が深くなればなるほどそう思うと言っていました
そうなのかな?と思いつつ、昔と比べると反省をする日が多くなっています
主人曰く、何でも完璧になってしまえば、神様のようになってしまう
人間だから間違えをすると・・・
なるほど・・・
我が家に養子に来てからクリスチャンになった夫のことばは、説得力がありました
自分の亡き両親を思い出すと、良い人間になると天国へ行ってしまうと思いました
それまでは、クリスチャンの両親なのに、ヒドイ人間だと思っていました
天に召される前に良い人間になったことは本当です
反省と感謝は毎日しています
rihitoさんは 博識ですね
尊敬します