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老エゾマツの話・その四

ほぼ2000年に渡るのだろう生涯に、この大木の下では、他にも様々なドラマが繰り広げられたのであろう。私は、(お疲れになりませんか?。宜しければ、もう少しお話を、お聴きしたいものですね)と、語り掛けていた。

老エゾマツは、しばらく考えていたが、体の最深から絞り出すように、語り始める。<本当に数えられないほどの、忘れられない生命の生き様を見てきた。その、一つ一つを貴方に話してあげたい。が、今、それ等を話すことはそれ程大事とは考えていない。この世の様々な現象を透かして見えてくる、核心を伝えたいのだ>

逆に、老エゾマツは、私に問い掛けてきた。
<貴方は、今、幸せですか?。もし、貴方の命が、今日で終わる、としたらどうですか?。命ある者は、それが何時までも続くと思い込んでいる、というか、考えないようにできている。

我々生命は、物欲の塊です。様々なオブラートに包み込まれていて、気が付かないが、我々の行動、考えの根底には、それが見え隠れしている。分かりやすいのが、今のウクライナ、パレスチナ、南米やアフリカなどから絶えることのない難民の人々に象徴される人間社会の分断。気候変動だって、物欲がもたらした惨状・・。

禅問答のようになってしまうが、結論は、いかに欲を捨てることができるか、である。かと言って、この世に、意味がないと言っているのではない。肉体で生きる限り、物欲はついてまわる。色即是空と言う言葉が有るだろう。社会の常識(情報)に囚われず、自分自身の目を第一にして、生きる意味を深く考えるのだ。

然しながら、物欲というフイルターを通じてしか、生きる意味は見えてこない。だから、遠慮することなく精一杯生ききるのだ。言ってみれば、我々は、この世という舞台上で、役を演ずる俳優のような存在。真剣に、真心込めて、演ずれば演ずるほど、自分自身に近づき、自分の真の姿が、見えてくるものだ。>

老エゾマツは、そこまで喋ると、静かに、天を仰ぎ沈黙している。私は、老体に鞭打つてまで話してくれたことに心底感謝し返答したのだ。

(誠に、有難うございます。先が見えて来たような気がします。至らない私の言葉で恐縮ですが、幸せは、過ぎ去った時にでもなく、これからの訪れる時に在るでもない。自分が現在、どのような境遇に在ろうと、幸せと、言える心構えなのですね)・・・・・・・・・・・・と。











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