29年
- カテゴリ:日記
- 2024/01/17 07:03:11
阪神淡路大震災から29年たちました。
いまだに少しの揺れでも敏感です
実家は半壊でした。
向かいに住まわれた方は家屋の下敷きになり亡くなりました。
斜め前あから火の粉が上がりこわかったそうです。
JRも阪急も止まり2駅ほど歩いて実家に水などとどけました。
高値で商品や使い捨てカイロを売る人もいましたが。
ポケットティッシュやペットボトルの水、使い捨てカイロを配って手渡ししてくれる人がいて感謝の日々でした
人の温かみに触れいつか返せるときがきたらと常日頃おもっています。
悪徳業者、詐欺 泥棒 許せません。
石川能登でもたくさんあるようです。
高額な料金でブルーシートを 素人が・・・。
解体業者が 儲けさせてもらうとほくそ笑む
こんな時だからこそ 人の弱みに付け込む行為はやめてください。
皆様が幸せで、健やかにくらせますように。
非業の氏を遂げればいいなんて過激思想な私ですw
そう わずか数センチの差で分かれちゃうんです。
母が寝ていたすぐ真横に本棚が倒れガラスが粉々でした。
仮設住宅見入れない方もたくさんいらっしゃいました。
テント生活や車で生活されていた方も。
今でも蘇るあの時のこと。
東日本で地震に合われた方 今回の石川能登で被災されている方
怖くて 不安でたまらないとおもいます。
映像をみているだけでパニックになるかたもおられるでしょう。
当日彼女の住んでたマンションは無事でしたが、周りが軒並み倒壊したそうです。
冷蔵庫が凶器になるとか、部屋の中も靴がないと歩けないなど、色んなことを教えて貰いました。
今回の震災でももう既に、色んな詐欺が起きているとか。
人の弱みに付け込むなんて、人として最低だと思います。
そのままだったら、生きていなかったかもしれません。
あの日に帰る予定でした。すっかり支度をしてTVをつけたら・・・。
実家は食器棚が倒れたりしましたが、兄夫婦は怪我もなく無事でした。
今回の能登の地震で被災されたお友達は無事が確認できましたが
その後、連絡がありません。余震が続いているので心配です。
2歳の子を連れて動く電車の駅まで歩き、2日後横浜まで帰ってきた。
町は何処も破壊されていたと 当時聞きました。
でもいいことも 会社の整理で残っていたご主人。有馬温泉に入れてもらって 疲れ癒したそうです。
被災者が集団で避難(本当は疎開と呼びたい)して
安心して街も作り直せるかもしれないと思います
それができないことも前へ進むのを遅らせてしまいますね
うちは東日本大震災で大規模半壊し、電気と水道こそ数日で復旧しましたが
ひと月半ガスが使えず神戸のガス会社の人が来て開栓してくださいました
痛い心に人のあたたかさを感じられることも貴重な経験でした
自然災害は避けられないかもしれないけれど人災はやめてほしいですよね