Nicotto Town


モリバランノスケ


枯木

我が庭にエゾマツの枯木が在る。計り知れない樹齢を感じさせる幹回りは、雄に5Mは、有るだろう。外に出ると、必ず、彼と会話を交わすのは大きな愉しみ。年は忘れたと言っているがいる、が、二千年以上は、生きているだろう。

今朝も、大空を遮るょうに枝を拡げ、雪を戴いた老木に近寄り、木肌を手で暖めながら、話し掛けてみる。(おはよう御座います。昨晩は、良く眠れましたか?。ご機嫌は如何ですか?)
<いやぁ、お早う。お陰で体調は頗る良い>。
私は、年輪を感じさせる樹肌に耳を当てた。音を立てて流れる樹液の音は、老体とは思えぬ。

彼は、この世で発生した夥しい出来事、天災、人災を体験してきた。それだけでなく、東南アジア、シベリヤ、そして、大陸からの渡り鳥からもたらされた耳知識をも、自分の考えに昇華してきた。その生き様は正に老哲学者である。

彼は、常日頃言う。<自分の樹齢は忘れた>。その姿を見、会話を交わす私も(そうだろうな)と、思う。老木には時間という概念を超越しているところがある。常日頃聞かされる言葉がある。<生きる意味は、今この瞬間を生き切らねば会得出来ない>。だから、大昔の話に臨場感が溢れているのだ。理由は、そこに在る。

老木が、若木だった頃の話は、聞いていてとても楽しかった。そばに、竪穴式住居が7個程あり、それぞれに、家族が住んでいた。一同協力しあい、貧富、身分の差がない、協力しての生活が繰り広げられていた。縄文時代の光景だろう。少し離れた場所に他の部落もあった。が、争いは一切無く平和。今、人類の惨状に愕然。






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