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東京高輪泉岳寺義士祭

ニコットおみくじ(2023-12-14の運勢)

おみくじ

こんにちは!前線が近づく影響で、西日本は夕方から雨。

東海から北海道は晴れるが、東北と北海道の日本海側では雪が降る。
沖縄は晴れるが、夜には雨。
夜遅くには雨は止むでしょう。

【東京泉岳寺義士祭】 とうきょうせんがくじあこうぎしさい

☆東京都港区泉岳寺で執り行われる供養行事です。
 毎年、赤穂浪士の討ち入りである12月14日に合わせて開催されます。
 
<概要>

〇イベント名

泉岳寺 赤穂義士祭(冬)(2023年)

〇開催日

2023年12月14日

〇開催時間

7:00~20:00予定

〇住所

東京都港区高輪2-11ー1

〇電話番号

03-3441-5560

〇料金

入場無料

〇アクセス

@電車

 都営浅草線「泉岳寺駅」から徒歩で約3分

〇駐車場

無し

〇赤穂義士際

・毎年4月1日~7日

・12月14日

このように年に2回、赤穂義士を供養する「赤穂義士祭」を開催しています。

〇赤穂義士

1702年(元禄15年)12月14日、
主君であります浅野内匠頭長矩(あさのたくみのかみながのり)さんの
仇を打つ為に、吉良上野介義央(きらこうずけのすけよしなか)さんの
屋敷に打ち入った47名の旧赤穂藩士のことです。

《浅野内匠頭長矩》さん 三代藩主

寛文7年(1667年)9月28日ー元禄14年(1701年)4月21日

禄高(ろくだか):5万石

出身地     :武蔵国

幼名      :・又一郎

         ・又一

         ・又市郎

教養      :・雅号(がごう):梅谷      ・茶 :石州流

         ・書      :北島雪山さん  ・兵学:山鹿素行さん

[北島雪山(きたじませつざん)]さん

 寛永13年(1636年)-元禄10年閏(1697年)4月5日

 江戸時代前期の書家で陽明学者です。

 黄檗(おうばく)僧等から文徴明さんの書法を学びまして、
 唐様(からよう)の書風の基礎を築きました。

 〔文徴明(ぶんちょうめい)〕さん

  成化6年(1470年)11月28日ー嘉靖38年(1559年)3月28日

  中国明代中期に活躍しました文人です。

  詩書画に巧みで三絶と称されまして、
  とりわけ画におきましては呉派文人画の領袖であります
  沈周(しんしゅう)さんの後を受け継ぎまして、
  沈周さん、唐寅(とういん)さん、仇英(きゅうえい)さんとともに、
  明代四大家に加えられました。

  ≪沈周≫さん

   宣徳2年(1427年)12月9日ー正徳4年(1509年)8月17日

   中国の明代中期の文人にし画家です。

   文人画の一派であります呉派を興しまして、
   「南宋文人画中興(ちゅうこう)の祖」と称されました。

   又、蘇州(そしゅう)文壇の元老として中国文学史上に名を留めまして、
   書家としても活躍をしました。

   詩書画三絶の芸術家として後世になりましても評価が高いです。
   家訓を守り、生涯に渡り士官することなく、
   明朝に抗隠(こういん)しました。

[山鹿素行(やまがそこう)]さん

元和8年(1622年)9月21日ー貞享2年(1685年)10月23日

陸奥国会津にて白河浪人(関氏)、山鹿貞以(山鹿高道)さんの
子として本一ノ丁の町野邸に生まれました。

江戸時代前期の軍学者であり、儒学者です。

戦国時代からの武士の存在意義が崩れ始めましたので、
それを模索する社会の中で、素行さんは新しい武士道を提唱しました。

21歳にして「兵法神武雄備集」を著しまして、
江戸で軍学を講じる等、この頃には高い山鹿流の基礎は固まっていたそうです。

各藩は素行さんの軍学を高く評価していましたが、
自藩に採用しようと素行さんを招こうとしましたが、
江戸を動こうとはしませんでした。

〔山鹿流〕

 素行さんが創始しました軍学の一派で、
 戦法学に儒学の精神を合わせ、武士の日常的な心構えや道徳等を、
 これからの武士道としてまとめ、教育家しました軍学です。

 これからの平和の時代の武士は、
 士農工商の頂点に立つ以上は、
 道徳的な指導者として精神修養を怠ってはならないという、
 士道を提唱しました。

 素行さんの士道における研究はその後も続きまして、
 明暦2年(1656年)には「武教要録」等を著しまして、
 山鹿流を完成させ、士道を明確にさせていきました。

 幕末の吉田松陰さんが相続しました吉田家は、
 代々山鹿流を家学として師範を務め、藩主に講じており、
 松陰さんの思想の根底にも山鹿流の思想がありました。

《吉良上野介義央>さん

寛永18年(1641年)10月6日ー元禄15年(1703年)1月31日

吉良上野介さんは足利氏の血筋です。
奥方は上杉謙信公の流れをくむ家系で、徳川家とも繋がる名家です。

吉良邸が襲撃された時、病臥中の上杉禅正大弼綱憲さんは、
ただちに浪士一行を追撃して一人も打ち洩らしてはならんと命令しました。

[吉良上野介さんの人物像]

徳富蘇峰(とくとみそほう)さんの「近世日本国民史」元禄時代には・・・

「茶坊主基質の最も醜悪なる方面の代表者と見るべき人であった。
 上にへつらい、下におごり仲間を凌(しの)ぎ
 世の中を我が物顔に振舞う海千山千、似ても焼いても食えぬ代物」

このようにあります。

その背景に上杉家のみならず、
母親が酒井忠吉さんの女である縁故により酒井家とも密接な関係があり、
自子である上杉綱憲公が紀州徳川綱教公の姉を娶(めと)り、
綱教公が将軍綱吉公の鶴姫様の婿となった縁故からして、
徳川御三家とも将軍家とも一種の因縁が出来たと書いて、
上野介さんが傲慢になった訳を詳しく説明しています。

@切腹

 翌年の1703年(元禄16年)2月4日に幕府の命により切腹し、
 泉岳寺に葬られました。

〇泉岳寺の赤穂義士達が眠るお墓

赤穂義士が吉良上野介義央さんを打ち取った日である12月14日には、
義士達一人一人に線香をあげる為、全国各地から参拝者が訪れます。

@読経供養、献茶式

 浅野内匠頭長矩さんの墓前に手読経供養がなされ、
 本堂では献茶式も行われます。

〇義士行列

赤穂義士に仮装した人々が泉岳寺周辺をパレードします。
こちらの主催者は財界二世学院さんです。

*財界二世学院・・・かつて港区にありました教育機関

問題 次の関東私鉄3社の中で、
   本線が泉岳寺駅起点の鉄道会社を教えてください。

1、東京急行電鉄(株)

2、京浜急行電鉄(株)

3、東武鉄道(株)

ヒント・・・〇正解の鉄道会社 車両は主に赤色に白いライン

      @創立

       大師電気鉄道(1898年2月25日)

      @社名変更

       OO電気鉄道(1899年4月25日)

      @合併

       OO電気鉄道(1941年11月1日)

      @事業統制により合併

       東京急行電鉄(1942年5月1日)

      @分離・発足

       正解の鉄道会社(1948年6月1日)

さらにヒント・・・

〇本線路線図

@快速特急停車駅

 泉岳寺 ー 品川 ー OO蒲田 ー OO川崎 ー 横浜 ー 上大岡 ー

 金沢文庫 ー 金沢八景 ー 横須賀中央 ー 堀ノ内 ー 新大津 ー

 北久里浜 ー OO久里浜 ー YRP野比 ー OO長沢 ー 津久井浜 ー

 三浦海岸 ー 三崎口

 泉岳寺 ー 三崎口 料金:740円

お分かりの方は数字もしくは上記関東私鉄3社の中で、
本線が泉岳寺駅起点の鉄道会社をよろしくお願いします。



 





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