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メダイ

ニコットおみくじ(2023-12-13の運勢)

おみくじ

こんにちは!高気圧に覆われる九州から関東は晴れ。

東北、北海道は太平洋側は晴れるが、日本海側は寒気の影響で雪や雨。
沖縄は晴れのち雨。

【メダイ】 眼鯛 Hyperoglyphe japonica(Doderlein,1885)

         Bream,Ruffe,Japanese butterfish

         Pacific barrelfish

☆スズキ目イボダイ亜目イボダイ科メダイ属の
 水深100m以上の場所に生息する魚です。

<概要>

〇学名由来

@由来語源

 ・東京での呼び名です。

 ・目が大きい為です。

 ★イボダヒ型族メダヒ科メダヒ属 メダヒ Ocyrius japonicus
  (本州中部の太平洋沿岸に普通である)。

  『日本産魚類検索』(岡田彌一郎さん、松原喜代松さん 
            三省堂 初版1938)

@眼鯛

 東京都周辺での呼び名で、眼が大きな鯛という意味があります。
 鯛は種を表す言葉ではなく、白身で左右にやや側扁する意味があります。

 *側扁・・・平たい

《Doderlein》さん

 ルートヴィヒ・デ―デルライン
 (Ludwig H.P.Doderlein)

 1839年ー1936年 ドイツの動物学者です。

 1879年(明治12年)~1881年(明治14年)の間、
 東京大学のお雇い教師として日本に滞在します。
 そして、神奈川県江ノ島や三崎で水産生物を採取します。

 □地球にひとつの生命 奇跡の海 相模湾

 *NATIONAL GEOGRAPHICより抜粋 2008年7月

 日本の海の生き物の研究は、ここで始まった。
 明治以降、東京からほど近い相模湾で繰り広げられた採集・研究の奮闘史を、
 博物学研究家がひもとく。

 東京から2時間足らずで行ける相模湾は、
 東に三浦半島、西に真鶴半島を控えた緩やかな半円形の海域だ。

 東端の三浦半島には、江戸、東京に物資を運ぶ開運の寄港地や船番所があった。
 一方、2つの半島に挟まれた内湾は砂浜が美しい弧を描いて広がり、
 湾の向こうに富士山を望む。

 江戸時代から風光明媚な磯遊びの観光地で、
 現在も日本で一番賑やかな海水浴場がある。

 又、満潮になると会場に孤立する江ノ島は、
 信仰と行楽の地であって、旅館や物産店が犇(ひし)めいていた。

 しかし、「地球の宝」ともいうべき相模湾の真価は、実は海の中にある。
 明治になって西洋から博物学者が来日し、
 ここが世界屈指の豊かな生物相を持つ海であることを発見するまで、
 日本人はそれを知らなかった。

 きっかけは、明治6年(1873年)に
 ドイツから医学校の講師としてやってきたフランツ・ヒルゲンドルフだった。

 *フランツ・ヒルゲンドルフさん・・・1939年―1904年

 彼は発表されたばかりのダーウィン進化論に興味を持ち、
 生物の化石を材料にその理論を検証する研究に着手していたが、
 ある日、江ノ島の土産物屋で美麗な巻き貝の殻を手に入れた。

 [ダーウィン進化論]

 ダーウィン進化論とは、
 チャールズ・ダーウィンさんが提唱した生物の進化に関する理論です。

 《チャールズ・ダーウィン》さん

  チャールズ・ロバート・ダーウィン
  (Charles Robert Darwin)

  1809年2月12日ー1882年4月19日 イギリスの自然科学者

  卓越した地質学者で、生物学者です。

  種の形成理論を構築し進化生物学を発表し、
  全ての生物種が共通の祖先から長い時間をかけて、
  彼が自然選択と呼んだプロセスを通して進化したことを明らかにした。

 ダーウィンさんは、
 生物は自然発生によって多様な形態や特徴を持つようになり、
 その過程で自然選択や遺伝子浮動等のメカニズムによって、
 進化していると考えました。

 ダーウィンさんは、
 ガラパゴス諸島で見た多種多様な動物や植物から進化の原理を探求しました。
 彼は生物の形質はその環境に適応する為に変化し、
 その変化は後世の個体にも影響を与えると主張しました。

 ダーウィン進化論は、
 当時の地質学や生物学の知識を元に発展しましたが、
 完全な理論はありませんでした。

 後の研究者達はダーウィン進化論を補完したり修正したりすることで、
 現代の進化論を形成してきました。

 それは、貝殻の口に細長い切れ込みがある奇妙な貝だった。
 ヒルゲンドルフさんは、
 中生代の絶滅した貝類にこのような切れ込みがあることを知っており、
 「生きている化石」ではないかと驚いた。

 調べてみると、
 世界でまだ2例しか発見されていなかった
 現生の古代貝オキナエビスガイであった。

 この仲間は進化論の研究を進める為の貴重な材料であり、
 帰国後すぐに新種として報告した。
 この報告を見た英国の自然史博物館が、
 莫大な懸賞金をかけて採集にのりだす騒ぎになる程のニュースだった。

 明治12年(1879年)、ヒルゲンドルフの後任の一人として
 ドイツから来日したルートヴィヒ・デ―デルラインさんもまた、
 江ノ島の土産物屋に売られているホッスガイという
 珍しいガラス状の構造を持つ海綿動物に注目し、
 何とか生きたままの個体を入手したいと考えた。

 そして相模湾の各地で海底を攫(さら)って周り、
 ついに湾の東端に位置する三崎でこれを採集した。

 *海底を攫って周り・・・ドレッジ

 デ―デルラインさんはこの調査から相模湾を「海洋生物の宝庫」と認め、
 世界に知らせた。

 1906年にフランツ・ドフラインさんが発表した「東亜紀行」にも、
 相模湾で獲れたメンダコやタカアシガニ、オオグソクムシ、トリノアシ等、
 珍奇な深海生物が図とともに紹介されている。

 一方、米国からはシャミセンガイをはじめとする
 古世代の生き残り生物を研究するエドワード・モースさんが
 明治10年(1877年)に来日する。

 *エドワードモース・・・1838年―1925年

 東京大学理学部に設置されたばかりの動物学教室教授に招かれたモースさんは、
 早速江ノ島に私設の研究所を建て、近くの海で採集を開始した。

 これまで珍種とされてきた「生きている化石」が大量にに採れるではないか。
 モースさんもまたダーウィン進化論を検証する生物を
 東京湾で手に入れることが出来た。

 これらの報告により相模湾の名は世界中に広がり、
 やがては東京大学により、日本初の臨界実験所が建設されることとなる。

〇分布

北海道日本海沿岸、山形県~九州南岸の日本海・東シナ海沿岸、
北海道~九州南岸の太平洋沿岸、瀬戸内海等。

〇生態

体表から多量の粘液を出します。

@産卵期

 冬

@体長

 ・1歳:約30cm          

 ・2歳:約40cm

 ・4歳:約60cm

問題 Oに入ります言葉を教えてください。

   メダイの食道の両側にはイボダイ科特有である食道嚢があります。

   *食道嚢(しょくどうのう)・・・咽頭嚢

   これはソラマメ形をした袋状の構造で左右1対です。
   嚢の内部にはOのような突起が並び、嚥下(えんげ)や
   消化を助ける働きがあるとみられています。

1、鱗

2、歯

3、棘

ヒント・・・〇Oのような突起

      鋤骨(じょこつ)と口蓋骨にはOは無いが、
      口蓋部(こうがいぶ)に沢山の皺(しわ)があります。

お分かりの方は数字もしくはOに入ります言葉をよろしくお願いします。




 

 







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