世界平和記念日
- カテゴリ:勉強
- 2023/11/11 01:27:27
こんばんは!11日(土)は、北海道から東日本の日本海側では
雨や雪が降るでしょう。
北海道から東北北部では平地でも雪が降り、積雪となる所もありそうです。
北日本から東日本の太平洋側は雲が広がりやすく、
所によりにわか雨があるでしょう。
西日本は概ね晴れますが、日本海側では所によりにわか雨がある見込みです。
南西諸島は雨が降りやすく、雷を伴い激しく降る所もあるでしょう。
【理想的な休日の過ごし方】
A、やることが多過ぎないでゆったり出来るのが嬉しいです。
【世界平和記念日】 せかいへいわきねんび World Peace Anniversary
☆11月11日は、世界平和記念日です。
世界平和記念日は、第一次世界大戦の終戦記念日であります
11月11日を記念日として制定しています。
<概要>
○ヨーロッパでの「世界平和記念日」
ヨーロッパでは第一次世界大戦で多くの死傷者を出しました。
その為、この日を忘れず、世界大戦を再び起こさないようにと
意味を込めまして「世界平和記念日」という名前が付けられています。
○「世界平和記念日が出来た経緯」
1914年7月から世界的な規模の初の戦争であります「第一次世界大戦」が
勃発しまして、多くの死傷者を出しました。
[第一次世界大戦] だいいちじせかいたいせん World War Ⅰ
○略称
WWⅠ
○第一次世界大戦
1914年から1918年までの間に起きましたヨーロッパが世界戦争へと
発展しました戦争です。
@サラエボ事件
列強といわれます帝国主義を掲げる国家の派遣を争います
帝国主義を背景とした戦いです。
この戦争の背景には各国の帝国主義の思惑が交差しまして、
「サラエボ事件」をきっかけに爆発しまして、
瞬く間に広まっていきました。
1914年にボスニア=ヘルツェゴヴィナのサラエボで起きました
オーストリア皇位継承者負債の暗殺事件です。
バルカン半島進出を進めるオーストリアが、
セルビアが領有を熱望しているボスニア=ヘルツェゴヴィナを併合したことが
事件の原因です。
サラエボ事件後・・・
オーストリアとセルビアの関係は著しく悪化しまして、戦争になりました。
この事件がきっかけとなりまして、第一次世界大戦が始まりました。
ボスニア州の州都サラエボでオーストリアの皇位継承者であります
フランツ・フェルディナンド大公が暗殺されました事件です。
この事件ではフランツ・フェルディナンド大公だけではなく、
体高の妻でありますゾフィー(ソフィー)様も殺害されました。
★オーストリア皇帝から軍事演習を視察するよう命じられた為
フランツ・フェルディナンド大公夫妻がボルニアを訪れました理由は、
オーストリア皇帝からボルニアで行われます軍事演習を
視察するように命じられた為です。
その後・・・
大公夫妻はボスニア州都サラエボを訪問しまして、
新設されます国立博物館の開館に立ち会う予定でした。
しかし・・・
大公夫妻はサラエボで待ち構えていましたセルビア人の
暗殺グループ「黒手組」の一員であるガブリロ・プリンツィブさんの
手によりまして殺害されました。
この事件が引き金となりまして、第一次世界大戦が始まりました。
@サラエボ意見はいつ起きたか
サラエボ事件が起きましたのは1914年6月28日です。
この日はセルビア人にとりまして特別な日です。
☆6月28日は聖ヴィトゥスの日と呼ばれる祝日
なんら暗殺事件と関係が無い日です。
しかし・・・
セルビア人達は、昔からこの日を「何かが起こる日」と信じていました。
★コソヴォの戦い
そのきっかけとなりましたのが、1389年のコソヴォの戦いです。
コソヴォの戦いはセルビア王国がオスマン帝国に
敗北した戦いであると同時に、
セルビア人暗殺者がオスマン帝国のスルタンであります
ムラト1世を殺害した日でした。
《ムラト1世》様
14世紀中頃にオスマン朝初期のスルタンです。
アドリアノープルを攻略しまして、新都をエディルネとします。
1389年コソヴォの戦いでセルビア等のキリスト教軍を破る等、
バルカン進出を進めました。
又、初めてスルタンを称しまして、
直属の軍事力としてイエニチェリを創設する等、国家基盤を作りました。
オスマン朝第3代の君主(スルタン)です。
在位1326~1389年です。
*在位は異説があります
1361年頃にビザンツ帝国第二都市でありますアドリアノープルを
攻略しまして、エディルネと改称します。
1366年に新たな首都としました。
オスマン帝国のバルカン半島支配の基礎を作りまして、
ィェ二チェリを創設する等、重要な事象を有します。
1389年のコソヴォの戦いでセルビア王国軍を破りましたが、
直後に不慮死しました。
ムラト1世の時代はオスマン朝の基盤を小アジアからバルカン半島に
移しまして、小侯国から帝国へと展開する転機となりました。
大公夫妻にとりましても6月28日は結婚記念日でした。
つまり、セルビア人にとりましても大公夫妻にとりましても、
6月28日は「いつもと違う日」でした。
@サラエボ事件が起きた場所
サラエボ事件が起きたサラエボ市は、
バルカン半島にありますボスニア地方の中心都市です。
オスマン帝国によるバルカン半島支配の重要拠点として発展しました。
1878年にボスニア=ヘルツェゴビナの統治権が、
オスマン帝国からオーストリア=ハンガリー帝国に移りますと、
サラエボもその支配下に入ります。
1908年には、オーストリア=ハンガリー帝国の領土の一部となりました。
サラエボは第一次世界大戦のきっかけになりましたサラエボ事件の発祥地です。
1992年に始まりましたボスニア=ヘルツェゴビナ紛争の
戦場となりましたことでも知られています。
紛争後・・・
サラエボは復興されまして、
ボスニア=ヘルツェゴビナ連邦の首都となりまして、現在に至ります。
○大セルビア主義
サラエボ事件でフランツ・フェルディナンド大公を殺害したのは、
セルビア人の青年です。
彼は1894年生まれでサラエボ事件の時は19歳です。
@ボグダーン・ツェラジッチさん
彼に強い影響を与えたのは、
ボスニア=ヘルツェゴビナ総督の暗殺未遂事件を起こし処刑された
ボグダーン・ツェラジッチさんです。
ボグダーン・ツェラジッチさんは、
バルカン半島西部はセルビアが支配するべきとする
大セルビア主義を主張しました。
彼(ガブリロ・プリンツィプ)さんも大セルビア主義に傾倒します。
問題 現在のセルビアの首都ベオグラードは「Oい町」という意味です。
意味を教えてください。
1、Crevena(赤色)
2、Bela(白色)
3、Braon(茶色)
ヒント・・・○モロッコ王国最大の都市「カサブランカ」
「カサブランカ」はスペイン語で「Oい家」という意味があります。
@プレブラナッツ(Oい豆を使用したセルビアの煮込み料理)
パプリカパウダーを加え、煮込んだものをオーブンで焼いたもの。
お分かりの方は数字もしくはセルビアの首都ベオグラードは「Oい町」という
意味があります。
何色かをよろしくお願いします。
ミオティカさん、土曜日の午前中にコメントをありがとうございます。
そうですね、ニュースで毎日報道がありますように平和ではありませんよね。
はい、そうですね、世界の平和を願いましょう。
はい、流石ですね。
パプリカパウダーの色は赤色で、特に煮込み料理に多いですね。
その他、お肉やお魚にまぶしたりして焼いたりする料理もありますね。
ミオティカさん、各地冷え込んでいる所が多いです。
どうぞ暖かくして、温かい飲みものを摂取することも良さそうです。
体調を崩さないようにどうぞお過ごしくださいませ。
なにやってんの今時~あっちもこっちも!
世界の平和を願いますー人ー
パプリカパウダーと言えば・・・赤ですね