Nicotto Town


どんぐりやボタンとか


外人

外人、と聞くと例えば白人や黒人のアメリカ人などを思い浮かべる人が多いと思う。

おれはニューヨークにかなり長く住んでいて、いつの間にかここにいることが当たり前になってる。
ところが、今朝、地下鉄の車両に入った瞬間、通勤時間で結構混んでて、車両内の人たちの顔がなんかいっぺんにおれの視覚に入ってきたように感じたの。
金色の髪の毛、青い目、黒い髪の毛、白い肌、褐色の肌、いろいろあるけど、たまたまその時の車両にはニューヨークにたくさんいるメキシカンやチャイニーズより、アメリカ人がほとんどだったの。
その瞬間、あ、おれって外人なんだな。って実感した。

まあ、もうすでにアメリカで暮らす法的な権利は得てるし、その気になればアメリカ国籍も手に入ると思う。
まあ、アメリカ国籍までは取得しないと思うけど。
でも、例えおれがアメリカ国籍を得て、法的にも完全なアメリカ人となったとしても、たぶん、この「おれって外人なんだな」って感覚は体のどっかにあると思う。

ニューヨークという街は自分にとって、第二の故郷みたいになってきてるのかも知れないね。
ただ、自分がアメリカ人とは思わないし、実はもともと日本人という感覚もちょっと薄い方かも知れない。
個人的な考え方として、国籍なんか無い。そんなものはなくて、あくまでおれやあなたは、哺乳類人科ヒトであり、もっと言えば、生き物である。と思ってる。
それと同時に、海外で暮らしていると、やはり、その国で生まれ育ったからこその独自の感覚というのはあって、アメリカ人にはやはりアメリカ人特有の「感じ」というのは間違いなくある。
もちろん、日本人にも。

ただ、自分が生まれた国じゃない国で生きることって、説明が難しいけど、何というか、「自分なりのオリジナルな形になりながらうまくやっていく」ってことなのかもなあ。って思う。

例えば、その土地には赤い花が多く咲いている。
そこに風に飛ばされて、全然違う土地で生まれた白い花が住み着いた。
しかしその土地は赤い花が生きやすいように出来ているから、白い花は生きにくい。
だけど、白い花は赤い花にはなれないし、なりたいとも思ってない。
でも、その土地にはいたい。
そこで、白い花は赤い花とは全く別の白い花独自の方法でその土地にアジャストしていく。
例えば、色を変えるのではなく、形を変えてみたり、自分の体内を変えてみたり、さまざまな方法を試しながら、白い花なりの方法を見つけ出していくのだ。

ニューヨークには多くのアメリカ人以外、つまり、外人が住んでる。
日本人も含め、中国、インド、韓国などなどのアジア系も、メキシコ、ブラジル、コロンビアなどの中南米系、そして、ヨーロッパもアフリカもアラブも、つまり、世界中の人が集まってる。
そして、もしかしたら、出身国によってはアメリカにアジャストしやすい人たちもいるように感じる。
でも、逆にアジャストせずに、思いっきり自分の国を持ち込んで、そのコミュニティの中だけで暮らしている人たちもいると思う。

おれはどちらでもなくて、白い花のように、自分の体内を変えながら、一生懸命この街で生きていくための術を身につけていったという感じだと思う。
んで、そうゆう人たちはきっとニューヨークには特に多いんだろうな〜って思う。

これって実は結構面白い経験なんじゃ無いかな?と思う。
でも、きっと、アメリカの保守系の州とかに行ったら、もっと難しいのかもな〜。
あんまり行きたいとは思わないけど。。

みなさんは、どこに住んでみたいと思う?
違う国や、まあ国内でも違う街とか。

おれはいろんなところに興味があるな〜。
また違う国に移っちゃおうかしら?
ふふふ。

でもさ、どこが自分に合うかなんて、やっぱり実際に住んでみないとわからなくない?
だから、やっぱり、国境ってナンセンスなんだよな〜。
そんなものがあるから人間はいつまで経っても不自由でくだらない争いなんかしてるんだよ。
まず、全員、戦争やめる。
武器捨てる。
悪いことしない。

全部、幼稚園で教わらなかった??

お友達叩かないで優しいおててにしようね。って。
幼稚園で、核爆弾持って、お友達を脅して自分のスペースを広げましょうね。って教わったの??
マジで、超基本ベースの簡単なことじゃないの?
そのために言葉ってあるんじゃん。

あ〜あ、世界に国境が無くなって、どこで暮らしてもよくて、みんなが協力しあって生きれるようになったら、もっともっといろんな国で暮らせて楽しいのにな〜!
さっさとそうならないかしら?
来週くらいに。

そしたら、きっと、「外人」という言葉が、もっと「自分とは違う種類の人」という感覚の強さが薄れる気がする。
つまり、その言葉はただ単に言葉通りに「外国出身の人」というだけの意味になり、もっと、外人であることが当たり前になっていくの。
ナショナリティを大切にしないという意味ではなくて、一つ一つの美しいナショナリティをお互いに学べる楽しめるための自由さが欲しいと思うんだよ。
誰かがそのナショナリティを楽しんだり、学んだりすることで、そのナショナリティが破壊されるのではなくて、逆に、もっと育つと思うよ。
それって、音楽やお料理と同じで、もし、音楽やお料理が、一つの世界だけで閉じ込められていたら、現在の豊かな音楽と食文化は無いと思うんだよ。
そして、新しい食文化や音楽が生まれたって、トラディショナルなものは破壊されないでしっかり残っていることも多いじゃない?
お寿司だって、スタンダードジャズだって、落語だって、そうじゃん。
カルフォルニアロールなんて奇怪なものがアメリカで産まれたからって、日本古来の寿司文化がなくなったわけじゃないじゃん。


話は戻るけど、まあ、来週になって国境が無くなったとしても、しばらくはここにいるだろうけど、でも、スイスとかベルギーとかドイツとかスペイン、イギリス、フランス、なんかにそれぞれ1年づつくらいお試しで住んでみたいなり。

アメリカって、ビザ取るのがたぶん世界一難しいらしいの。
んで、がんばってやり遂げたけどさ、でも、なんでおれがどこに住むかを誰かにジャッジされなきゃいけないの?っていまだに思う。

アバター
2023/10/27 08:07
ルルルのルさん、

だよね。
どこに住んだっていいじゃんね。
明日から、オーストリアに住むって言って、飛行機の乗ることは、誰にだって自由なんだよ。
本当は。
アバター
2023/10/26 17:16
本当にそう思いまする^^



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