Nicotto Town



クラシック・こんぷれっくす


独学最大の欠点は古典的素養の欠如。どの世界でもそうでしょう。
楽器を好き勝手にいじり倒し耳から入るものを音に置き換え悦に入り、
続けるうちに必ず気づく。クラシック、勉強しときゃよかったかな……?

深刻な悩みではなく、半ばというより九割諦めてます。
クラシックにしろ邦楽にしろ、一番大切なのは何ですかと問われたら、
楽器に対する正しい姿勢だと答えますが、もはや回復不能なので。

ピアノに正しく向かい、鍵盤に指を置く際の姿勢、力の入れ方と抜き方。
ギターや三味線をどんな姿勢でどう構え、どこに軸を持ってくるか。
スポーツ科学と同様、歴史と経験に裏付けられた合理的「正統」がある。

これができないんです。やれないから「正しい」音が出せない。
道具(楽器)の問題は軽微であり、あくまで自分自身の体の問題。
たった一音を、クラシック「同様」に鳴らすことは甚だ困難なのです。

幼少から楽器を正しく学び、教えるレベルに達している人はみな知っている。
ピアノ普及率の高い日本には、そんな人がゴロゴロいるわけでして、
そういう方々がピアノに向かってる姿を見ると、ああ俺ダメだと絶望する。

二十一世紀の音楽のキーワードとしてマルチリンガルを挙げる人が多い。
西欧古典音楽、民族音楽、ポピュラーにジャズにロックを分け隔てなく、
同等に音楽的源泉として扱う姿勢でして、異を唱える人は少ないはず。

……アタシゃ臍曲がりなので敢然と歯向かう。公言する。
バッハを唸りながら体をくねらせ自分のテンポで弾いてはアカン。
細棹三味線をストラップで首から提げ、太棹みたいにかき鳴らしてはアカン。

クラシックのコンサートでもマルチリンガル的催しが主流になった。
ヴァイオリンソナタ聴こうと出かけたら第二部でアンプが用意され、
エレキベースやキーボードが並んだ。周囲の高齢者は楽しんでる。チガウなー。

フジコヘミングは嫌いだが、ああいう雰囲気で弾きたい気持ちは理解できる。
リヒテルみたいに弾けとまではいわないが、ロックギタリストみたいに動き、
カメラ意識したように陶酔の表情を作るクラシック演奏家には疑義を呈したい。

これも歪んだコンプレックスなんですね、自覚はしております。
自分が拒否し敬遠した「正しさ」を、正統な人々には今後も継承してほしい。
そんな自分勝手なワガママの為せる業なのです。でもねー……。

西欧古典音楽は結局王侯貴族やキリスト教と切り離せないわけで、
「正しく」演奏するにはキリスト教徒でないとイカン!という偏見もある。
教会音楽にはこれが残っており、オルガン曲やミサ曲聴くのは楽しい。

より音楽的な話になると、譜面というものに向かう姿勢を避けて通れない。
譜面の苦手な私はいまだに「正しく」譜面を読むことができないのですが、
譜面を十全に再現するのがクラシックだという妄想も強く抱いている。

邪道音楽は、そういうことをハナから無視して始まってますから、
演るのに支障はない。好き勝手やって自己表現と嘯けばよい。
でも、それは譜面を正確に演奏してくれる方々がいることを前提としてまして。

古典には、古典の姿を守り継承してほしいという思いが強い。
雅楽に能楽に歌舞伎、人形浄瑠璃に小唄に木遣り、邦楽だって素晴らしい。
「正しい」音楽を指咥え眺め嘆息するのも、古典への我が劣等感の発露です。




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