Nicotto Town



9/21 キラキラと4択

仮想タウンでキラキラを集めました。

2023/09/21
キラキラ
集めた場所 個数
自然広場 4
おしゃべり広場 5

4択  「みそ


キラキラ  「自然広場」釣り堀 店舗

     「おしゃべり広場」半円形展望台 右側 

4択  一番好きなラーメンの味は? → みそ



どれも美味しい!!
味噌味は冬に食べたいなぁ。
塩味は夏で。
でもどれでもいつ食べても美味しいーーー。

ラーメンへの飽くなき愛!
を抱く人は毎日3食ラーメンらしいがそれはちょっとどうよ。
いや、彼らもそれが体に悪いことは理解している。
しかしラーメン愛がそれを上回るのだから仕方ない。

エジプトに夢中な吉村教授なんてラーメン食べてイスラム教徒の奥さんから離婚された(チャーシューは豚肉だから)。
そのぐらいラーメンとは罪の味だ。

ラーメン愛好家に「ラーメン元年」と言われるのは1910年(明治43年)。
浅草に日本人経営者が横浜中華街から招いた中国人料理人12人と共にオープンした「来々軒」が1910年営業開始だからだ。
そこに当時は「南京そば」「支那そば」と呼ばれていたラーメンがあり大人気を博したのだった。

江戸末期に開港した横浜、長崎、函館、神戸に多くの外国人がやってきたのだが、その中に清からの留学生や移住者がいてそこに飯屋をオープン、当然ラーメンも販売され日本人も食べに行ったりしていたらしい。

それから100年以上。
日本のラーメンは日本人の魔改造癖により中華拉麺とは別の食べ物に育った。

最初の来々軒で提供されたラーメンは「醤油スープにチャーシュー2枚 めんま3本 刻みネギを散らした」すっごくシンプルなもの。

清で作られていた拉麺がどんなものだったかわからないが日本に移住にきた清の人はたぶん下層民。
その人達が食べられる拉麺となると安いのがウリなものになるのだろう。

現在の中国の拉麺を見るとスープ少なめでその分具材が盛り盛りだ。
元々中国人は拉麺のスープにこだわることはないと言われている。
すると清でも通常は具材を食べるために口休めに麺と汁があるぐらいのものだった可能性が高い。
今でも中国の麺はコシがないらしい。
麺は主役ではなく具材が主役なのだから主張しないでいいらしい。

スープがなみなみと入った日本のラーメンは、腹を含ませるために安くて済むスープが多めだった日本に移住した清の人の労働者からもたらされたものだったかもしれない。
そしてうどんやソバを食べ慣れた日本人のためにラーメンの麺のコシは強くなった。
最初からだったのか、それとも販売していくうちに・・・だったのかはわからない。

スープもどんどん改良が加えられ昭和初期には煮干しで出汁をとったものを使用していたらしい。
日本人の舌に嬉しい味にかわっていったんだな。
そもそも「来々軒」だって高級店ではない。
日々の労働者や学生さん、家族連れがやってくる普通の町中の一般店だ。

以前、PCライフで遊んでいた人で横浜ラーメン博物館の中の1店舗で働いていた人がいた。
彼が言うには「ラーメンは他店で捨てられるような素材で作れる」らしい。
野菜の切って捨てるような部位やむいた皮などを煮詰めて出汁をとるからだそうだ。
だとすると日本で出店していた江戸末期の清の拉麺屋はめっちゃ下層の食べ物であった可能性が高い。

でもそれがシンプルであったからこそ、そこからのアイデア次第で様々な今のラーメンに繋がっていったのかも。
最初から具材メインの拉麺が広がっていたら今の日本のラーメンはなかったかもしれないと思うと感慨深いものがある。

アバター
2023/09/21 18:53
「魔改造の夜」が、ゴールデンタイムに昇格してた。




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