Nicotto Town



噂や聞いた話を書くよりも実際の事を書こう。



此れの前にも書いたが私は義務の性加害を受けていて何と母親も義父の方に付いて死を決意して死ぬ寸前に其の子を止めた経験がある。

私は其の子の一人の友人から「もう私一人では死ぬのを止められないし」と事情を縋る様に突然悲鳴の様に言われて其の子を死ぬのを止めるから何と其の義父と母親が追いかけて来るので助けてと突然言われた。

同時其の事同じ歳だった子供の私が出来る事は其の黒い車から降りて来た男を何と傘で立ち向かう事しか出来なかった。

学校に乗り付けた其の車の後部座席には実の母親も乗っているのが見えた。

私の傘を乱暴に取って投げ捨てた私は学校の玄関で「ぎゃーぎゃー」と騒いで大人の男に食らいついた。

兎に角そうやって騒ぎ立てた。物凄い力で突き飛ばされても「うわーっ、ギャーぐああああ」と大声を上げて食らいついた。

こんな反撃をして来る子は何だと其れでも何度か乱暴に引っ剥がされて突き飛ばされた。

そんな事をしていると学校の玄関なので事務の女の人が出て来た。

そして私は唯「不審者、不審者」と騒ぎ立てた。

バタバタと事務室から大人の人達が出てきて其の男の前に立ちはだかった。

其れは一瞬の事の様に思う。逃げる様に階段を上げる私が一瞬見ても日本人形の様な其の女の子は真っ青な顔で階段を上がって行く。
其の後を其の子に死ぬことを告げられた友達が追いかける。
其の姿に其の男の言葉は今もはっきりと耳に残っている。
「誰のおかげで学校に通えると思ってんだ!」と。

事務員たちが其の男を学校に侵入するのを阻止している間に私は其の子達を追いかけた。

正に屋上から飛び降りる寸前に私は其の子の制服を掴んだ。
そして必死に屋上の淵に両足をかけて其の子の服を掴み続けながら「男の先生を呼んできて!」と叫んだ。

とても半分体が落ちている其の子を女の力では持ち上げて屋上の床の上に置けないと思ったからである。

意外と早く男の先生が来てあっという間に其の子を屋上の床に引き戻すと私は其の教師に突き飛ばされて屋上の壁に激突てへたり込んだ。

其の先生を呼んで来た子は明らかに私が屋上から其の子を落とそうと誤解した事に気が付いて「違うんです、ちがうんです」と必死に行っているが、其の男の教師は「お前は其処にのこっていろ」と怒鳴ると其の女子の方を抱いて知らせに来た女の事屋上から出て行った。

私は其のままへたり込んでしばらく其の場に置かれていた。

すっかり夕焼けが濃くなった頃に思い出したように其の男の先生がきて「お前は帰って良い」と言われた。

かなり長い間私は屋上に居たので其の間に事情が先生達に解ったのだろう。

先生達から一言もよくやったの言葉も無く、私はぽつぽつと其の後の事情が解ったのは其の唯一彼女が打ち明けていた友人からである。

職員会議にかけられてとても其の子を家に帰すわけに行かないと成った様である。

だがどの教師も其の子を当面預かると言う教師はいなかったが唯一2年契約でアメリカから来ていた英語の教師が彼女を預かると最後に行って其の子は其の教師と一緒に住んで心の傷が収まるまで其の英語の女教師と住む事になった。

所が其の父親が弁護士を連れて「未成年誘拐にあたる」とか「子供を母親の所に返すべきだ」と圧力をかけて来た。

今はどうなるのか解らないが法的には「親の元に返さなければならない」と言う事になったと其の友人から深刻な顔で聞いた。
そうなったら彼女は必ず死ぬだろうと彼女は行って心配していた。

何と其の事態に其のアメリカ人の先生は日本では此の子は守れないと言う事を察してアメリカ大使館に相談に行ったらしい。

そして「貴方にはアメリカが付いている」と励ましたらしい。

どういう手を使ったのかは解らないが其の高い地位と金のある義父は会社に知られる事を避ける為にしばらくの間其の子を学校に任せる事にしたらしい。

でも其の先生が預かれるのは2年だけで其のアメリカの先生はアメリカに帰ってしまう。

私は其の後はどうするのだろうと思いながらも事の深刻さから学校の力のなさなのか、誰も其の後の事は口にせず、ただ其の友人から聞いた事は何と母親も其の母親の祖父母も娘を短大まで行かせてやると親子ともども面倒を見ると言う義父の意見を支持しているとの事。
女で一つで娘を短大まで行かせる事は出来ないし其の方が娘の為だと思っているので祖父母にも預けられないとの事だった。

2年間は其の先生と暮らしている事は確かで其の後の事は誰も口を閉ざしている。

母親や祖父母に説得されて家に帰ったのかもしれないし、誰も其れに触れては行けない雰囲気だった。

唯解って居る事は其の義父は誰にも罰せられずに高い地位と金持ちの変わらない生活を保ったと言う事である。

アメリカの先生は涙を流して悔しがったらしいが、自分の出来る精一杯の事はして無力感を持ってアメリカに帰って行ったとだけ其の雰囲気を其の友人からぽつりと聞かされた。

命を助けたつもりの私には何の報告も無く、寧ろ教師たちは私に何かを問われるのを恐れている様であった。

教師達も自分達の無力さを感じていたのかもしれないが、私には此の国は死ぬほど苦しんでいる少女を助ける事が出来ないんだと感じた。

今の私なら証拠をいっぱい集めて其の男の会社に乗り込んで行くのと同時にマスコミにも新聞社にも本人が闘う気力があるのなら訴えて慰謝料を取って其のお金で短大に行く費用にすると思うのだが
何せ最初が傘て立ち向かうと大声で騒ぐ事しか思いつかなかったので当時の私には其の知恵はなかった。

当時の教師達も無力さをぐっとこらえなければならない法も含めた現実があったのだろう。

其の義父を警察が捕まえられる法律が在ったのならと思うが実の母親と祖父母が生活が出来なくなると言う事で止めたのかもしれない。

つまり実の母親と祖父母の壁は生活苦の現実に人身御供の様にお人形の様に可愛い娘を差し出す事だったのかもしれない。

そして其のおぞましい体験が彼女に死を決意させたのだろう。

私は彼女がキャバクラ嬢になってもホステスになっても生き延びていて欲しいと思う。

銀座のホステスになって勝ち誇ったように私の前で「当時は助けてくれてどうも」何てしなを作りながら品そな暮らしをしている私を見下しても良いから強く生きていて欲しいと思う。

ジャニー氏の被害者達にも同じ様な思いがある。
負けないで強く生きて欲しい。




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