甲子
- カテゴリ:占い
- 2023/07/05 17:15:45
ニコットおみくじ(2023-07-05の運勢)
こんにちは!前線が通過し、西日本は雨。
夕方以降は、東日本と、北日本の一部でも雨が降る。
沖縄は曇りのち雨。
最高気温は平年並み低い所が多い。
【甲子】 きのえね こうし かっし
☆干支の一つで、絵との組み合わせの一番目です。
<概要>
〇干支「十干(じっかん)十二支(じゅうにし)」
@干支
紀元前1600年頃から中国で使用されていまして、
日本には553年に伝来したといわれています。
553年 欽明(きんめい)天皇14年
★553年前後の出来事
仏教公伝、蘇我稲目(そがのいなめ)さんと
物部尾興(もののべのおこし)さん
日本に伝来しました仏教ですが、
実はすんなりと受けいられることはありませんでした。
仏教推進派と仏教反対派の2つの派閥が出来上がりまして、
激しい対立が始まってしまいました。
これが宗教だけの話なら大きな話にならなかったのですが、
この宗教対立に政治的対立と皇位継承問題も重なりまして、
最終的には丁未(ていび)の乱という戦いにまで
発展するほどの問題になりました。
〔八百万(やおおろず)の神と仏教伝来〕
日本には古来から自然を神と崇(あが)める八百万の神への
信仰がありました。
日本は多神教でした。
そこに仏教による多数の仏様が日本に持ち込まれました。
*多数の仏様・・・釈迦如来様、阿弥陀如来様、薬師如来様 等々
仏教は神様ではありませんので、
考え方によりましては日本古来の多神教と仏教はうまく融合するものです。
現に日本の歴史では長い間、日本古来の神への信仰と仏教は
共存をしていますし、現代でもそれが維持されています。
お正月に初詣に行きまして、
夏にお盆でお墓参りをします姿はまさに神道と仏教の
共存を示しています。
しかし・・・
当時の日本人は仏教におけます仏のことを神として捉えていました。
その為・・・
「既に古来より信仰している神々がいるのに、
そこに異国の神を持ち込むとは何事か!?」
このように宗教対立が始まりました。
〔物部尾興さんと蘇我稲目さん ー崇仏論争ー〕
こうして朝廷内は仏教推進派と仏教反対派に分かれることになります。
そして、互いの代表者が・・・
・仏教推進派:蘇我稲目さん
・仏教反対派:物部尾興さん
≪臣(おみ)と連(むらじ)≫
蘇我氏と臣という身分の一族でありまして、
さらに臣の中でも代表的な一族でしたので、
大臣(おおおみ)というポジションを得ていました。
一方の物部氏は連という身分の一族でありまして、
連の中でも代表的な一族でしたので、
大連(おおむらじ)というポジションでした。
臣は傍系であれ皇族の血が流れているのに対しまして、
連は皇族の血は引いていません。
よって・・・
連が天皇との結びつきを強める為には、
実務で天皇の為に貢献する他ありません。
そんな事情もありまして、連の一族は代々、
特定の分野に特化致しまして天皇に近侍することが多く見受けられます。
実際に大連の物部尾興さんの一族は代々、
軍事や整備を司ります一族でした。
さらに・・・
後続との血の引かない神々の系譜を持ち増す連は、
同じく皇族の血を引かない神々でありまして、
ライバルになりうる異国の神を快く受け入れることは不可能でした。
≪革新派!渡来人を束ねます蘇我稲目さん≫
蘇我氏は渡来人系の人々を束ねていました有力豪族であったと
いわれています。
渡来人と深く関わっていました蘇我氏は、
仏教を比較的容易に受け入れていきます。
そもそも本格的に日本に仏教が伝来します以前から、
渡来人は私的に仏教を信仰していたともいわれています。
蘇我一族は渡来人から伝来した最新の技術や文化を把握することで、
朝廷に強い影響力を持っていました。
物部氏=保守派 蘇我氏・・・革新派
そして両者の対立は宗教対立であると同時に、
政治的対立でもありました。
物部尾興さんと蘇我稲目さんとの対立ですが、
当初は圧倒的に蘇我稲目さん有利の展開でした。
当時の欽明天皇(540~571年)でありまして、
蘇我稲目さんとかなり親密な関係でした。
娘さんを二人も嫁がせている上に、
将来的にその息子さん達が天皇になっています。
欽明天皇は蘇我氏の持ち増す大陸の最新文化や技術を利用して、
勝利を収めました。
しかし・・・
蘇我稲目さんが仏像制作等の仏教信仰に励んでいますと、
疫病が流行します。
そして、物部尾興さんさんが八百万の神の怒りにより発生したと、
欽明天皇に直訴します。
政治を円滑に行う為に蘇我氏と結びついたといわれています。
欽明天皇は物部尾興さんの意見を採用し、排仏運動を認めます。
こうして、多くの仏像や仏塔が破壊され、
日本初の排仏運動が行われました。
仏教信仰は一時停止した状態になり、
崇仏運動に関わった人々は亡くなっていきます。
570年 :蘇我稲目さん
571年 :欽明天皇
570年頃:物部尾興さんの世代交代
蘇我稲目さんを引き継ぎましたのは:蘇我馬子(うまこ)さん
物部尾興さんの引き継ぎましたのは:物部守屋(もりや)さん
〇甲子
甲は、五行思想の「木」が割り当てられまして、
陰陽思想の「陽(兄)」に分けられますので「きのえ」になります。
甲:五行思想の「木」の性質を持っています。
子:「水」の性質を持っています。
木と水の運気の組み合わせは・・・
「自然界の調和がはかられ、流れが良くなる」
このようにいわれていまして、非常に相性が良いそうです。
その為、甲子の日は・・・
・長く続けたい物事はこの日に始めると良い
・この日から始めたことは良い流れを持ち、長く続く
・この日に行動を起こすと運が良い流れになる
このようにいわれています。
問題 甲子が付く温泉がありますのが甲子(かし)温泉です。
甲子温泉の名前の由来を教えてください。
1、甲子(きのえね)の年に温泉が発見された
2、亀が村人の病いを治癒したから
3、甲子の年に噴火があったから
ヒント・・・〇命名
至徳(しとく)元年(1384年)に、
伊豆国最勝院(現:伊豆市)開山和尚吾宝(ごほう)禅師の
高弟州安(しゅうあん)和尚が諸国修行の旅にでました。
白河の関で粗末な小屋を建てて日夜修禅に励んでいたある夜、
一人の老翁(ろうおう)が訪れました。
「この辺鄙(へんぴ)な山隅には誰も知らない霊泉がある。
出来るなら和尚の力で、人々の病患を除く為、
民間に知らせて欲しい」
このようにいわれました。
鶴生村の猟夫と語らい、発見されたのが甲子温泉です。
お分かりの方は数字もしくは甲子温泉の名前をよろしくお願いします。
はい、そうですね、七夕の花金ですね。
はい、正解です。
場所を書きませんでしたが福島県の温泉です。
はい、温泉により様々な効能がありますものね。
はい、お天気がもしかしたら変わる可能性もありますので、
気圧変動等で体調を崩さないようにお気をつけてお過ごしくださいませ。
七夕の花金、お疲れ様~☆彡(_´Д`)ノ~~オツカレー♪
1、甲子(きのえね)の年に温泉が発見された☆彡(`・ω・´)b
温泉イイよね~♪温泉、大~好き☆彡(n*´ω`*n)
時節柄ご自愛くだしゃんせ~☆彡(=・ω・=)にゃ~♥
無理せず無茶せず体を労わりつつ、楽しい週末&良い日曜を~☆彡◡( ๑❛ᴗ❛ )◡ルン♥