Nicotto Town


ぴのぴののなんでも日記


『どうする家康 はるかに遠い夢』考察!うーむ。


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 この回は神回なのでしょうか??たぶん日本史YouTuberは今頃、自説まとめるのに大変な時なのでしょう。ぼくはドラマとして観てての納得感だけで記録取ってますが、それにしても???と感じた回でした。よっぽどこの前半半年で消えて行った部下たちの方が泣けたなあー。

 では「はるかに遠い夢」の考察です。

・結局、信長の真意はわからないままじゃん。明示はしないけど、強圧はかけたし、佐久間信盛にはそうじゃないとクビにするし、どう着地するのが本意だったかがわかんない。
・五徳のチクリ状は築山殿の仕掛けということ?直前の同盟策でさえ漏れてんのに、信長怒らせて、絶対逃げさせることは不可能。
・「身代わり」という言葉が最初に出た瞬間で、絶対に拒否して失敗するっていうのは読めたかな。
・女性も「介錯???」されるのかなあ。
・浜松からの距離感が余計わかんなくなった。ぴったりのタイミングで運良く霧の中、お別れできてよかったねえーー??
・武田勝頼はためにためたあげく、「家康はひどい」とは。おめーがぶち壊したくせに。これが武田滅亡のトリガーなんだろうな。
・見終わっての通しての印象は、瀬名が一貫して先導して結局は一切言うことを聞かずに、突っ張り続けた感が残り、散っていった過去の部下たちの最期と比べて共感できなかったな。
(逆にこれでもかというくらい、過去の切り貼りのお花畑シーンが多過ぎ。)
                  かな?
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2023/07/07 00:08
 きっ、きったあーーー!!!
 なんと、ユーミさん4部作!!!
 これは、前回解説はもちろんのこと、次週見る前に勉強になるなあー。
 そうなんだあ。
 武田滅亡の悲哀も、本能寺までの鬱積も、大河1本分のテーマですもんねえ。
 本当にどうもありがとうございます。
 前情報全く無しに「岡部元信」を見逃がさなかったことだけが救いでした。
 そっか、富士遊覧ってもう決着した後・・・。
 そして本多正信がいよいよ!!!!

 
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2023/07/06 14:24
和睦交渉は長引かせます。
その間に、家康が岡部元信が守る高天神城攻めにかかります。ドラマのおままごとな城攻めではなく本気の城攻め。
高天神城への補給を担っていた諏訪原城は、築山・信康事件の前には徳川方に落ちているので、高天神城は補給無しで戦う事になり兵糧が尽きる事に。
本来なら、勝頼は高天神城に援軍をださなければならないのですが、織田との交渉を抱えている為に織田の同盟者である徳川と戦う事を選択できず援軍を出せません。
岡部元信は降伏を申し出ますが、家康はそれを拒否(徹底的に高天神城を追いつめる、というのが信長からの指示だったので)。
このままでは餓死するしかない状況まで追い込まれた岡部元信は撤退する為に全将兵で打って出ますが、残念ながら包囲を突破できずにほぼ全滅した模様です。

高天神城落城の顛末で勝頼は味方を見捨てる卑怯な愚将だ、とされてしまい、その後武田は雪崩をうったように崩壊が始まります。
裏切りが続出して、織田・徳川の甲州征伐の際は殆ど抵抗できなかったらしいです。
最終的に勝頼は天目山で妻子と共に果て、勝頼の兄弟(長男と三男を除く)は末弟(信玄の男子の末子)信清を除いて全員死亡。
信清のみが、上杉に嫁いだ菊姫(信玄の末姫。信清と多分同い年)を頼って上杉に落ち延びて命を長らえます。
信清は上杉に仕える事になり、米沢武田家の祖となって家は幕末まで続きます。
武田滅亡の顛末は詳しくやらないでしょうから、ここでご紹介です。

次回の信長の富士遊覧は、甲州征伐の帰りに富士を見たいという信長の希望で、家康が急いで帰国して準備を整え信長を饗応したものらしいです。
家康はこの後、駿河拝領(一応氏真に駿河を返したい旨を信長に言上したらしいですが、信長が認めなかったとか何とか…)の御礼言上の為に安土に出向き、そこで饗応を受けるのですが、信長が手づから膳を運んだというので、富士遊覧の礼を兼ねていた可能性もあるかも。

いよいよ迫って来た本能寺ですが、これもナレーションで終わる可能性大。
それよりも、家康の伊賀越えでやっと、や~っと本多正信が合流するでしょうから、其方の方が楽しみです。正直言って、信長はど~でもいい、とさえ思っているので。
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2023/07/06 13:40
姑が武田と内通しているとか、夫が僧侶を殺した、芸人を射殺した、などの内容は後付け臭いです。
ドラマの様に築山殿が責めを一身に背負うためにわざと書かせた、というのもドラマとしては有りでも現実味は無いですね。

信長の真意はねぇ…
古沢氏版の信長は、今一つその人物像が掴みづらいです。
「麒麟が~」の信長は、承認欲求の塊で子供じみた部分を大人になってからも抱えていた人物として描かれていたと思いますし、この解釈で多分間違っていないと思っていますが、「どうする~」の信長は分からない、の一言です。
ただ、佐久間信盛の言が駄目だったのは分からなくもないです。
織田・徳川の同盟は今後も維持されるとはいえ、最も強固な婚姻という結びつきが信康が亡くなったことで破綻してしまったわけですから。
それを、良かった良かった、と能天気にしていたわけですから、こいつは何もわかってない、と思われても仕方が無いでしょう。
次男の秀康は家康に認められていませんし、三男の秀忠は信康切腹の直前くらいに産まれたばかり。
実際、信康の死後に織田・徳川で婚姻は為されていません。

身代わりは、通説と違ってラブラブ夫婦な家康と瀬名なので、築山・信康事件の際には身代わりをたてて二人はどこか遠くから家康の偉業を見守るのかな、と思っていました。
予想以上に潔良すぎた二人は、あっさりと果ててしまいましたけど。
家康が化けるのに必要な試練だった、ということなんでしょうか。

武田滅亡のトリガーは、ドラマでは今回の事件に思えますね。
次回が信長の富士遊覧なので、武田滅亡はナレーションに終わる可能性がありますから。
実際は、御館の乱で上杉景虎(北条氏政の弟)が自害に追い込まれた事で甲相同盟が破綻し、武田と北条の争いになって不利になった北条が織田に臣従。
臣従の形で北条が織田と結びついたため、勝頼は織田との和睦と同盟を模索し始めます。
正直、これには疑問しかありません。
信玄の代から信長の面目を潰しまくっている武田が、織田と和睦できると何故考えたのか。
北条と同様に臣従ならともかく、勝頼が求めたのは対等の同盟。
ちなみに交渉担当は穴山梅雪。
どう考えても無理ゲーで、これが穴山梅雪が武田を裏切る原因になったと思われます。
梅雪からもちかけたのか、織田が梅雪に誘いをかけたのかは不明ですが。

信長は武田を滅ぼすと決めていたので、
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2023/07/06 12:48
他にも、書状を届けに行ったのは酒井忠次だけではなく大久保忠世(自称色男)も同行していた筈が三河物語には触れられていません。おまけに酒井を坂井と記述してますし。
三河物語の作者は大久保忠世の弟の大久保彦左衛門忠隣なので、家康公の暗部に大久保一族が関わった事を無かった事にしたかったのかもしれません。
三河物語は神君家康公ヨイショ物語であると同時に大久保一族ヨイショ物語という一面もありますので。

さて、三河物語では五徳姫の12か条の訴状が信康切腹の切欠になっていますが、他の記録当代記では信長のもとに酒井忠次&大久保忠世を使者として送ったのは家康本人であり、信康が父たる自分(家康)や舅である信長公までないがしろにし、こちらがいう事を全く聞き入れない。家臣・領民に対しても非道を行っている為廃嫡したい、と許可を求める内容の書状を送ったとされています。
これに対し信長は、家康存分次第、要するに家康の思い通りにすれば良い、と返答したとのこと。
それを受けて、家康は築山殿と信康を処断した、というのが当代記の内容ですね。

三河物語では嫁姑の対立とし、当代記では父と息子の対立、としているわけです。
後者を裏付けるほどではないかもしれませんが、家康が信長側近の堀秀政にあてた書状(一次資料です)に岡崎三郎(信康)不覚悟につき岡崎城を追放した旨信長公に良しなに伝えて欲しい(意訳)、といった内容が記されています。

また最近有力視されてきているのが、家康と信康の対立は当代記と同様でそこに家康の浜松家臣団と信康の岡崎家臣団の対立が加わった説です。
武田と和睦したい岡崎家臣団と三方ヶ原の恨みも有って武田と徹底抗戦したい浜松家臣団との対立が、家康・信康父子の対立に発展したのかもしれない、というわけです。

個人的には最後の説が一番現実味があると思いますが、とにかく一次資料が少ないので、真相はまだまだ闇の中と言えます。
ちなみに、三河物語の説は個人的にはナシです。
五徳姫の12か条の訴状自体、あとから諸々書き加えられた形跡があるらしいですからね。
二人目の娘が産まれたあと、嫡男が必要だ、と築山殿が信康に側室を薦めたことで五徳と築山殿との仲が悪くなって(もともとあまり良くはなかったかも?)、信康との仲も悪くなった、といういのは確からしいので、姑が~、旦那が~、と愚痴くらいは書き送ったかもですが、

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2023/07/06 11:38
こんにちは^^

築山・信康事件の顛末でした。
大河ドラマはフィクションなので、エンタメと思えばなんとか及第点なのかな? と思わなくもないですが、個人的にはあまり出来が良いとは言えないエンタメでした。
シーンごとに区切れば悪くはないです。
大鼠の瀬名介錯や半蔵の信康介錯の各シーンとかね。
ですが、全体的に見ると今一つしっくりこない…
ジグソーのピースが幾つかかみ合っていない不自然さとでも言いますか。
真・三方ヶ原の回と違って、気持ちが入って行き辛い感じ。

築山・信康事件は、いわば神君家康公の隠すべき暗部、と言うべき事件ですのでハッキリ言って謎だらけで、これが真相だ、というものは未だ見つかっていません。

今迄の通説は、概ね三河物語に書かれた内容を元にしています。
築山殿&信康との仲が著しく悪化した五徳姫が二人の悪逆非道な行いについて12か条にわたって父である信長に手紙で伝え、その中に築山殿が武田と内通している、という箇所があったため信長が書状を持参した酒井忠次に真偽を問い質したところ、忠次がそのとおりである、と答えた為に信長が信康を切腹指せよ、と命じたとあります。
その為、信康は切腹し築山殿も自害もしくは殺害された、というのが昔からの通説でした。

しかし近年は、この三河物語を根拠とした通説には疑問が呈されています。
そもそも三河物語では築山殿が武田に内通しているとあり、信長はそこを問題視した筈なのに信康切腹を命じているんですよね。
まぁ、母親が内通していれば息子も関与しているだろう、という判断かもしれませんが、それなら両者の処断を命じれば良い筈。
また、信康切腹のみを命じているのに築山殿迄処分されたのは何故? という疑問も湧きます。

信長に五徳姫の書状の真偽を問われた酒井忠次が弁明もせずに認めた、という点もおかしいです。
うまく言い訳が出来なかった為に嫡男を喪う羽目になったにも関わらず、家康は忠次を重用し続けます。
彼は築山・信康事件後も徳川四天王筆頭で居続けました。家康に疎まれた様子もありません。

また、家康が妻子を喪う事になった元凶ともいえる五徳姫ですが、関ケ原の後彼女は徳川の庇護下に入り、2000石近くを与えられて京で悠々自適に暮らしています。
嫡男を死なせるきっかけとなった女性を、その生殺与奪権を握った後に庇護し生活の面倒をみた訳ですね。






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