Nicotto Town


ぴのぴののなんでも日記


『どうする家康 築山へ集え!・・・。うーーむ。


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 今回は、受験日本史型のぼくにとっても、何だか違和感残る「お芝居」見ちゃったなあー。って感じ。興行の映画だったら、大赤字で叩かれるんだろうな。今日時点、ネットもきつめみたい。
 では「築山へ集え!」の記録です。
・先週からの流れで、?、?、そこまで瀬名は力あったっけ。武田信玄より偉大じゃん。
・正月、キャストに服部半蔵=山田孝之を見て、期待大だったけど、もうこくなダメキャラ確定かい・・。
・大鼠は1か月床下で、あの竹包みはおにぎり差し入れってこと??じゃあ、水分どうすんの?
・再登場はあると思ったけど、今川氏真をここで使うのかあ、また隠居の久松も・・。史実の記録が無いから、役者総動員って感じ。
・浜松と岡崎の距離感がわからないが、兵をしたてるほど遠くか。そもそもなぜ夫婦別居か。
・さて、本題の計略。築山、五徳の悪女説をことごとく真逆に潰してあっと言わせたいんだろうなあ。きっつー。
・現代風潮に忖度し、女性登用、所得格差是正、ジェンダー平等、等々に傾いちゃって、あとはSDGsと人種差別が出てくんじゃね?
・あの築山構想は、世界史で習った「ソビエト社会主義共和国連邦」の散った妄想みたい。大名と小国の連邦、資金、食料の融通、不可侵、貨幣統一とか。
・それから、織田との対抗での2大勢力構想は、近代の米ソ2台国での冷戦のチキンレースみたい。
・最終回は、習近平家康か、徳川ぷうチンになってるかもね。
・やっば総務省管下のNHKが受信料で作るとこういうことになるのかなあー。
・来週はさぞかし悲劇的に・・・・。
                   かな?
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2023/06/29 23:38
 ユーミさん、早速のコメント、どうもありがとうございました。
定点だけ押さえれば、その間はなんでもあり!!方式、ここに極まれりって感じです。
ふと考えたのは、本能寺の変とか、小牧・長久手とか、関ヶ原も結果は合わせて、もういっそ、めっちゃくちゃにして欲しくなりましたー。
 現代おもねる版なら徹底して、タイトル「どうする家康」を貫いて、優柔不断のまま大往生まで行ってください。
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2023/06/29 21:36
こんな状態で、東国での同一経済圏構想など現実味がなさすぎるんですよね。

それに、仮に東国経済圏が成立しえたとしても、この頃の東国は貧しいので、畿内を押えた織田の経済圏に対抗出来る可能性は限りなく低いと思われます。
物理的な戦が無くても、経済戦争でねじ伏せられるのが落ちでしょう。

再登場した今川氏真ですが、家康が武田から奪った諏訪原城から改名した牧野城の城主に任ぜられていた頃です。
ただ牧野城に常駐はしておらず、城番を置いて普段は浜松で家康に近侍し、必要に応じて牧野城に通っていた模様。
ちなみに氏真は、長篠・設楽原の戦い以前に信長と相国寺で会見していて、信長の所望で相国寺において公家たちと共に蹴鞠を披露しています。
この頃の上級武士にとって蹴鞠は必須の教養の一つでした。

さて、次回は築山殿と信康の死、なんでしょうね。
築山殿・信康事件は資料が少なくて謎です。
一次資料は、家康が堀秀正にあてた書状と家忠日記の2点のみ。しかも日記の方は肝心の事件についてはぼかされていて真相がわかるようなものではありません。
他は二次資料の松平記、岡崎東泉記、三河物語あたりなのですが、事件に関しては真相を隠蔽すべく相当に捏造しているのではないか、という疑いがあります。
それらを踏まえて、待て次回、ですね。
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2023/06/29 21:07
こんばんは^^
 
今回はほぼフィクション回だったので、歴史解説といういものは出来ません。
やりようがないです。

築山殿が唱えた「慈愛の国」構想は、言うなれば戦国版EU構想と言えるものだと解釈しました。
同じ銭を使う云々と言ってましたし。
EU加盟国が使用するユーロの様なものでしょう。

ですけどねぇ…
EUは1951年のパリ条約からスタートして、正式に成立する1993年まで40年以上の歳月がかかっているんですよね。
その間、多くの人が次から次へと生じてくる課題問題を一つづつ潰して行って漸く成立させたものがEU(
欧州連合)なわけです。
それを、幾ら規模が違うとはいえ一人の女性が数年足らずで成しえる事ではないでしょう。
たとえ築山殿が超天才だったとしても、まず無理、と思ってしまったので正直シラ~ッとなってしまいました。
戦をしなくても済むシステムを作る、という理想は分からないでもないのですが、450年前の戦国時代の人間に共生という発想が出来るかな? とも思いましたし。
奪うか奪われるか、支配するか支配されるか、殺すか殺されるか、という時代ですから、共生という概念も無かったのでは…

そもそも、この時期は武田と北条の関係は最悪と言って良いほど悪化しています。
1578年に上杉謙信が急死した後、上杉景虎と上杉景勝との間で御館(おたて)の乱と呼ばれる後継者争いが起きます。
景虎が北条から上杉に養子に入った北条氏政の実弟ということで、北条は景虎を支援したかったのですが丁度別方面の戦いを抱えていたので氏政は勝頼に景虎の支援を依頼。
勝頼は景虎・景勝の和睦調停を行います。
これは景虎を支援して景勝を討って欲しかった氏政の思惑に反することで、実は勝頼に景虎を支援して欲しくない景勝が上杉領の一部割譲と大枚の黄金の支払い、という条件で和睦を申し込んだと言う裏事情があります。
勝頼の調停で、景虎・景勝の両者は一旦和睦が成立しますが、徳川が小川城・田中城に攻め寄せた事で急遽帰国する事になり、その間に景虎・景勝の和睦は破綻。戦いに敗れた景虎は自害に追い込まれます。
納得いかないのは北条で、勝頼が明確に景勝を支援したわけではないものの依頼した景虎支援がなされなかった結果の景虎自害に怒り心頭。甲相同盟は破棄され、最悪の関係に至る事に。




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