梅雨の憂鬱
- カテゴリ:人生
- 2023/06/02 15:11:14
この世を去ろうとしている人を見ると、やはり気が重い。
今日の梅雨空のように、しっとりと人生の重さを感じるからか。
その人は、私の父の妹の嫁ぎ先の夫の兄弟の連れ合い。
ここまでになると縁者といっても「姪」と名乗っていいのかわからない。
移住するまでこの人がいることさえ知らなかった。
おそらく私の両親だって知らなかっただろう。
この人が嫁いだ男性が亡くなった際、
足腰もしっかりしており、身体的・精神的にも病んだところはないまま、
未亡人となってすぐ老人養護施設に入居させられた。
本人がこの措置をどう思ったかは、誰にもわからない。
目が悪いらしく夕暮れになると物が見えないようだったと従弟は言った。
この人についてのすべてのことが誰にもわからないのだ。
今日、病院で初めて会った「叔母」は痩せこけていた。
もう少しで95歳になる女性。
しかし、この年齢も確かなものではない。
戸籍上は昭和天皇の即位大礼式が行われた年に誕生、とした。
夏季オリンピックが行われたうるう年。
大相撲のラジオ放送が開始され、「君恋し」という曲が流行っていたころ。
障害を持って生まれたこの人は、その誕生を周りに伏せられた。
戸籍を作らず、ゆえに学校にも通わせられることなく、
誰にも知られず、家事の手伝いをして育った。
年頃になり、同じ障害をもつ叔父と結婚することになったことで、
初めて戸籍をつくったという。
実家から厄介払いができたように扱われたのを不憫に思った祖父が、
二人のために祖父の土地に小さな家を建てて住まわせた。
これが私がリフォームしようとしている田舎の小屋。
夫婦となった二人がどのように意思疎通をはかり、
暮らしていたのか誰も知らないし、二人の間に子供はいない。
祖父たちと一緒に農業を手伝いながら生きていた。
誰の声も聞こえず、誰とも話すことができず、
学校に通えなかったために、手話も読み書きもできない。
音のない世界で、目もよく見えずに歩んだ人生。
身振り手振りで、栄養ドリンクを飲みたいと訴える人の、
ささやかな願いさえも、もう私には叶えてあげることができない。
その人の若いころの写真が1枚だけあった。
美しく穏やかな雰囲気の女性が、上品に微笑んで写っている。
辛いお別れがあったのですね・・・
年を重ねるごとに《縁》は神様が設定していた『必然』と思うようになりました。
その縁とのお付き合いを毎回模索している感じです。
ニコタでの縁も一つの形として大切にしていきたいです。
いつもありがとう^^
誰かの人生に交わる・立ち会うという《縁》があるのは、
その人にとってもうとうとさんにとっても『必然』なのでしょう。
優しさとは何かを助けることも大事ですが
傍に居て「独りじゃない」ことを感じてもらうことも大切な気がします。
末期の肺癌の親父の見舞いに一人で行って、仕事の疲れでうたた寝をしてしまったときがありました。
そんな僕を見て苦笑いしながら「もう帰って休みなや」と言った顔を忘れられません。
その時親父が何を考えたかはもうわかりません。
「明日も来るから」と後にして次の日に用事で行けなかったその深夜に逝きました。
親父は兄貴に「今日は来んかったなぁ」とつぶやいたと・・・。
うとうとさんが納得されるように、お見送りできたらよろしいのではないでしょうか?
その優しを感じておられると思いますよ。
そうですね! 思いつかなかったです^^;
全く見えないわけではないので、写真持って行ってみましょう^^
優しいなんて・・・^^;
例え、血が繋がっていない姪でも、初めましての姪でも、
うとうとさんに気にかけて貰って、その方は嬉しいと思います。
その方の、お家を受け取ったのも何かのご縁でしょう、
行けなくとも、お庭の写真等送ってあげたり、見えるようなら見せてあげたりすると
喜ぶかもしれませんね^^
いつもの事ながら、うとうとさんは優しい人ですね^^
長生きの家系なのですね、羨ましい^^
どうゆうわけか、人が逝くときに3回、意識がなくなる直前の場面に1回立ち会っています。
因みに救急車には7回乗っています^^;
叔母の様子を見ていてだいたいの予想はつきましたし、
主治医の説明でも誤嚥性肺炎を起こしている以外どこも悪いところはなく、
数値だけ見るなら私たちより健康でした。
でも、口からの栄養摂取は水分も含めてもう限界。
点滴だけで体が持ちこたえられるところまでで延命措置はしないと同意書にサインしました。
本人の意思確認ができない、こちらの言うことも伝わらない。
同じような状況で、介護をしてらしたのですね。
誕生を喜ばれなかった分、旅立ちの時はそばにいてねぎらえたらいいんだけど・・・
初めましての姪でもそばにいて、喜んでくれるといいのですが^^;
面会が15時~16時の間で30分間、事前予約が必要なのですが、
田舎家から10kmあり、バスの便も悪く自転車で行くしかないので、
梅雨時はなかなかタイミングが難しいです。
長兄と相談し、手術はしないことに……
翌日午前
睡眠薬で眠っている間に、母ほかは一端家に戻り、独り病室に残った
夕方、心電図モニターの反応が少なくなってきて
医師が諸状況を判断して死を宣告……
穏やかに眠ったまま、人が逝く時に 初めて立ち合いました。
うまく伝えられないけれど
50を境に誕生した日まで戻るのかな?と考えてしまいます。
誰かに見守られながら誕生し、誰かに見守られながらこの世を去る。
身体もだんだん強くなり誕生した頃のように弱っていく。
病気になり意思疎通が困難になった父の介護をしていましたが
本人がして欲しいことは伝わらないので
介護する自分自身がこうなのかな?と考え行動するけど正解は・・・
一つ言えることは正解でなくても手を揉むとか頭を撫でる
何かしてあげると本人は喜ぶと思います。
少しの時間、そばにいてあげれば、
それでいいのではないでしょうか。
誰にとっても死は、寂しいことですから、
そばに誰かがいてくれることは、
それだけでありがたいことなのです。