Nicotto Town


ガラクタ煎兵衛かく語りき


センチメンタルボーイ(グランパ)



こんな文章書いて誰か読んでくれるのかな
ま いっか
書きたいから書くだけだもんね


少し前 底なし沼についてさらっと書いた
それとは別のお話し

でも時期はほぼ一緒
今回は我が家(社宅)の隣りにあったお池のお話しでございます

北海道 三笠氏 幌内 春日台 長い坂の上にありました
そこに12歳の頃ほぼ1年間住んでおりました
その地域には約30世帯の 全員某石炭会社に勤めている御家庭がありました


坂の下には商店街や公民館や郵便局があり
反対側の坂の上には通った小学校がありました



覚えているのは庭にあった梨の木
この歳になってもまだわかってない日本にある2種類の梨
まん丸いものとひょうたん型のもの うちにあったのはひょうたん型の方
(今は別の種ももっとあるんだろうな)
当然孤木だっだので できる実は小さい
それでも時期になればそれなりに実は成る
頃合いを見計らって採集し 家の米櫃に普段食べている米と一緒に入れる
小さくてもそれなりに熟させるためにだ


坂の下のお店で売っている商品としての梨の味には遠く及ばない
採れる数もたかが知れてる
それでもロハで我が家だけで 少しは甘い石細胞を味わえた

社宅に住む人は下手したら年々入れ替わる
いったいいつ頃誰がここに梨の幼木を植えたんだろう?
そのいったい何年後 我が家族は小さな梨の実を美味しく齧られたんだろう?



その家の隣りに池があった そうだな 直径7~8mくらいの小さな池かな
深さ? 知らない 汚くて入ったことが無いから でもせいぜい2~3mくらいでしょ
なんで汚いかって? さすがに生ごみは入れなかった
(当時全家庭に庭があったので片隅に埋めていたと思う)

なにせ石炭会社である 燃やすほどある石炭には困らない
ただ燃やした後 さて 今の若い方は 石炭が燃えて役目を果たし終えた時
どんな状態になるのか 知らない方もいらっしゃる方もいるかもしれない

お教えしよう 石炭ガラになるのです 思いっきり CO₂とH₂Oを吐き出した後
リングコーナーに座って燃えがらになった矢吹ジョーのように真っ白になるのです

その成分はいったいなんだったのだろう?
一言でいえば”炭素の燃えがら”なんだけど 各家庭で大量に生産される
その石炭ガラを 近隣の家庭とともに その池へ投げ入れてたんです

当然水は濁ります ただ幸運だったことに そこは池だったのです
私自身の定義ですが 池とは 供給する水と排出される水のバランスで存在します



さて ここからが私の言いたいことでございます
ここには魚が棲んでいました
聞いたことがあります「ここには主⁽ぬし⁾がいる」
主とは そりゃあ当然(巨大)ナマズを差すことは少年達の間では常識です


学校から帰り 他にすることがないときは 練り餌作りにいそしむ
小麦粉 食紅 日本酒 これらを抜群の配分で小皿に練り上げる

前にも書いたが私は釣りの天才である(淡水方面)
既に父から数種類の竹製の継ぎ竿 浮き 鉛の薄板
3号を中心としたテグス(釣り糸)小型魚向けの釣り針
これらをありがたくとも受け継いだ 

カメラの趣味は継承しなかったが 鮒釣りに特化した父との共通の趣味は完璧だった


上の沢から今日も水が流れている
出口は無いが地中を通って 眼下の商店街を流れている

石炭ガラを幾ら棄てようが ここは生きている生態系を成していた

いつでもすぐに鮒の数匹は釣り上げた
持ってきたバケツに入れる
鮒は強い いつまでも生きている
ウグイだったら数十分で腹を浮かべる


それでも
いつまでたっても
そこに私が住んでいた間
ヌシには一度も逢えなかった





時は経った
平成の終わり頃 私は一連の旅に出始めた
当然札幌で落ち着きだした頃だった

私は10カ所近くの場所で少年期を過ごした
行き先は全て空知

その中には当然 三笠氏 幌内 春日台もあった
かっていくつもの会社の(半)幹部社宅があった有名地である

さて
坂を登ろうとしたら(笑)道が無かった
微かな痕跡とおぼろげな地形の記憶と方向感覚と廃屋の位置で
どうやらその辺に着いたようだ

誰も住んではいない いや 住める家さえない
北海道人の性で持ってきたラジオをフルヴォリュームにして肩にかけて進んだ
クマよ 今日は休んでてくれ



かって梨の木があった場所は確認できた
もちろん木自体はあとかたもない あとかたもない
家さえない 家さえない
1年ちょっとの思い出を囲んでくれた家はもうない


少し進んで胸が高鳴りつつある
そして見下ろす

池は
あった

もう周りに誰も住んでいないので汚す人はいない
上の沢からは今もなお水が流れている
でもそんなに綺麗な水ではなかった

フルヴォリュームのまま 池辺まで降りて腰かけ 途中で買ってきたサンドを食べる


みんな いなくなってしまった みんなも 梨の木も
こんなセンチメンタリズムに浸るのが大好物なので しばらくそうしていた

ふと眼前を見やる
今もここに主はいるのだろうか

急に風が吹いた
水面が騒いだ

ああ もうここに思い残すことはない
(いるんだ)
別れを告げた
こんな素敵な思い出をありがとう



そこの高台の(かっての)中央公園見たいなとこ
広場(草ボウボウ)に着いた

かっては色んな遊戯道具があった 今はあるわけもない
かっては中央のポールに輪っかを鎖でぶら下げてグルグル回す遊び道具があった



あれは本当にその頃住んでいた頃
10mくらいかな それ位の距離から
冬季に雪玉を作って そのポールに当てようと投げた

一回目 私の投げた雪玉はそのポールの中心に当たった


二回目 私の投げた雪玉はそのポールの中心に当たった

コントロール良いじゃん
いけるじゃん

三回目 私の投げた雪玉はそのポールの中心に当たった



寒さで高い鼻と頬を真っ赤にして
手袋の先は濡れて半分凍っていて
ゴム長靴の先は痺れていて

それでも3回連続して当たった
すごくね?


じゃあ4回目にトライ?
この辺が私の幼い頃からおかしなところであります

『次は連続してはさすがにキツイな 今度でいいじゃん 明日でいいじゃん
明日も当たればスゲーじゃん さ 帰ろ』




明日は永遠に来なかった

数十年後 普通に羆が徘徊してもおかしくない場所で
3回連続して当てたポールが既に存在していない丘で
フルヴォリュームのラジオに守られながら
自らの投げた雪玉の軌跡を 汗の吹き出る陽光の中で
穏やかに瞳で追いかけた





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