Nicotto Town


しだれ桜❧


刻の流れー76

犬飼とアキラは三宮駅から北へ向かって歩いていた。二人はアキラが聞いた要の住まいを訪ねる気になったのだ。

教えられた『近くにあるホテル』は意外と簡単に見つかった。
「俺の家は解りにくいんだ。ホテルのフロントで名前を言ってくれれば会いにいくよ。」
と要は言っていた。
まさかこのホテルに住んでいるとは思えない。厨房かなんかで働いているんだろうか?立派なホテルの外観に半信半疑になりながら、犬飼たちはホテルのロビーに足を踏み入れた。
ロビーは高い天井から大きなシャンデリアが下がり、大理石の壁が美しく高級感溢れる。犬飼たちがフロントのカウンターへ進むと、上品な係員が慇懃に二人を迎えた。
「石川と言いますが、石橋 要さんにお会いしたいんですが・・・」
と言う。しばらく待つよう断って係員が内線を掛けている様だ。受話器をおいて、
「すぐで降りて来られるそうです。あちらでお掛けになってお待ちください」
と、ラウンジを手で示した。犬飼はアキラとラウンジのすわり心地の良いアームチェアに腰を下ろした。
「降りてくるって、このホテルに住んでるみたいな口ぶりだったな」
犬飼はフロントの係の言葉に疑問を持ったようだ。あの要と言う若者も、その知り合いと言う興津達も謎に包まれている。普段の犬飼なら決して信用しないだろう。しかし自分は今、要を敵ではないと判断してこうやって訪ねてきたのだ。
『要たちからは自分と同じ匂いがする。』
犬飼は思った。
『あれは、ある信念に従って生きている男たちのにおいだ。』
そしてその信念は決して邪悪なものではないと思えるのだ。それは要がアキラの友達だと言う理由からだけではない。犬飼の疑問にうまく答えられないまま、アキラも黙って要が来るのを待っていた。アキラ自身も、要の私生活の事はよく知らないのだ。

「来てくれたんだ。」
ものの5分もしないうちに要はホテルのドアを押し開けてロビーに飛び込んできた。
「昼間は仕事が休みだから、病院へ会いに行こうと思ってたんだ。」
と笑いかける。ひろみの一件をまだ知らない要であった。
「お前このホテルに住んどうんか?」
アキラが一番に疑問に思ったことを聞いた。要は少し考えて、
「えっと、俺、隣のビルに間借りしてるんだ。でも電話がないんだ」
と頭をかく。
「で、ここのホテルの厨房で働いてる。」
と嘘をついた。アキラに本当のことを言えないのが心苦しい。
「ああ、お父さんの店ゆうてたっけ?」
アキラが納得したように頷いた。
「うん、そんな感じだ。」
要は視線を泳がせながら語尾を濁した。
要の表情を観察していた犬飼は、
『この青年は、やはり何かを隠している。』
と感じ取った。要の様子から、それは何年も前から恒常的にある秘密のようだ。
『そして、それを友に明かせないことにジレンマを感じている。』
そう分析しながら犬飼は口元を緩ませた。
謎のある男ではあるが、それとは逆にアキラに嘘をつく事を躊躇する要に好感がもてるのだ。

「要君、アキラには話したんだが、俺は東京に戻る事にした」
昨夜起こった一連の事件をかいつまんで説明した後、犬飼が言った。
「アキラには、その間のひろみの捜索と敵の攪乱を頼んだ」
アキラと要が同時に頷く。
「アキラを助けてやってくれ。頼む。」
犬飼はそう言葉を続けると二人に頭を下げた。アキラたちは犬飼に期待されたのが嬉しかった。
「わかりました。ひろみさんはきっと助け出します。」
2人の若者は口々に言う。
「お前達ならやり遂げてくれるだろうよ。」
と犬飼が満足そうに笑った。
「はい、期待に応えます。」
「ただしだ。」
犬飼の笑いがその顔から急速に消えていった。
「絶対に一人では動くな。必ずチームを組め。いいな?」
声に凄みがある。
「攪乱するのが目的だ。深入りはするな。そして・・・」
犬飼が一旦言葉を切る。
「・・・俺とのつながりは何があっても悟られるな。」
アキラと要はごくりと唾を飲み込んだ。
「相手がプロの殺し屋集団だと言う事を忘れるなよ。」
犬飼は要とアキラの手を握り、別れを告げるとホテルのドアから外へ出た。これは一つの賭けだが、それしか選ぶ道はないのだ。犬飼は自分にそう言い聞かせた。





Copyright © 2024 SMILE-LAB Co., Ltd. All Rights Reserved.