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中国山東省沖に中国の空母「山東」だった。


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中国海軍の空母「山東」 太平洋上航行を防衛省が初確認
防衛省は、中国海軍の空母「山東」が太平洋上を航行しているのを初めて確認したと発表しました。 防衛省によりますと、きのう午後6時ごろ、中国海軍の空母「山東」のほか、フリゲート艦や戦闘支援艦などあわせて3隻が、沖縄県波照間島の南およそ300kmの海域を東に進みました。 空母「山東」が太平洋上を航行しているのを確認したのは初めてだということです。 海上自衛隊が護衛艦「さわぎり」で情報収集と警戒監視を行いました。

台湾の蔡英文総統とアメリカのマッカーシー下院議長が会談し、中国が反発していますが、防衛省は「中国・台湾の状況を注視している」としたうえで、日本周辺の警戒監視を行っています。


https://www.youtube.com/watch?v=VKp_GvWfmuU
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↑事は中国山東省沖で中国軍船が見つかるより深刻だけど中国山東省沖と言うのは本当に沖縄列島に近いので日本領海ぎりぎりまで来ているのかと思った。

太平洋まで中国空母が来ているのはアメリカもかなり深刻に受け止めているようだけど。

◎ただ今回の自衛隊ヘリが不明なったと言う事の総てが解るまでは色々な事を想定すべきであって
中国が攻撃したと言う説が出ても当然だと思う。

其れを言論封圧する様な事は事の真相の総てが明かされるまではすべきではない。

私は北朝鮮による拉致を無いとしていたマスコミを始め日本政府の当時の対応は許せないと思っているし
「天安門事件」も中国の発表を其のまま報道している日本のマスコミを許してはいないし
中国のチベット侵略を報道しなかった日本のマスコミを許せないと思う。

今から20年以上前に北朝鮮の工作船をあれだけ引き上げる事が出来たのに何故其れから20年以上たって自衛隊ヘリがみつけられなくて更に原因もきちんと解明できないのは不可思議な事だと思う。

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九州南西海域工作船事件
九州南西海域工作船事件(きゅうしゅうなんせいかいいきこうさくせんじけん)とは、2001年(平成13年)12月22日に東シナ海で発生した朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の工作船である不審船の追跡事件である。不審船は日本の海上保安庁の巡視船と交戦の末に爆発、沈没した[5]九州南西海域不審船事案[6]奄美沖不審船銃撃事件[7]などとも称される。

米軍情報と不審電波[編集]

2001年(平成13年)12月18日頃に、在日米軍から不審船に関する情報が防衛庁に提供され、それを受けて各通信所に北朝鮮に関する無線の傍受を指示、翌12月19日に喜界島通信所が不審な通信電波を捕捉したため、海上自衛隊機は喜界島近辺海域を哨戒した。

不審船の発見[編集]

12月21日16時32分に、鹿屋航空基地所属のロッキードP-3C対潜哨戒機が、東シナ海の九州南西海域(奄美大島の北北西150キロ)において、船体に「長漁3705」と記された、漁船に似た不審船を発見した。一報は17時30分に中谷元防衛庁長官に、18時頃には内閣総理大臣秘書官、内閣官房長官秘書官、内閣官房副長官秘書官にも伝えられた。

防衛庁は、18時30分頃に鹿屋航空基地に帰投したP-3Cが撮影した画像を解析し、対象船舶は北朝鮮の工作船の可能性が高いと判断、翌12月22日1時に防衛庁長官に「工作船の可能性が高い」との分析結果が報告され、1時10分、内閣総理大臣秘書官、内閣官房長官秘書官、内閣官房副長官秘書官、海上保安庁に通報した。通報を受けた井上義行内閣官房副長官秘書官は安倍晋三内閣官房副長官らと、首相官邸別館にある危機管理センターで対応策を協議した結果、特殊警備隊(SST)の投入が検討された[9]

海上保安庁と自衛隊の出動[編集]

通報を受けた海上保安庁は、これを捕捉すべく追尾することとし、第十管区(鹿児島)、第十一管区(那覇)本部の稼動可能な航空機および巡視船艇を出動させた。

海上保安庁は、事件発生後まもなく、第十管区(鹿児島)及び鹿児島海上保安部に捜査本部を設置し、事件の全容解明に向けた捜査を開始した[5]。また、第七(福岡)、第八(舞鶴)管区などにも警戒態勢をとらせた。現場に向かった巡視船艇は24隻、航空機は14機に及んだ[10]

海上自衛隊も、情報を受けて佐世保地方隊の一部に緊急出航を命じた。11時20分に佐世保基地から護衛艦「こんごう」、「やまぎり」(第2護衛隊群所属)を現場へ向かわせている。日本国政府からは、海上自衛隊の特別警備隊(SBU)に出動待機命令が発令された。

海面や空中への威嚇射撃と船体への射撃[編集]

不審船はこれを無視して逃走を続けたため、拡声器と無線による多言語、旗りゅう信号、発光信号、汽笛などによる音響信号、発炎筒による度重なる停船命令を行った。しかし、不審船はさらに逃走を続け、15時ごろにはEEZの日中中間線を超えてなおも西進を続けた[10]

この時点で「漁業法違反容疑(立ち入り検査忌避)」が成立したため、巡視船は「停船しなければ銃撃を行う」という意味の旗りゅう信号をマストに掲揚し、朝鮮語などの多言語で同様の射撃警告を行った後、逃走防止のため、海上保安庁法第20条1項を遵守しながら、14時36分からRFS付20mm機関砲による不審船の上空および海面への威嚇射撃を行った。

22時00分、低速で逃走する不審船に対し、「いなさ」が距離を取って監視し、右舷側から「あまみ」、左舷側から「きりしま」がサーチライトを照射しながら不審船を挟撃、強行接舷し、64式7.62mm小銃で武装した海上保安官の臨検要員の突入を試みた[10]。その際、不審船に乗っていた複数の乗組員がPK系軽機関銃およびAKS-74による銃撃を巡視船に対して開始した。

 

この銃撃を受けた巡視船は、サーチライトを消灯し、全速力で退避しながら20mm機関砲による正当防衛射撃を行なった。「あまみ」の海上保安官は、あらかじめ不測の事態に備えて装備していた64式7.62mm小銃による正当防衛射撃を直ちに行った。不審船乗組員はZPU-2機関砲や小火器を用いて執拗な攻撃を繰り返した上、RPG-7を2発発射した。


自爆・沈没[編集]

22時13分、不審船は巡視船と銃撃戦の末、突如爆発、炎上を起こして[8]東シナ海沖の中国EEZ内で沈没した(爆発による火柱が吹き上がるのと同時に沈没したことから、轟沈とも表現される)。不審船が自爆する瞬間まで、乗組員は巡視船に向けて自動小銃を発砲し続けた様子が映像に記録されている。

その後の捜査で、爆発の直前に不審船から北朝鮮本国に「党よ、この子は永遠にあなたの忠臣になろう」「マンセー」とのメッセージを含んだ電波が発信されたことが判明しており、自爆したものと推測された。

小泉政権は断固引き上げを前提として中国政府と交渉を重ね、最終的に2002年6月18日に口上書が交わされ[12]、日中外相会談にて確認された[12]

 

これを受けた海上保安庁は、「90メートルもの深海に沈んだ船を引き揚げてどうする」という反対意見や台風などの困難がありながらも、捜査の一環として沈没した不審船の引き上げを実施した。
=========ウィキより




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