Nicotto Town



つまりリーマンショックの時の事を考えたのです。


============
リーマンショックとは、2008年9月にアメリカの有力投資銀行である「リーマンブラザーズ」が経営破綻し、それをきっかけに世界的な株価下落・金融危機が発生したことを指しています。 詳しくは後述しますが、低所得者向けの住宅ローン「サブプライムローン問題」に端を発したもので、世界規模での不況となりました。
https://www.google.co.jp/search?q=・・・・・・・・・・・・・・・・
=========
そんなことではないのか?とも思ったり何が起きたんだ?とおもったりとよく色々な今回の事を書かれた記事やコラムを読んでも解らないのですよ。

北海道は拓銀の破綻により酷い不況が起きて長い事立ち直れませんでした。
============
直接的な原因は、1989年の金融政策転換と1990年の総量規制の実施です。 株価を引き下げる要因になったのは、金融政策の転換です。 1989年5月以降、公定歩合が段階的に引き上げられた結果、1989年末に3万8,915円だった日経平均株価は、わずか1年後の1990年末には、2万3,848円にまで下落してしまいました。
https://www.google.co.jp/search?q=・・・・・・・・
===========


============

1997(平成9)年11月17日、北海道拓殖銀行が大手銀行として初めて経営破綻しました。バブル期の不良債権問題の根深さを国民は知ることとなります。

 北海道拓殖銀行は1900(明治33)年2月、北海道拓殖銀行法に基づく特殊銀行として発足しました。北海道への資金供給基盤を整え、開拓を加速するためです。昭和に入ると普通銀行業務も兼営し、戦後も長く北海道経済の要として特別な地域を占めてきました。
そんな拓銀の転機はバブル崩壊でした。経営体力を無視した1980年代後半の不動産向け融資が次々に焦げ付き、経営を圧迫しました。中でも地元の建設会社「カブトデコム」への融資と債務保証が合計4,000億円規模に達し、経営危機の引き金となりました。1997年に入って拓銀の危機が表面化。11月に入ると短期金融市場での資金調達が難航し、拓銀経営陣は自主再建を断念しました。
https://media.rakuten-sec.net/articles/-/39601
===============
↑北海道は拓銀の破綻で不況から長い事抜け切れずにいます。

今回の
シリコンバレー銀破綻が何故起きて其の影響を知りたいのです。





月別アーカイブ

2024

2023

2022

2021

2020

2019

2018

2017

2016

2015

2014

2013

2012

2011


Copyright © 2024 SMILE-LAB Co., Ltd. All Rights Reserved.