Nicotto Town


しだれ桜❧


刻の流れー51

張り込みをするポイントの打ち合わせをしながら犬飼はアキラが付近をかなり走りこんで枝道まで熟知している事に感心していた。

神戸から上京してからというもの新聞配達やバイク便の仕事でかれこれ5年近く、都内を走り回っているという。
元気が良いだけでは無く、これは即頼りになりそうだ。なるほど、あの編集長が自分にあてがうだけの事はある。

大体の打ち合わせが終わった犬飼はブルゾンとチノパンに着替えてガレージでブルーバードのナンバープレートを付け替え始めた。もちろんそれは元の持ち主がとっくに廃車にしたてんぷらナンバーである。
「これで、しばらくは網に引っかからないだろう。」
アキラが傍でワクワクしながら犬飼の手元を見ている。
「犬飼さん、随分慣れてますね?」
「はは、そうだな。だから生き残れる。」
アキラはその言葉の意味の重さに気付き血の気の引く思いがした。そうだ、このルポライターが追っている事件に端を発して、既に2人が命を落とし、1人は撃たれて重症なのだ。突然無口になったアキラに、犬飼が声を落として言った。
「やめるなら今のうちだぞ。今なら間に合う。」
アキラはしばらく考えた。
このルポライターに付いていくのは本当に命がけかもしれない。それでも、昨日知り合ったばかりのこの男にアキラは自分がいつも追い求めている熱い物を感じるのだ。
10代から乗り始めたバイク。始めは誰よりも速く走るのが全てだった。今は、そのスピードを役立てたい。形にしたい。犬飼は俺にそのチャンスをくれるかもしれない。
アキラは自分の直感を信じて身を乗り出すようにした。
「俺、犬飼さんについていきますよ。」
まじめな顔で言う。犬飼が振り返って笑った。この若者が物事を慎重に判断しようとするのは良いことだと犬飼は思った。
「まあ、そう硬くなるな。」
「途中でやばいと思ったら、いつでも逃げ出せ。」
と、アキラの肩を叩く。
「・・・」
「それからお前もナンバーを変えろ。」
自分のナンバープレートが終わると、犬飼は二輪のナンバーと、ドライバーをアキラに渡した。
代議士や、会社重役の一日は当然のことながらかなり忙しい。早朝から夕刻まで、スケジュールが分単位で組まれ、それを議員がこなしていく。結局、彼らの身体が空くのは夜になる。目標の紳士クラブもどうやらナイトクラブのようなものらしく、どうせ動き出すのは夜を待つしかないだろう。それでも、目標の動きは一日中追わなければならない。
「長い一日になるから、覚悟しろよ。」
しばらくするとガレージでエンジン音がした。犬飼のブルーバードとアキラのGPZ750Rはそれぞれのターゲットを目指して夏の日差しの中へ走り出していった。





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