Nicotto Town



仮想劇場『認めてもらわない自由』


 夜目川の河川敷を昨日の夕暮に旧知の友と二人で歩いた。実に30年ぶりの事だ。互いにあまり多くを語らなかったが、君の今がどういう状況であるのかはなんとなく察知できた。


 夜目川はちょうど河川工事の最中のようで大型のダンプカーが2台、土手の上を土煙を上げながらこちらに向かい、そして僕らのスレスレをすり抜けていった。
「あぶねぇなぁ」と僕が顔を顰めると君は相変わらず短気だなと僕の背中を叩く。
 君は相も変わらず朗らかに笑うんだなと思った。その少々間の抜けた顔立ちに若いころの僕は何度救われてきただろう。

 10代の早くにシンガーソングライターを目指していた君。そして20代を迎える前に早々と道をあきらめ遠くへ行ってしまった。
 君のその挫折の理由を僕以外に知る者はいない。

「あ、そうだ。ギターはまだやってるの?」
 突然君が聞いてきて僕は開けたばかりの缶コーヒーを砂煙の中に落としてしまった。
「なんだよ突然、今も弾いてるよ。たまにだけど・・・」
 僕がそう返すと君はとても嬉しそうな顔をした。そんな君の含みが気に入らなかったから僕もついこう聞き返してしまう。
「そっちこそどうなんだよ、あの後も曲は書いてるのかい?」
 意外にもその問いに君は躊躇いなく大きく頷いた。

 30年前のあの日、君が夢を諦めた理由を僕は今でも覚えている。君が泣きながらステージを降りたことも、ほぼ完成していたファーストアルバムを音源ごと焼いてしまった事も、僕は全部覚えている。
「表現の世界に自由なんてないさ。いつだってそこは戦いなんだよ」
 街を去る時、君が呟いた最後の言葉だ。
 そして僕の前に残されたのは無残に叩き折られたモーリスの生ギターと、書きかけのまま破られた3枚の譜面だけだった。

 若いころは権力に歯向かう事を正義だと思っていた。ギター一本で何とでも渡り合えると思っていたし、誰と慣れあう必要もなかった。
 自分たちは実直に自分の意思を貫き、社会に対して牙を剝きだして吠える狼だと信じていた。
 その牙も30代を迎えるずっと前にあっさりと折れ、今では誰よりも凡庸な自分の価値観に大人しく従って生きている。

「なぁ、今はどんな曲を書いてるんだ。また曲を聴かせてくれよ」
 感傷に更けるのにも飽きたせいもあってポツリとそう尋ねたが、君は小さく首を振り、誰にも聴かせないと決めていると繋げた。

「今も戦っているのか?」と聞き直すと今度はしっかりと頷いてまた小さく笑った。

 影響力がある立場の人間にとって、何かを表現するということは同時に重い責任を負うということなのだろう。表現の自由を武器に頑なに貫いた言葉ひとつひとつのために、君は若くしてその才能の片鱗を自分自身で摘み取らなければならなかった。

「後悔はしてないさ」

 駅での別れ際に君はキッパリとそういって僕の胸に拳を押し付ける。

「次に会えたときは僕のギターを聴いてくれよ」
 そう言って僕は君の背中をそっと押した。君は後ろ向きのままで右手の親指を突き上げた。




 しつこいようだが表現に自由なんてない。あるのは責任だけだ。それが嫌なら彼のように、誰にも承認されない世界で自己を貫けばいい。それも嫌だと言うのなら、それは自己の表現ではなく、ただの発表なのだと今の僕ならハッキリと言える。


 




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