京都北野天満宮梅花祭
- カテゴリ:占い
- 2023/02/25 18:23:53
ニコットおみくじ(2023-02-25の運勢)
こんにちは!冬型の気圧配置となり、日本海側は各地で雪や雨。
太平洋側は概ね晴れる。
沖縄は曇りのち晴れ。
気温は全国的に平年並みか低くなる。
【京都北野天満宮梅花祭】 きょうときたのてんまんぐうばいかさい
☆2月25日は、祭神菅原道真公の命日にあたりまして、
梅の花をこよなく愛でられました道真公をしのびまして祭典が行われます。
<概要>
2023年は開催予定です。
野点拝服券は1/28より現地で頒布(はんぷ)されます。
詳細は北野天満宮公式サイトでご覧ください。
〇梅花祭
毎年、北野天満宮で2月25日に行われます行事です。
旧暦の2月25日にお亡くなりになられました御祭神たる菅原道真公の
御遺徳を偲ぶべく、900年前から催行されています。
*グレゴリアンカレンダーでは903年3月26日です
@当日
梅花御供(ばいかのごく/ばいかごく)という神事を
梅花祭野点大茶湯(ばいかさいのだておおちゃのゆ)という
野点が行われます。
*野点・・・屋外での茶会
梅花御供よりも野点の方が有名かもしれません。
上七軒の芸舞妓さんがお茶を点(た)ててくれます人気の行事です。
[上七軒(かみしちけん)]
上七軒は京都五花街の中で一つだけ離れました場所に位置をしおりまして、
北野天満宮の門前町です。
北野天満宮との関わりがとても深い花街です。
住所:京都府京都市上京区今出川(かみぎょうくいまでがわ)
@天神市
毎年25日は北野天満宮の境内で「天神市」という市が開かれます。
梅花祭と重なりますので、毎年約150万人が訪れまして大変な賑わいです。
当日は梅苑が公開されていまして、且つライトアップもあります。
〇梅花御供と菜種御供(なたねのごく)
@菜種(なのはな)
梅花御供は元来「北野菜種御供」と呼ばれまして、
菜種を神前に供えていました。
菜種は「なだめる」という語に由来します。
現在でも神職の方は冠に菜種の花を着けています。
〇御祭神
北野天満宮の御祭神は菅原道真公です。
道真公は学者の家に生まれましたが、宇多天皇の信任を受けまして
右大臣にまで出世致しました。
*右大臣太政官という機関の官職
「右大臣と一緒に朝廷内で2番目位に偉い」地位です。
学者の家の生まれで大臣になりましたのは、
吉備真備(きびのまきび)さんだけです。
この時の右大臣は藤原時平(ふじわらのときひら)さんです。
藤原北家勢力拡大の真最中であります頃に、
源藤原以外で初めて公卿(くぎょう)になりました道真公は、
下世話な表現になりますが「目障り」な存在でした。
そこで・・・
時平さんは道真公が醍醐天皇を廃しし、
娘婿の斉世親王を皇位に就かせようとしていまして、
且つ宇田上皇の同意も得ている旨、醍醐天皇に大嘘を奉上しまして、
道真公を大宰府に左遷します。
そして、道真公は同地で非業の最後を遂げます。
時を同じくしまして、
道真公の怨霊は雷となりまして時平さんを苦しめまして、
最後に内裏の清涼殿に落雷しまして、死者を出します。
そして、醍醐天皇も三カ月後に崩御します。
*内裏の清涼殿・・・天皇が起居なさる場所
その後・・・
道真公の乳母でありました多治比文子(たじひのあやこ)という人に
御宣託がありまして、現在の地に北野天満宮が創建されたと伝えられます。
これは・・・
道真公の怨霊を「なだめる」のみにとどまらず、
祀ることによりまして、その強大な威力で守っていただきますことを
意図します御霊(みたま)信仰に基づいています。
平安時代、御霊信仰といいますと、
北野天満宮と感神院が双璧でした。
*感神院・・・現:八坂神社
祇園祭もこの御霊信仰に基づいています。
〇梅花
道真公が大宰府に左遷されます時に・・・
「東風吹かば 匂い起こせよ 梅の花 主なしとて 春を忘れるな」
このように自宅の梅との尺別の歌を詠みました。
いよいよ道真公が旅立ちますと桜は枯れてしまいまして、
松は後を追いかけましたが途中で力尽きまして、そこで根を下ろしました。
ところが・・・
梅の花は一夜にしまして、大宰府に道真公を慕いまして飛んでいったという
伝説があります。
*伝説・・・飛梅伝説
飛んで行きました梅は、現在福岡の太宰府天満宮に植えられています。
このように道真公と梅の間には特別の関係がありまして、
故に御神紋が梅の花でありましたり、境内には沢山の梅が植えられています。
また、明治時代には旧暦からグレゴリアンカレンダーに代わりましたが、
祭の日はそのまま2月25日になりました。
この時期はまだ菜種は咲いていませんが、代わりに梅は咲いています。
これらの事実によりまして、菜種から梅に変化していったかもしれません。
〇梅花御供
本殿前の拝殿の中で行われます。
写真やビデオの撮影は出来ません。
本殿と拝殿の間にあります扉が左右にありまして、
そこから垣間見ることは出来るそうです。
プレスの人は中に入りまして撮影していますが、一般の方は出来ません。
@一番の見どころ
神事に際しましては、特別なものが供物です。
拝殿の西側に御簾がありまして、その前に三方があります。
恐らくこちらで御神酒が供えられています。
〈三方の間〉
梅がありまして、三宝の両側には紙立(こうだて)があります。
三方の前には三方に供されました布、
それを挟みますように大飯、小飯が供えられます。
〇紙立
仙花紙という厚手の紙で出来ています筒の中に玄米を入れまして、
そこに白梅と紅梅が差されています。
三方の左が紅梅、右側に白梅が置かれます。
筒部分の大きさは高さが500mlのペットボトルの半分くらいの大きさです。
紅梅は女性の大厄に因みまして33本です。
白梅は男性の大厄に因みまして42本です。
中の玄米は後で授与所でいただけます。
初穂量は100円です(2022年)
〇大飯・小飯
わっぱの上にご飯が盛り付けられています。
それぞれ紅梅、白梅の前に置かれていまして、
白梅の前のものの方が少し大きめです。
問題 京都五花街についてです。
・祇園甲部(ぎおんこうぶ) ・宮川町(みやがわちょう)
・上七軒 ・祇園東
これらの他にもう一つ花街があります。
その花街名を教えてください。
1、古町(ふるまち)
2、ひがし茶屋街
3、先斗町(ぽんとちょう)
ヒント・・・〇正解の花街
平成9年11月「正解の花街を守る会」として結成されましたのが
始まりです。
平成10年4月「正解の花街のれん会」に改称されまして、
現在に至ります。
正解の花街通の三条から四条までの74店舗が加盟しています。
*74店舗・・・令和3年2月現在
正解の花街では営業していますか名店が気軽に交流しあいまして、
地域発展に寄与し、歴史を与えまして、
情緒と街並みを保全します等の活動を行ってきました。
〇場所・歴史・由来
三条通りの一筋南から四条通まで通じます鴨川に沿いました
南北500mあまりに渡ります細長い通りです。
この地に水茶屋が始めて設けられましたのは、
正徳2年(1712年)です。
初めは高瀬川を上り下りします高瀬舟の船頭や
旅客目当ての旅籠屋が茶立女を置いていました。
お分かりの方は数字もしくはもう一つの花街名をよろしくお願いします。
はい、おみくじは「大吉」でした。
どうもありがとうございます。
このヒントで分かりましたか?
結構難易度が上がり過ぎた感がありましたが。
素晴らしいです、大正解です。
おめでとうございます(祝)
そうですね、おお~、お詳しいですね。
あはは、百人一首とその風情をかけての歌とは流石ですね。
雪が降るほどですから身体を崩されないようにお過ごしくださいませ。
多忙の土曜日の夜にもかかわらずありがとうございました。
週末土曜、お疲れ様~☆彡(_´Д`)ノ~~オツカレー♪
ニコットおみくじ「大吉」オメデト~♪OK牧場☆彡(`・ω・´)b
3、先斗町(ぽんとちょう)☆彡(^_^)v
「お座敷小唄」の歌詞にあるよネ~♪
富士の高嶺に降る雪も~♪京都先斗町に降る雪も~♪
雪に変わりはないじゃなし~♪とけて流れりゃ皆同じ~♪
無理せず無茶せず、体を労わりつつ、良い日曜を~♥-(´ε`*)チュッチュ☆彡