2/11 キラキラと4択
- カテゴリ:タウン
- 2023/02/11 05:21:59
仮想タウンでキラキラを集めました。
2023/02/11
集めた場所 | 個数 |
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展望広場 | 3 |
コーデ広場 | 5 |
4択 「ミルク」
キラキラ 「展望広場」 屋敷 木立
「コーデ広場」建物 右側
4択 めぐ・・・? → ミルク
2日前にでたばっかりじゃぁーーーぁあ (#・∀・)
いえ、いただけるのでいいのですが!!
乳の歴史は古く、1万年前の西アジアで山羊の乳を利用したのがはじめてなのでは??と思われている。
でもそれ以外の痕跡が見つかってないってことなだけかも!
それより少したって牛の家畜化により牛乳の利用が始まる。
牛は畑を耕すのにも使うなくてはならない家畜となったのだ。
日本では牛車にもなった。
・・・・あれなんで牛だったのだ??
調べてみると牛車というものは世界各地にあるという。
今でも開発途上国では普通に見ることができる移動手段なのだそうだ。
人間を運ぶかどうかはさておき、荷運びに威力を発揮するし、道が舗装されていなくても道が狭くても通ることができるということで便利のようだ。
紀元前から日本には牛がいて、古墳時代には牛を模した埴輪と見られるものが出土していることから人間の身近に牛がいたことは確定している。
牛車になくてはならないものの残りは、車輪だ。
車輪というのは実は偉大な発明なのだ。
しかも2個(以上)ほぼ同じ大きさの車輪を作らねば車はまっすぐ走れない。
車輪は紀元前3000年のメソポタミア文明ではもう使われている。
古代ウルの王墓から発掘された四輪車は牡牛が牽いていたものらしい。
王墓から発掘されたのだから、王が乗っていたと思っても間違いないだろう。
牛が牽くのだからゆったりした歩みだ。
平時に乗っていたのだろうか?
戦いに乗る戦車(チャリオット)は馬が牽いていたのだった。
日本に牛車は馬車と共に中国から伝わったと言われている。
5世紀の話だ。
牛車と馬車は用途によって使い分けられ、牛車は荷車として使われていたことが『石山寺縁起絵巻』や『方丈記』に登場するという。
一般の人が荷車として使っていたものに、貴人も乗るというのも不思議な話だが、平安時代は使用する貴族が「貴人だぜーーー!下々とは違うぜーーー!」とわからせる為に重厚な作りや華やかな装飾を競いあった。
普通の牛車が牽く屋形(乗る箱部分)の大きさは、長さ8尺(242cm)、高さ3尺4寸(103cm)、広さ3尺2寸(96cm)で、通常は4人乗りだそうだ。
乗るときは後ろから乗って、降りる時は牛を外し牛をつなぐ軛(くびき)のための榻(こしかけ)を踏み台にして前から降りる。
木曽義仲が後ろから降りて「これだから田舎者は」と笑いものになったらしい。
武士がそんなモタモタしているわけにもいかないと思うが、そもそも武士が牛車に乗るのがおかしいな、うん。
その他、入る門が身分によって変わったりと様々な規定が設けられていた。
まさに貴族のための気位を表す乗り物だったようだ。
しかし牛車に乗るのは洛中(京都市内)だけで、それ以上の遠出は輿に乗っていた。
理由はめっちゃ揺れるので乗り物酔いで長時間の使用には向かないからだそうだ。
応仁の乱で京都がほぼ焼け野原になり貴族の暮らしが貧しくなると共に牛車文化は廃れてしまう。
江戸時代に入ると乗り物は駕籠(かご)になる。
牛車の記録は公武合体の和宮の輿入れ行列で描かれているぐらいなものだ。
牛車が廃れたこと、戦国時代に牛より馬の必要性が増したことで牛の頭数は減っていたらしいが、牛乳は8代将軍吉宗の時にオランダ人から馬の治療用として牛乳が有用であると教えられ馬の為にとっていたらしい。
しかし人の口には入っていないのだった。
江戸時代までの日本人ってタンパク質って魚と大豆のみで頑張ってたんだなぁ・・・・。
現代、栄養学から動物タンパクも摂らないと体に悪いと分かっている。
分かっているんだが・・・・少し前にアメリカで1000人以上の小学生に食べ物に関するアンケートを取ってみたら
4割以上の子供が「ホットドックは野菜」と答え「フライドポテトは動物由来」と答えたらしい。
アメリカの教育どうなってるの・・・・
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- もふもふ0304
- 2023/02/11 06:32
- 当たるか当たらないかは半々だからね。
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