Nicotto Town



鮎川誠というギター弾きがいた。


天国でシーナさんが首を長くして待ちわびてたからか、
「シーナが待っとるけん、仕方なかろね」なんて呟いて、
早々とこの世を去ってしまいました。合掌、ご冥福をお祈りします。

「ロックは死んだ」という言葉が頻繁に使われる理由として、
ロックは結局のところ反権威・反体制というファッションに過ぎず、
巨大化し権威化するたびに同じことを繰り返すだけだという社会学者がいた。

こういうヤツはそもそもロックと縁がない。あっち行ってろ。
ロックは常に在り、未来永劫鳴り響き続ける宿命を持たされた音楽です。
神聖かまってちゃんの『ロックンロールは鳴り止まないっ』は真理の歌。

鮎川さんのお人柄というのは、これまた特筆すべきもので、
物静かだけど決定的に別世界の人という加部正義さんとも異なるし、
とにかく気さくで面倒見の良かったジョー山中さんとも違う。

ジャケやポスターで190cmくらいあるイメージを持ってたんですが、
楽屋で当時珍しいノートPCに向かってる鮎川さんときたら、こりゃまた、
なんと普通の人なんだろうと驚いた。背もさほど高くない。

顔なじみになり楽屋で雑談する機会が増える。ふだんはボソボソ訛る。
こちらが古いロックスタンダードのリフなどを弾き始めると、
目の色が変わる。「〇〇やよね? そこ、どう押さえとる?」などと始まる。

とにかく、本当に、バカみたいにロックンロールが好きなんだと分かった。
営業でもポーズでも自己顕示でも意思疎通手段でもない。心底好きなの。
だからあの音なんだ、と分かるのに時間はかからなかった。

ブルースや50年代ポップスもそれなりにお好きだったけど、
けっきょく激しい8ビートのロックンロール、それが鮎川誠。
ロックンロールギターは場に鳴り響かなければならないという信念も強かった。

ハコに鮎川さんが来るとPA屋はアタマを抱えることが多かった。
とにかくデカくてギラギラ。マイク立てれば当然ハウりまくる。
本番中に卓で抑える。曲間に鮎川さんがPAに向かい指を、腕を上げる。

「もっと上げろと言われてもねぇ…」とPAは頷くだけで動かない。
鮎川さんは当然アンプをフルアップにする。音の棍棒が客席を直撃する。
PAは諦めてマイクを切る。演奏後、シーナさんと鮎川さんに叱られる……。

私は行儀のいい小心者なのでPA屋と円満な関係を築いてたけど、
「More、More!」という鮎川さんの姿勢にも共感する部分はありました。
情報量が多くなるほど音量は大きくなるものなのだ(高柳昌行)。

シーナさん抜きで一人で出るときはトラを入れて演りますけど、
これまたリハから大変。ビートと音圧に一切の妥協がない。
ドラムの負担が特に大きく、バスドラ踏む右脚がつったヤツが数名いた。

ロックンロールの苦手な私は、お声がけ頂いても断った。
それで良かったと未だに思ってます。私の裡にロックンロールはなく、
鮎川誠という人はロックンロールでできている人だったのですから。

シーナさんはオーラが凄かったけど、鮎川さんは何というか、
痩せぎすのオッサンがフラリと現れ、ギターぶら下げただけにも見える、
熱さの裏にある飄々とした佇まいや『テレ』が最大の魅力だった。

内田裕也さんのニューイヤーフェスの常連でもあった。
でもシナロケに社会運動とか愛と平和とか、融和という印象は希薄でした。
ロックンロール。ただロックンロール。それ以外できず、それだけで十分。

追悼のつもりか『ユーメイドリーム』ばかり流されている。
あとは『レモンティー』、頑張って『お前が欲しい』あたりか。
パクリと謗る馬鹿が喜ぶ餌ばかり巻いてる時点でダメだ。自分で選ぼう。

シーナさんの歌った『Lazy Crazy Blues』をソロでもよく演ってました。
「あたし」を「ボク」と換えて歌っていたので、思い出深い。
90年代初頭、あの歌には既に死の匂いが漂っていた気もするんです。

ロック屋も必ず死ぬ。そこにロックンロールはあるんだろうか。
なくても問題ない。ボクが、あたしがいる場所がロックンロールなんだから。
鮎川さんにはシーナさんというベターハーフもいた。良かった。





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