刻の流れー25
- カテゴリ:自作小説
- 2023/01/02 23:08:16
感情を殺して、静かに話す石橋の怒りが、ひしひしと要に伝わってきた。怒鳴られていた方がよっぽど気が楽だっただろう。石橋の部屋を辞退して、梶の後ろをついていく。この男と一緒に仕事をするというのは、それが何であれ、考えただけでも気が滅入る要だった。
梶は、5階まで、エレベーターであがり、居住区とは反対方向に歩いていった。要がほとんど行く事のない資料室のある一角だ。
梶は無言で廊下の突き当りのドアを開けた。要が初めて入るその部屋は薄暗く、中には何台ものモニターとビデオレコーダーが並んでいる。部屋の真ん中に明かりで照らされたテーブルがあり、要の知らない2人の男がヘッドフォンをつけて座っている。男達はそれぞれ小さなモニターを覗き込みながらビデオテープを見ている様子で時たまそれを早送りしたり巻き戻したりしながら、しきりに紙に何かを書きだしている。
梶は要に空いた机に座れと顎でしゃくった。そうしてから指先で机を数回たたくと、2人の男達が、顔を上げた。
「半時間ほど、休憩してこい。」
男達は、各々梶に頭を下げて、部屋を出て行く。要と二人になると、梶はビデオカセットを一本選んで、別のプレーヤーに入れ、モニターのスイッチを入れた。モニターには要も見たことのある、表のホテルの一室が映し出された。誰もいない映像に囁き声が聞こえたかと思うと、画面にコンパニオンが入ってきた。その後ろから、身なりの良い男が、ついていく。女が、こちらを向く。その顔を見て、要はどきりとした。霞だ。
霞は顔が小さく、長身で、日本人には珍しい八頭身美人だ。肩に羽織った黒いレザーコートの下から、胸の谷間を魅せつけるように締めたレザーのコルセットがのぞいている。マイクロミニにピンヒールのオーバーニーブーツ、全てが黒だ。その彼女の右手には乗馬鞭が握られていた。
「随分とご無沙汰だねえ。」
居丈高に霞が言う。
客は自分から服を脱ぎだした。そして全裸になってから目の部分のふさがっている革でできたマスクを被るとくぐもった声で答えた。
「申し訳ございません。なかなか石橋が予約を受け付けないのです。」
「ふん、嘘をおっしゃい。石橋はおまえが連絡してこないと言っていた。」
要は自分の目と耳を疑った。3日前、要の病室を訪れた優しげな霞が、モニターの中ではまるで別人なのだ。
「本当でございます。先月からなんどもご連絡いたしました。」
「あたくしに、口答えするとは、おまえ、次長に昇格して偉くなったとお思いだね。」
霞は鞭を振り上げると、パシパシと男の肩のあたりを叩く。男の悲鳴が聞こえるが、打たれる事を嫌がる様子ではない。それどころか、ベッドに身を投げ出した男は恍惚としている。
霞が、ベッドの上でのたうつ男の上に馬乗りになった。鞭で両頬をなでながら言う。
「おまえの会社は製薬会社だろう?あたくしのこの美しさを永遠に保つ薬はないの?」
「・・・そ、そのような薬は、まだ・・・」
霞が鞭を振り上げる。
「ああ、で、でもわが社が開発中の抗老化クリームを、お使いになれば・・・」
「塗り薬でしわが取れるなんて、聞いた事もない。おまえは私に嘘を付いているだろう。」
「いいえ、本当でございます。新発見の酵素で、皮膚から吸収されるのです。化粧品として・・・ああ、でも霞様に、しわなどはございませんから・・・。」
「ほっほっほっほ。かわいい事を・・・」
高らかに笑う霞のシーンで、梶はテープを止めた。要は黒いモニターを凝視したまま、唇を噛んだ。石橋が、女達を動かして客から情報を集めているのは知っていたが、その赤裸々さを目の当たりするのは、若い要にとって、大きなショックだったのだ。
「コンパニオンと客達の映像はここの機械で収録される。」
「それに全て目を通し、内容をまとめるのが今日からのおまえの仕事だ。」
梶がヘッドセットを出してきて、要に押し付けるように渡す。
「報告書は毎日朝10時に提出しろ。」
そこに、さっき出て行った二人の男達が戻ってきた。彼らは何も言わずに、ヘッドセットをつけると、無表情にモニターを覗き込む。梶はそれを機に、部屋を出て行った。
今まで、深く考えていなかった店の仕組がようやく要にも少し見えてきた。それと共に、要は言いようのない嫌悪感が自身の中に沸いてくるのを感じた。
「こそ泥の次は、のぞきか。」
「こんな事までして、ここにしがみついていなければならないのか?」
要はそんな生活がますます嫌になってきていた。