カラーフィルムを忘れたのね
- カテゴリ:音楽
- 2023/01/01 16:36:33
カラーフィルムを忘れたのね
ドイツの首相メルケルが退任式典でリクエストした曲の一つ
楽譜があるかないかも分からな曲ですが、東ドイツ出身者なら誰でも知ってて二人に一人は歌えるそうだ。
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エレキギターは、弦の振動を電気信号に変えてアンプを通し大きな音響に変える楽器だ。
つまり、、
より多くの人が同じ会場で音楽を楽しむことが出来る様になるんですね。
この発明は音楽シーンを変えロックが産まれる。
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1960年に入りビートルズがデビューすると
ロックが若者の文化として世界に広がります。
当時は、東西冷戦時代ですから、
東側では当然自由な風潮の西側の音楽は規制されてるんですね。
でも文化の流入を止めると言うのは難しく、
ビートルズの音楽は、破棄されたレントゲン写真にカッティングされて地下流通をします。
そんなビートルズに衝撃を受けた東ドイツの少女ニーナ・ハーゲンは、その後女優を経て歌手になります。
自由に感化された若者は当然当局にマークされます。
ニーナも監視がつけられ、尋問も受けたりしてての1974年にリリースされたのが「カラーフィルムを忘れたのね」
歌詞内容としては、
旅行に行って彼氏がカラーフィルム忘れたんで、思い出の写真が全部モノクロで彼女怒る。。とか言う何とも呑気な内容なんですが。
聴いてる人には、分かるわけですね。
これが、、国家に監視される息苦しい社会への批判だって。
当時大学で物理学を学んでいたアンゲラ・メルケルも
この曲をレコードが擦り切れるほど聴いていたそうです。
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1987年6月6日西ベルリン
デヴィット・ボウイがベルリンの壁の前広場で野外コンサートを開く、
スピーカーの4分の1は東に向けていた。。
すると東側の壁に若者が集ってきて5000人にまで膨れ上がる。。
コンサートが終わっても立ち去ろうとせず、誰ともつかずに「ここから出してくれ!」と叫びだす。
1989年11月9日
社会のガス抜き目的もあり、東ドイツで旅行法が改正される。
報道官が、うっかり誤って「ビザなし」「即時」と言ってしまった事から、
出国者が押し寄せ。。ベルリンの壁はあっさり崩壊した。
群衆の流れに付いて行き西ベルリンに入ったメルケル、人生で初めて西側のビールを飲んだ。
この出来事は、彼女の人生を変える。
。。。
壁崩壊の3日後、亡命していたニーナ・ハーゲンのコンサートが開かれる。
たった六弦の楽器が世界を変えてしまった。とも言える。
友達承認ありがとうございます♡
なんか、れきしてきなできごとって、すごいむかしのことってイメージになるけど、そんなむかしでもない。。。
1人の思いが、音楽によって多くの人に共感を生み抑圧された社会を変えてゆく♡
ベルリンの壁崩壊の裏に、知られざるヒロインが居たのですね♬
まさに革命ですね(*^_^*)