Nicotto Town


かきくけこのブログ。


ゲシュ崩ログ 121 荷物なんていらない

ドクタードリトル先生は、「人生に荷物なんていらない」と言ったそうな。英語に逆訳したら、「my dear dear.don't have to bag to life.」みたいな事だろうとおもうと、もう何だか悲しいやら人生楽しいやら面白すぎてもうどうしらいいのやら。でもバックのある人生はより深く、濃い人生だ、といえるのではないかと。物を持たなくてもいい人生というのは、まぁそうできたら一番楽しいんだろうな。っていう気がする。人間が動物だとしたならば、そうした生き方も本来霊長類としては正しいというか。人間という生き物だけが動物という枠で考えると、非常に不自然なものなんだといえば、そうだし、まぁそれが人間だし。人間は大枠では動物なんだから、バックが無い人生をもし生きられたら、それはなんだかルネッサンスな生き方なんだろな。って思います。バックがいらない生き方をするとなると、バックを誰かが持ってくれる生き方をしないと現代ではバック無し人生というのは難しいのではなかろうか。誰かが誰かのぶんを頑張って、誰かが楽をする事ができるそれが人間…。理不尽…。この世界の理不尽さに女性はそこまで憤る権利があるのだろうか。高度に発達した文明社会では、女性は女性であるというだけで男の人に何かしらの抑制や圧力をかけていられるわけで、男性の自然的な本能的なものという本来の人間らしさというものを、女性は男性から奪い続けてきた歴史があるんではなかろうか。理不尽だよ、とつぶやきたいけれど、お前が言うんじゃないと愚痴る事もできないのが令和のモダンガールのセンチメタンリズムなのでしょう。男の人が「ああ女って得だ」って嘆く人が多い程、先進国といえるのでは。男の人がメイクしたりドレス着たりしてもそれは男性の健全な上昇志向があればさもありなんという現象なのか。人間は非自然的に生きる事が幸せか不幸せか、と問えば、なかなかどうして、その人の年齢とか立場によっていくらでも変化するんだろうなという気がします。
 だからまぁ、今の私の立場、母親の立場としては、子供が我儘自然に生きるのを見て微笑ましいと思っていいものか。もう少し矯正教育するべきか。みたいなものを、きっと常々何年先も考えていくんだろうなという気がします。そして答えはなかなか難しいんだろな、という気がします。時と場合によって、自然のままの本能が尊ばれるという事もあるでしょうし。この人間社会で生きていくうえで、人間が人間たる必要条件は時に矛盾して理不尽だ。ああ…色んな荷物を抱えていられるなんて、それはどれだけ贅沢な人なんだろう。もういっそ何も持たずにいられたらいいのだろう。という考えも、また正解なんだってさ。




Copyright © 2024 SMILE-LAB Co., Ltd. All Rights Reserved.