Nicotto Town


かきくけこのブログ。


ゲシュ崩ログ 94 お母さんはダメ~

子供が離れたくな~いとかカワイイ事をいうので、「じゃ、お母さんも保育園に一緒に行くね」と冗談で言ってみると、
「…お母さんはきたらダメだよ!」
と、冷静にツッコマレた。将来はあの偉大な浜田雅功さんみたいな突っ込み大王?そんな片りんを垣間見せた瞬間だった。
「え?ダメ?」
ってひかずに押してみたら
「だって保育園には先生がいるから!」
って正論で諭された。ほんとにその通りでした。少しは寂しがる、とか一緒いた~~いとかカワイイこと言うかな~~~うきうき、と思っていた私はブった斬られた気持ちでした。あ…冷静…と。つくづく、近頃ふざけた私に比べると、子供のほうがしっかりした常識的な人だと思う。それにしても、先生がいるから?ってことは、保育園ではお母さんのかわりが先生、という考えなんだな~と、わかりました。お母さーんとか言い間違えたりするのかな。
「だめか」
と保育園同行をあきらめると
「お母さんはきたらだめ~~~~~~~~~」
といたずらに言う。勝気だ。子供が寂しいかなーと思った私が悪い人みたいな雰囲気になった。まいいけど。子供が全然寂しがってないみたいなのでよかったと思いました。なんだかんだ言って保育園に行きたがるので凄い。私が小さい頃私は家にいたかった家で遊びたかった。やっぱり私たちって似てな~い。遊びたいのはいいけれど、そろそろ自我が他人とぶつかるお年頃に差し掛かるので、どうなることやらとそわそわ。私とは全然違うから、きっと大丈夫なのかな。どうかな。そわそわ。
パパに似た ところがとても かわいいな
子供が「わ~これはお父さんに似たのかな」とう一面を見せると、とってもかわいいな~と思います。どうなんですかね。お父さんに似てるからすごいかわいい~と思うけどな。自分に似てたらと思う瞬間がまったくなくていつも驚く。私の子じゃないんじゃないの?といつも思う。取り違えっ子じゃない?と。私のお腹にいたっけ?と不思議に思う。これ、私が女性だからいいけど、もしお母さんに似た子供がうまれた男性って、こんな気持ちだったんだろうか…。
せつな~~~~…(;´Д`)悲しすぎ…(;´Д`)あでも、あの光源氏は自分の子じゃないとうすうす思ってた薫を「自分の子じゃないかも」と思いながら大切に育て上げた。というし、「自分の子じゃない」と思っている親のほうがもしかして時としていい親になるという事はあるんじゃないのかなと思うけれど。どうなんかな。
愛憎うずまく源氏物語の「他人がはらませた子を自分の子だとする」というあのえげつない現象は、愛憎がもたらす人間の欲深さを表してた、とずっと思ってたけど、この年にさしかかって、「自分の子じゃないかも」現象って、認知症?って思ったりして。あれは何も苦痛を伴う崇高な愛情とかじゃなくて、晩年の人間の認知症的な境涯、を描いてたんでは…とか金屏風に泥を塗るようなこと言って申し訳ないけど、事実、光源氏って晩年に「自分の子じゃないかも」とか言ってるし。老いとは本当に悲しい切ないでも誰にでも、光輝く人にもある、恐ろしい認めたくない現象なのかな。とか思わされたりして。自分の子じゃないとか言ってる人の認知能力、というテーマは新しい考察角度だと思ったりして。
「橋の下でひろったかもしれない…」とか、そういう事を私も子供に言う人に、なりそうです。そして子供を黙らせるという親のあのわけわからんギャグを私もするんかな。意地悪だと思うだろうな。意地悪じゃないんだけど。
 六畳の御息所みたいな女性、すさまじいですよね。ああいう女性に好かれたら幸せなのかな。怖いのかな。にしても怨念が具象化するという考えが、なんの検証も説明もなくす、っと人々に受け入れられる物語が昔から存在してるということに、女の怨念が女を呪い殺すということが差してとりあげるべくもない普遍的な事象じゃないかという証明みたいで怖いですよね。




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