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かきくけこのブログ。


バカと無知 新書 無差別殺人の衝動にせまる本

馬鹿と無知 という本がある。売れるんだろうな~という気がする。手にとって面白そうなので、今度図書館行ったら借りたいなと思った。人は色んな理由で、本を読む。自己啓発本を読んでると、「それはバカが読む本だ!」って言ってた人がのちに天才って自称してたから、やっぱり私はバカなほうの人間なんだろうなと常々いつもそう思う。別に生存戦略でとか自己卑下とかして理論武装しているわけじゃなくて。まぁ残念ながら馬鹿なんだろうな、という事は認めがたい事実としてあると思っています。そんなバカなほうの人間の切実な問題が、同じ馬鹿に対する対応だったりすると思うんですよ。いつも思うんですけど、やっぱり類は友を呼ぶですよ。頭のいい人には頭のいい人が寄っていき、そういうグループやら組合やら連盟やらを作るみたいに、私みたいに「あちゃ~残念ながら馬鹿だぞ」という人間には馬鹿が集まる。そう思います。いくら私が「頭のいいグループに入りたい」と思っても、振り返ってみたらやっぱり私は私と同レベルのバカとつるんでたんじゃないのかしらって気がします。この同レベルが同レベルを引き寄せるというこの現象を、もしかしたら「馬鹿と無知」と言い表したのでしょうか。なんか一昔前の昼ドラの「ボタンとバラ」みたいな言葉の並べ方ですね。主婦だからすぐ昼ドラで例えちゃう。「老人と海」みたいというか。対比があると思いますが、よほどそういう単語に対する神経質さを持ち合わせてなければ、ただ似た単語が二つあるかのように思われるでしょう。でもこの、橘さんという凄い作家さんは、タイトルに「馬鹿と無知」と冠した。馬鹿と天才は紙一重、と、相反する様で似ているという諺があります。考えてみれば、実社会で死後どころか常に多様される言語であり、そしてその中には天才性も備えている。語彙にこめられた意味合いが、実は多いというか、スラングと切って捨てるにはあまりにも文化的にも思えるとうか、人々の話題の中心中の中心としていついかなる時代でもこの馬鹿という言葉はどんな人間にも多様されてきた語彙だよな、と、なんだかしみじみ考えたりする。馬鹿と一言でいうが、馬鹿にも色々ある。深さがあり色があり重みがある。馬鹿の層は考えれば厚い。馬鹿と無知、というこのタイトルに込められた情念のすさまじさは、なんだか少しですが、そこはかとなくボンヤリと漂っていますよ。もうタイトルですでに面白そうです。
 内容はまだ詳細を読んでないのですが、面白いと紹介していたユーチューバーさんの内容が面白そうだったので、面白いと思いましたし、なんと今年あった安倍晋三襲撃についても迫っていました。加害者は高い知能を持つと記されていました。これをどう受け止めるかですよ。驚きですよ。馬鹿と無知な人、がそういう事件を起こすのか、と思いきや、安倍晋三襲撃の加害者は知能が高いという。馬鹿と無知、という言葉と無差別殺傷事件の加害者の知能の高さ。こういう対比をもってこられると、他人に殺意を抱くことが知能の高さの証明みたいな事になるともいえて、何だか切ない。頭がいい人って、ほんとに常に私みたいな馬鹿に我慢して我慢して我慢して生きてるんだろうな。と思うとほんとに頭のいい人、すみませんどうかご勘弁を…と平謝りするしかないですね。殺されないために…(;´Д`)汗無差別に殺されないために…(;´Д`)汗怖いな知能の高い無差別殺人加害者。
 日々生きてることに感謝…ですよまじで。馬鹿と無知、というとなんだか哀れすぎる感じがしますが、もしかしたら知能の高い人って「ああ~俺も馬鹿か無知になりて~」とか思ってるのか!?もしかして…。ちょっと優越感だな。そう考えると…。ってそんな優越感に浸ったらほんとに最低の馬鹿といえますね。それにしても、なんて低空飛行なブログだろう。ハイレベルにかっこいスーツ着てスパっと時事を切れる頭の切れる人になりたいな。女性アナウンサーみたいに。




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