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かきくけこのブログ。


ゲシュ崩ログ 60 蛇はこわい

私といる時はおおまかに二言三言いえば子供が何が言いたいか親のほうが理解して「ああはい、それね」とすぐわかるけれど、他人とお話する時、子供はきちんと会話できてるんだろうか、と不安になる。でもこの前風邪をひいて医者に言った時、医者に「のど痛いか」ときかれて「痛い」とかきちんと聞いた事に答えていて、感動した。あ、そうかもうそんな風に受け答えできるんだな~かわいい~と。まぁ年齢相応で普通の事なんですが、親という生き物はどんなになったとしても細胞だった頃の記憶があるので、「あの細胞だったエコー写真のあいつがもうこんなに」って感動するんですねぇ。
 質問すると正直になんでも答えるので、きっとお母さんの事をよそできかれたら、きっとお母さんのだらしない家での生活なんかを、正直に言っちゃうんだろうな~と思うと、ほんとに襟を正して生活に気合いれてかないと、と思う。
 子どもが怖いものを怖いと思ってくれなかったらどうしようと不安だった。たとえば、車は危ないから怖い、ケガは痛い、危険、というものを恐れ遠ざける感覚が育たず、それはアドベンチャーでいたずらに楽しんでしまいたい好奇心が勝ち怖いものを怖がらなかったらどうしよう、と思ってたけど、それなりに苦手なものや不安なものを不安がるという感性はあるみたいで、男の子用のオモチャで、蛇の長細いドギつい色のオモチャがあったのですが、親はちょっとこれ気持悪くないんかいと思ってたけど、オモチャ売り場に売ってる位だから、子供にはこれ位がいいのか?と思ってたら、子どもが「このオモチャ怖い~」と蛇のオモチャは怖がった。蛇というものを生まれてこのかた一度も見た事がなかったはずの子供が、まったく動かない蛇のオモチャ、蛇というほどにはリアルではない蛇のオモチャを、これは気持悪いと思った時、その時私は「おおお、こういうのを本能的に嫌がるんだ」と感動した。過去に蛇のオモチャで嫌な経験をした訳じゃないのに、蛇が怖いという感覚があるなんて、とても動物的というか。人間が進化していく過程でどれだけ蛇を遠ざけて生きてきたのか、DNAのしたたかさを感じるというか。子供がみせる本能的な動物的な一面こういう時に不思議だとても神秘的で凄いと思ってしまって感動するんですけど、変ですかね。
 この前徳川美術館横にある図書館の蔵書の一冊に、「日本人は蛇を悪としてきた民族」って書いてある一文を見た。農民にとって農作業中に噛みついてくる蛇は災厄でしかなかったからという添え書き。美味しいかというとそこまで美味しいタンパク質でもないし。蛇はよっぽど大きいサイズでないと、骨が多くて可食しにくい。
 自衛隊の特殊部隊は、富士の山麓かどこかでナイフ一本だけ持って生き延びるという訓練があると昔なんかの雑誌で見かけた。蛇に生のままかぶりついてる自衛隊の写真が載ってるページを見たので、「特殊部隊の人のサバイバル能力凄い」と衝撃を受け、自衛隊の人を尊敬し、ナイフ一本で樹海を彷徨う心もとなさを想像し、メンタルの強さやら体力の逞しさやらサバイバルする能力の高さやらに脱帽した。
 普通の現実生活でさえ、生きることは大変なのに、たったナイフ一本しか頼るものが無いなんて。暗闇でもしかしたら出るかもしれない野生生物に怯えながら、ナイフを握りしめる夜なんかを想像すると切なすぎる。どれだけナイフに対する愛が深まるかというか、そんな訓練したら「ナイフだけは俺の味方」ってナイフマニアになりそう。それこそ命がけな愛でナイフマニアになりそう。実際、ナイフだけが自衛隊特殊レンジャーの愛すべきパートナーといって過言では無いのだろう。ナイフ本体はそんな事まったく知らんという孤独がまた切ない。その時の自衛隊員の蛇をも食って生き延びてやるという根性の事を想像すると、私の生活の苦労は全く苦労のうちではないかもしれない。生きるか死ぬかナイフだけが頼りでサバイバルして生で蛇食ってる人に比べたら、と。時々自衛隊員の特殊部隊に拝跪し、やるせない日々をやり過ごす。




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