Nicotto Town


かきくけこのブログ。


ゲシュ崩ログ 52 人間未満

子供が「わぁこの服、とってもかわいいね~」とうさみみフード見て言った。こういう時もう大自然の神秘を感じずにはいられません。脳とか一体どうなってんのとか。
そもそも、服についてる飾りって、生存に本来全く関係ない装飾であってもなくてもいいもの。それをありがたがる、喜ぶって、それって生物としてどうなの?本能のどこからやってくるの?って思う訳です。子供のことがまだ言葉も話せなかったお猿以下の時のイメージがまだあるので、子供というものが人間みたいな事をいうと「おおおお…」と感動するのと同時に、人間ってやっぱ人間みたいな事いうんだな、と感動するというか。かわいいものを身に着ける事が社会的に優遇される為だとしたら、だからかわいいものを嬉しがるという欲求みたいなものが人間にはあるのか…とか。子供の本能と人間の特性みたいなものについていつも楽しく考えさせられます。見た目にこだわる霊長類って人間だけな気がする。葉っぱでオシャレする猿とかいないし。イソクズガニとかファッション気にする行動をするらしいけれど、この、「美を追求する」という行動って、人間だけな気がする。しかも生存とは全く別の次元で美を追求するっていう。そういう意味では、ニコタで意味もな~~~くなんの得にもならな~~~~~い、だけどとってもかわい~~~~~~~~~アバターを可愛くするという事、その行為に勤しむというのは、人間だけの人間らしい知性のあらわれ、という事なんだと思う。私は全然課金できてなくて恥ずかしい大人なんだけど、やっぱり心というのは肉体のうちだけでなく課金した場所に存在させられるのが人間なんだという気がする。心を配る、という言い方があるけれど、人間という生き物はこの心というものを非常にうまく利用して、活用してきた生き物である気がする。感情的なことが否定される事もあるけれど、感情的な人間こそ、感情に振り回されるくらいに感情のふり幅を持っている人、それこそが知性的に思えるなぁ。だって、お金があっても、何ができたとしても、結局こころがそれを幸せだ!って思える感情があってこその全てだろうし。我儘で貪欲に生きている人が一番頭がいい気がする。そういう意味では、まったく生存に関係ないから、っていう理由でニコタにあんまり課金しない私って人間と言っていいのだか。子どもみたいに時には全く意味のない装飾品も、意味のない芸術品も手にとってみたり必要としたりしないと、「あのひと猿よね」って言われるかもしれん。人間未満になりたくな~~~い。と、ベム風に空しく吠えた今日このごろ。




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