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寒露

ニコットおみくじ(2022-10-08の運勢)

おみくじ

こんにちは!四国から本州太平洋側は概ね晴れ。

九州と本州日本海側は所々雨。
沖縄は晴れのち曇り。
気温は平年より低い。

【寒露】 かんろ

☆夜が長くなりまして、梅雨が冷たく感じられる頃です。
 朝晩の冷え込みはきつくなりますが、
 空気が澄みました秋晴れの過ごしやすい日が多くなります。

<概要>

○寒露

二十四節気の一つで、秋分の次で秋の5番目の節気です。

2022年の寒露は10月8日(土)です。

@白露(はくろ)

 二十四節気の一つで「地面の露に寒さを感じる時期」という意味になります。

 太陽の位置を表します黄経で195度の時をいいます。
 新暦では8日~9日頃になりまして年により変わります。

「寒露」の頃は気温が2つ前の節気であります「白露」に比べまして、
地の露水はさらに冷たくなりまして、そろそろ霜になる時期です。

○寒露の期間
 
 10月8日(土)~10月22日(土)までです。

○寒露の七十二侯

          内容          時期

初侯 鴻雁来る(こうがんきたる)      10月8日頃~10月12日頃

次侯 菊花開く(きっかひらく)       10月13日頃~10月17日頃

末侯 螽斯戸に在あり(きりぎりすとにあり) 10月18日頃~10月22日頃

雁の群れがやってきまして、菊の花が咲きまして、
蟋蟀(こおろぎ)が戸口で盛んに鳴く声が聞こえる季節です。

《七十二侯》

 江戸時代の天文歴学者であります渋川春海さんが日本の気候に合わせました
 改訂版を出しまして、その後明治時代に「略本歴」が出まして、
 それまでの「七十二侯」を大幅に変えました。

 現在使っています日本の七十二侯はこれが元となっています。

 太陽の運行の軌跡を24等分にしました「二十四節気」や、
 それに約5日ごとに分割しました「七十二侯」が作られました。

 ≪渋川春海(しぶかわしゅんかい≫

  1639年12月27日ー1715年11月1日

  江戸時代前期の天文歴学者、囲碁棋士、神道家です。

  幕府碁方安井算哲(初代)さんの子としまして京都に生まれました。

  幼名:六蔵(ろくぞう)

  元禄5年(1692年)に助左衛門(すけざえもん)と改めました。

  字:順正、諱(いみな)は都翁(つつち)、新葦と号しました。
  
  父の死に当たりまして、襲名して家職を継ぎまして碁所に勤めまして、
  2代目算哲と称しています。

  後に・・・

  安井、さらに渋川と姓を改めます。

  名は「はるみ」と読むようですが、普通は「しゅんかい」で通っています。

  日本では古来中国の暦を採用していましたが、
  初めて日本人の手になります独自の暦法(貞亨暦)を作りました。

  その功によりまして貞亨1年(1684年)初の天文方となりました。

  独自といいましても大したことはなく、
  大部分は元の授時暦の引き写しです。

  太陽や月の中心差等に多少の手直しを行いましたが、
  果たして改良か改悪か一概にいえないようです。

  その手直しも、あまり理論的根拠があるものではないそうです。

  授時暦では中心差を各象限ごとに3次の代数式で表現しますが、
  貞亨暦も授時暦を踏襲しまして、ただ係数だけを変えまして、
  象限のつなぎ目のカーブを滑らかにしただけのようです。

  それでも観測に根拠を持つ中心差の最大値は、
  授時暦よりも現在値に近いものを使用していますから
  改良であったともいえるそうです。

  あえて独自なものといいますと、
  日食の予報の時に中国と日本の経度差を考慮に入れたことだけです。

  中国と日本では経度、緯度が違いますから、
  当然授時暦のやり方を修正しなければならないようです。

  春海は軽度につきましてはそれだけ時間を修正しましたが、
  緯度につきましてはそれも影響するといいながらも、
  修正の仕方が分からなかったようです。

  理論的には必ずしも一流ではなかった渋川春海さんが、
  本邦最初の改暦を実現出来ましたのはなぜか?

  そもそも改暦というものは科学上の問題よりも
  政治的問題であるといわれています。

  特に本邦最初ということになりますと、
  慣例に無いということで反対をされやすいです。

  これまで中国の暦を採用していたのだから、
  そのままで良いという中国派の儒者のいうことを
  抑えなければならなかったはずです。

  彼が幕府の碁所に勤めます父の後を継ぎ、御所に勤めまして、
  用心を知っておりまして、また京都の陰陽頭であります
  安倍泰福さんから土御門神道(つちみかどしんとう)、
  その他の神道を学びまして、朝廷に近かったという
  人間関係をフルに使用しまして、初めて熟成されました政治的事業です。

  並みの学者が出来ることではないようです。

○寒露の七十二侯(中国)

・鴻雁來賓(こうがんらいひん)

・雀入大水為蛤(じゃくいりたいすいいきゅう)

・菊有黄花(きくありこうか)

@意味

 雁がやってきまして、雀が海に入り蛤となりまして、
 菊が黄色い花を咲かせています。

 このような意味があります。

 雀が蛤になるということが不思議です。

 雀と蛤の模様が似ているということで、
 昔の中国の方は雀が海に入りますと蛤になると考えていたようです。

○寒露の旬の食べ物

・スダチ

・梨

・栗

・松茸

・サンマ

・柿

・銀杏

・リンゴ

○寒露の季節の花

・コスモス

・キンモクセイ

問題 寒露の季節の花で茶の木がありますが茶の木の科を教えてください。

1、キク科

2、ツバキ科

3、バラ科

<茶の木 ちゃのき Camellia sinensis>

★ツツジ目の常緑樹です。

○学名

カメリアシネンシスといいます。

国際的には・・・

Camellia sinensis(L.)O.kuntzeと表記されています。

@属名・種小名

 Camelliaは属名で、sinensisは種小名です。

 「O.kuntze」は1887年に現在の学名 Camellia sinensisを
 命名しましたドイツの植物学者でありますクンツさんの名前を指しています。

 正解の科の植物は茶の他に正解の植物や山茶花(サザンカ)があります。

 花や葉を見ますと共通点があります。

 ☆別種

  クンツさんが命名をする前までは、紅茶を作ります木と
  緑茶を作る木とは別種であると考えられる等、
  長い間学者達の議論が続いていました。

  ・紅茶を作る木:樹高が高く、葉が大きい。

  ・緑茶を作る木:明らかに小振りで菊が小さい

  このような差異があったからのようです。

 ★現在

  紅茶も緑茶も同じCamellia sinensisです。

  その下位の細分類としまして・・・

  ・中国種  :Camellia sinensis var.sinensis

  ・アッサム種:Camellia Sinensis var.assamica

  ・中国大葉種:Camellia Sinensis f.macrophylla

  このように分類する考えが定着しています。

ヒント・・・○正解の植物を使用しましたフォンデュ

      @大島温泉ホテル 1960年代支配人が考案

       正解の植物の油が入りました鍋の横に、
       海老、キス、サツマイモ、ナス等があり、
       油の中で揚げます。
       
お分かりの方は数字もしくは茶の木の科をよろしくお願いします。






















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