10/6 キラキラと4択
- カテゴリ:タウン
- 2022/10/06 01:31:30
仮想タウンでキラキラを集めました。
2022/10/06
集めた場所 | 個数 |
---|---|
ショップ広場 | 3 |
ビーチ広場1 | 5 |
4択 「砂糖醤油」
キラキラ 「ビーチ広場」 テトラポット
「ショップ広場」 プレミアムショップ看板
4択 焼き餅は何をつけて食べる? → 砂糖醤油
うーーん。
バター醤油や、おろし醤油の方が好きかなぁ。
子供の時はきな粉が好きだったが大人になると醤油の香ばしさに抗えないんだ!
・・きな粉も好きだけどね。
きな粉餅(駄菓子)好きだしなぁ~~~。
炒った大豆の皮をとって粉砕したものがきな粉!
自宅でミルサーなどを使って作る方法などがあって、自作できるらしい。
自作する時は生のままの大豆をフライパンで7,8分、焦げないように炒って、冷まして、ミルサーにかけるだけ。
そうすると好みの炒り具合で作れて、いい!と書いてあったが、よーーーく炒ったら香ばしさアップなのか?
チャイさんはよーーーーく炒ったの好きそうw
きな粉や麦茶を作って売っている会社によると
大豆が大陸から伝わったのは弥生時代。
(と言われているだけで確実じゃない。けれど弥生時代の遺跡に大豆が出土しているらしい)
栽培して炒ったり煮たりして食べていたと見られる。
奈良時代に入ると、大豆を使って醤油を作ることができるように。
奈良時代初期にはすでにきな粉が作られてようで平安時代の和漢辞書『和名類聚抄』には大豆を引いて粉にした「未女豆岐(まめつき)」という記述が見られという。
「引いた」と書いているということは、石臼で粉にしたのかな?
きな粉が庶民の口に普通に入るようになるのは江戸時代だ。
安倍川もちがその火付け役と言われている。
江戸時代初期、安倍川岸で、徳川家康が茶店に立ち寄ったところ、そこの店主がきな粉を安倍川上流(梅ヶ島)で取れる砂金に見立て、つき立ての餅にまぶし、「安倍川の金な粉餅」と称して献上した。家康はこれを大層喜び、安倍川にちなんで安倍川餅と名付けたという
伝承があるらしい。
実際は江戸時代に珍しかった白砂糖を使っていることから東海道府中宿の名物になっただけらしい。
白砂糖が使われているのが何故わかるかというと、本当の安倍川餅は「餅にきな粉をまぶし、その上から白砂糖をかける」ものらしい。
きな粉と砂糖を合わせないことで、きな粉が湿気てしまうことを防ぐのだとか。
『東海道中膝栗毛』には「五文どり」(五文採とは安倍川餅の別名)として登場する。
東海道の美味しいもの番付が出されるなど庶民も美味しいものを競い合い、食べて話題にしていたことがわかる。
・・・今と同じだ。
日本人の本質なんてそうそう変わらないか。
きな粉は世界ではどう使っているんだろう?と思ってみてみたが、ミャンマーで使われていると見た以外はあまりない。
でもミャンマーで使われているきな粉はひよこ豆を使ったものだからちょっと違うかも・・。
西洋は「豆」類を甘くする風習がないし、大豆に土壌があわなかったので大豆の歴史が浅いからきな粉を使った料理がないのは当然かー。
中華料理できな粉を使ったものはないのかな?と調べると「揚げた餅にきな粉と黒蜜をかけて食べる」红糖糍粑というものがあった。
屋台であるというように庶民のお菓子だ。
いつから食べられているとかいつ発祥したかわからない。
大豆は昔からあるし、豆腐だってあるのだから、きな粉も歴史あると思うのだがなぁ。
でも日本でもきな粉を料理に使うことはない、、、か?
きなこパンぐらい?
給食のお子様大喜びの、揚げたパンにきな粉+砂糖をまぶしたやつ。
料理にわざわざきな粉を使わなくても、豆腐という大豆から作られたパワーフードがあるしね!
・・・・きなこパン食べたくなってきた。
小豆様も大変おいしゅうございます。
マメヲアマクシタニホンジン、テンサイネー。