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五飯田八宝菜の語学学習日記


1682番:仏教日記(8)

仏教日記(8)アメブロ1546番からコピペ

 


  覚りを得れば、幸せな一生が暮らせるのでしょうか?それは
前世の行ないによりますので、何とも言えません.
  サーリプッタと並んでブッダの教えを瞬時に理解した俊才・
モッガラーナの場合、悟りを得ても尚、異教徒たちの謀略に会い
杖木瓦礫を受け亡くなりました.サーリプッタが駆けつけたとき
すでにモッガラーナは息絶え絶えでした.「どうしてなのです?
君の神通力で、簡単に逃げることができたじゃないですか?」
とサーリプッタが言うと、「いやいや、私は過去世の罪を、今生
で消滅させたいのです.そう言って息を引き取りました.

迫害はお釈迦様にでも及びます.崖の上から、弟子だったデーバ
ダッタから大きな石を落とされ、すんでのところで、かわして難を
逃れたのですが、そのとき足に怪我を負いました. 

 覚りを得ることは「苦」からの解脱なのですが、そして「幸福」
を身に付けることなのですが、そう単純なものではない、という
ことなのかも知れません.悪魔はブッダの成道後もブッダにつきま
とったと言われています.
 成道後も気を抜かずがんばりましょう、ということのようです.
こんなことを言えば、「じゃどうして仏教にはげむのさ?」
と言われそうですが、どこの誰が、何に励んでも、来るものは
来るし、出て行くものは出て行く.地球は回る.日は登り沈む.

あまり気にせず、やってください.

 

PS:覚りの境地を旅行に譬えると、地図上で目的地を見つけた、
   ということになるのではないでしょうか?

 

 「目的地は見つけたが、現在地は、発見前と同じ地点にいる.
  さあ、移動を始めよう.この先も尚、難所は続くかもしれ
  ないが…」   




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