きらきら、ヒマワリと縄文(あつぎ)その2
- カテゴリ:タウン
- 2022/08/24 03:12:20
仮想タウンでキラキラを集めました。
2022/08/24
集めた場所 | 個数 |
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ショップ広場 | 5 |
自然広場 | 5 |
四択 ゆずさん(知らなかった。)
座間のひまわりまつり続きです。
空が青い。青さにひまわりの黄色はよく似合う。
時刻は、着いたのが午後1時前、出るのが2時前だったか。ここからあつぎ郷土博物館までは直線だと2キロ、実際は5キロぐらいしか離れていない。さきほどまで土手の遠くに見えた相模川を渡る。ようやく川を見ることができた。台風の後だからだろうか、すこし水が濁ってみえた。あつぎ郷土博物館は中津川沿いにある。この川はもうすこし下流で、相模川へ合流する。とはいえ、博物館があるところはだいぶ高台で、ほとりといっても川を見ることをしなかったが。
ひまわり畑の駐車場は混雑していたが、こちらは空いていた。
企画展HPから。
「縄文時代中期に関東・中部地方を中心とした地域で作られ、使用された有孔鍔付土器は、どのような目的で作られたのでしょうか。
林王子遺跡出土例のように人体装飾が施されたものや、赤や黒の顔料によって彩色の施された出土例もあります。また、多くの有孔鍔付土器は器面を丁寧に磨かれているなど、土器に特殊な役割を持たせていたとも考えられます。
実は、太鼓説や、蓋をして果実などを発酵させた酒造具説などが挙げられていますが、未だに明らかにはなっていません。
本展示では、市内外の有孔鍔付土器及び人体装飾文などの関連資料を紹介しながら、有孔鍔付土器及び人体装飾文などを通じて豊かな縄文文化を学び、さらには、あつぎの縄文時代について理解を深めていきます。」
有孔鍔付土器とは、口縁に文様や突起などがみあたらない、平坦なもので、口縁近くに鍔状に一周した隆起と、小さな孔が並んでいる。時代によって違うが、胴体部に文様などの装飾が施されているもの。実は今までもきっとどこかでこの形式の土器を見てきたはずなのだが、孔に注意をはらったことがなかった。なので、恥じ入るとともに、教えてもらったようで、興味深く感じた。
有孔鍔付土器、初期の起源的なものは、丈が低く、皿をすこし口をすぼめたような形で、装飾もほとんど見られないが、縄文時代中期中葉になると、樽や壺のような形になり、装飾なども立体的になり、なんというか、力を感じるものとなる。人体や動物文。やはりこの頃のものに一番ひかれる。
ところでなぜ井戸尻考古館にこの企画展のチラシがあるのかわかった。関東・中部地方ということで厚木市のほか、井戸尻考古館、山梨などの土器たちも展示されていたからだ。さらに東京、多摩ニュータウンや、あきる野市、調布などからも。そういえば、家から車で、座間市、そして厚木市に来るまで、なんとなく、起伏が多く、あちこちに川が流れているのを見て、ああ、縄文人たちが住んでいたのだろうと、ぼんやりと思ったことと重なった。
有孔鍔付土器というのは、頂いてきた図録によると、レアなもの、出現頻度の低いものなのだそうだ。そして、どのような目的で孔が開けられたのかも、まだわかっていない。主要な説では、お酒を造る道具、そして太鼓として使われたというもの。酒と音楽。こう書いてみると、どちらも共通点があることに気づく。音楽もお酒も、儀式的な要素のつよいものだ。現代の感覚でいうとなのか、わたしのなのか、ともかく、日常よりも非日常的なもの。とはいっても、縄文人たちは、現代よりも、もっとその境目が希薄だったのだと思うが。
それは、「人体装飾文の世界」として展示されていた解説文とも重なる。
「豊かな自然の中で暮らす縄文人にとっては、自らも自然の一部であり、縄文人たちは人知の及ばない自然の力に対して感謝や畏怖を抱きながら、独自の精神文化を形成していたことでしょう。そのような精神文化の一つとして、人や動物、植物、そして神や精霊などが登場する縄文人の神話や物語が生み出され、伝えられていたであろうことは想像に難くありません」。人体装飾文は、そうした世界観からくるものであったかもしれない、とあった。
また、展示室入口(図録にも)の「はじめに」に、「縄文土器の造形は時に芸術的でもあり、縄文時代の人々の優れた感性や高度な精神性をうかがうことができます。一見特殊とも見える土器や文様は、必ずしも特別なものではなく、縄文時代の人々が豊かな自然と共存する日常の生活の中で、生み出されたものとも考えられます」ともあり、特別なものと、そうでないもの、普通とが、からまりあっていたのではという、かねがね感じていたことが、照射されるような気がした。自然のなかに在るということ、現代のように分離されてみえないから、境目も希薄に映るのかもしれない。キレイと汚い、生と死もまた。
有孔鍔付土器のなかでも、印象に残ったのは人体装飾文がほどこされたものたちだった。土偶との類似点についても言及がある。なかには土偶が土器を手で抱きかかえるようなものもあった。そして、前回来たときに、感銘をうけた、壺のようなかたちで、胴体の下のほうで、バンザイをしたような人物文が装飾してある、厚木市教育委員会所蔵の、《林王子遺跡出土有孔鍔付土器》。この両手を挙げたような全身を表わす人体文は、人体文のなかでは、よく見られるようだ。国の重文になっている《鋳物師屋遺跡出土土偶装飾付土器》(南アルプス市教育委員会所蔵)のそれは、左手を下げているが、復元されたものなので、元々は腕を挙げていた可能性もあるとのこと。口をあけた表情に、無言の力強さを感じた。そして東京都埋蔵文化財センターでおなじみの、仮面のような《多摩ニュータウン№72遺跡出土人面装飾》。顔だけが残っているので、うかつにも気づいていなかったが、こちらも、有孔鍔付土器の一部だったらしい。わたしは勝手に埋蔵文化財センターの展示解説冊子〈丘陵人(おかびと)の宝物〉の表紙にまさしく顔として載っていたから、丘陵人の仮面としてずっと愛着を感じていたのだが。
(この項続きます)
いつも読んでくださって、ありがとうございます。
どうぞ、きょうもおすこやかにお過ごしくださいますよう。