筋肉の名称&その家なりの悩み事
- カテゴリ:日記
- 2022/08/23 11:51:41
筋肉の名称を検索してみました。
最近、上半身が逞しくなってきたんですよねぇ。
上腕二頭筋(この名称は聞き覚えがあった)辺りと腕橈骨筋(わんとうこっきんは初耳)。
僧帽筋(そうぼうきん・これも初耳)も目立つようになってきたかな…。
自分でも特に「筋肉が付いたなぁ」と思う箇所は腕橈骨筋。
ふと見た時に「◎_◎これって誰の腕?-_-;」と思って、マジマジと見て悲しくなったのでした。
先日、近所の奥さんに話の流れで笑い話として上記の話をしたら
「いやぁ、逞しくなったなぁって思ったのよぉ。久しぶりにお会いして」
って言われ…笑い話で終わらなかった…(-.-)
何故こんなにも逞しくなったか?
それは息子が立って移動する間、自分の両腕を90℃以上に保って力を入れているから。
息子が瞬時に脱力した時の怪我が最小限に済むように。
息子の方が私より身長が15cm以上高いから、なるべく腕を上げておくようにしてます。
筋肉が付いた分、腕の振袖が消えてしまえばいいのに…。
ちゃ~んと残ってますよっ、そこは^^;
(肥満児だった名残)
先の奥さんは『太くなった腕は勲章』だと。
そんなような事を言って下さったから前向きに捉えます^^;
で、その家なりの悩み事。
我家の悩み事の筆頭は、やはり息子かな。
ご存じの通りです。
先週末の朝、公民館のお掃除当番でした。
組の人達で手分けして館内のお掃除と外回りの雑草抜きを行います。
最近は組が合併して組数が少なくなった事で、順番の回りが早くなりました。
高齢化が進んでいるのが原因かな?
お掃除が終わっての帰り道。
自然と会話が生まれます。
私は真向いの奥さんと話しながら帰ってきて、そのまま家の前で30分以上立ち話。
お向かいさんは次女さんに初めてのお孫さんが生まれたばかり。
既に2人のお孫さんがいらっしゃって、今回3人目のお孫さん。
どちらのお嬢さんも近所に家を建てて住んでいるので、よく遊びに来ていて賑やかです^^
お向かいさんも家を建て直し(2度目)傍から見れば幸せそのもの。
建て直した家は今の私の憧れの平屋。
出来上がっていく様を見ていて「いいなぁ」って何度も思いました^^;
立ち話の中で実母さんが初盆だった事を知りました。
一昨年、義母の初盆に来てくださったので、知らなかったとは言え申し訳ない事をしたと
思いました。
お向かいさんは、それを察したようで「本当に気を遣わないで下さいね」と何度もおっしゃるので
来月のお彼岸に仏様へお供えしていただく梨でも…と思ったのでした。
お向かいさん
「母が〇〇で急に亡くなったんですが…」に続き
「その一カ月前に弟のお嫁さんが突然出て行ってしまったんです(;O;)」と。
「畑仕事も母の事も全て置いて…ですよぉ!」と。
去年の1月に定年退職をされ
「『これからは毎日が日曜日だぁ^^』と思ってたんですよ。
でも、苺の世話は毎日欠かさずあるんですもの。
それを無くしては食べていけないんですもの…。
手伝い始めたら私、抜け出せなくなってしまって…。
今、毎日手伝いに行ってます」
そして「もう…。人生色々ですぅ(;O;)」と。
子供の頃に「隣の芝生は青く見えるの」と母から何度か(いや、何度もか)言われた記憶があります。
私への戒めだったのかな。
私が何か(多分、愚痴^^;)を言って、それに対して母が(説明&体験談を)言う時に
ことわざを入れて話しをする事がありました。
覚えてないけれど、話は理解しやすかったと思いますし、その時に聞いたことわざは
記憶に残っています。
「あぁ。このことわざ、母が言ってたなぁ」って懐かしく感じます^^
お盆前に立ち話をした、はす向かいの奥さん。
ご自身のお母さんを自宅介護してますが
転倒による股関節の骨折からリハビリを経て、ようやく退院できたのも束の間
2度目の転倒で反対の股関節を骨折して再び入院&リハビリ。
その度に救急車が来ていたので、何かあったのはわかっていました。
(息子の救急搬送の時は、ご近所はこんな思いだったのかな?
そんな事を思ったのでした^^;)
コロナ禍の入院だったので非常に大変だったそうです。
「仕事は辞めたくないの。同じような境遇の話も聞けるし…。
みんな同じような歳の人達が働いているから、どこも同じだって思えるのよ」と。
長年パートでお勤めですが、先に定年退職した旦那さんの助けとショートステイ&
日帰り通所サービスをフルに活用して、お仕事を続けています。
外に出る、家族以外の人と話すという事は、非常に気晴らしになると思うんです。
情報も得られて「なるほど」と思う事もあるようです。
私は長らく家族以外の人と話しをするチャンスがほとんどないので、この辺りは改善できれば
いいのでしょうが、なかなかね…^^;
それでもニコタで交流が持てていることは、非常に大きな救いになっていたと思います。
直接会って・声を出しての会話ではないけれど、画面の向こうには生身の人がいて
文字で会話しているんですから^^
私は書く事で考えや気持ちが整理できるようですし、記録や記憶として残るので一石二鳥です。
お向かいさん、はす向かいさんの奥さんとは、それぞれ色々吐き出して
「車がある時は家にいますから、何か(助け等)ありましたら声掛けして下さいね~」
と、お互いに声を掛け合いながら別れたのでした^^
自分を含めて歳を重ねていきますから『お互い様』を合言葉にしていきたいです。
昨夜、結婚指輪を外しました。
色々ありまして…。
と言うのは冗談ですが、指輪を外したのは本当の話。
食い込んで痛くなってきたんです。
肩から腕ときたら指も太くなりますよね。
『そりゃそうだっ』と納得した次第です。
なんだか武骨な手(指)になってきましたよぉ(-.-)
お金がある家庭には家庭なりの、ない所はないなりの…^^;
本当に色々となんでしょうね。
会って話をしたら良い方だったという印象のままお別れできたのは良かった^^
もう少し前にお会いできていたら交流も持てたかもしれませんが、良い印象のまま…
というが良かったのかなぁ^^
飯館村の方々の今後が少しでも穏やかな方へ向いてくれるといいですね…。
元々筋肉がつかない体質だから、
子どもを抱かなくなったら、あっという間に落ちちゃったけど。
筋肉が少ないと熱中症になりやすいというので
今年は足腰のスクワットをがんばって筋肉増やそうとしてました。
私がこのアパートに引っ越して半年くらいして
同じ2階のお向かいさんが引っ越していきました。
私たちよりひとまわりくらい年上のご夫婦だったのだけど、
階段が別々だから、顔を合わせることもあまりなくて
特に奥さんは脚が悪くて外に出てこなかったので
全然会ったこともなかったんですが、
引っ越しの時の最後の挨拶の時に話をすることができました。
向こうは福島県の飯舘村(いいたてむら)から
原発事故の影響で避難してきた方で
避難指示が解除になったというので、自宅に戻られたんですが
「それはおめでとうございます」と言ったら
「いいんだかどうだか……戻っても暮らせるかどうかわからないし」
と奥さんは不安そうでした。
(現在の飯舘村は人口も増えて、元通りとは行かないけど、徐々に活気を取り戻しつつあります)
で、平日の日中に会って話したものだから
「まだ若いのに奥さんは仕事してないのかい?」と不思議そうに聞かれて
子どものこととか、同居の義両親のこととか、詳しく話すのも大変だったので
「まあ、いろいろありまして」と答えたら
ものすごく納得した顔で
「そうなんだよね。どの家にも実際にはいろいろあるんだよね」
と言われたのでした。
避難している人たちは
その状況の実体がわからない人たちからはいろいろ言われる
と聞いたことがあります。
向こうは向こうでいろんなことがあったんだろうな、と思いました。
本当に、言わないだけで、実際にはどの家にもいろいろあるんですよね。
「お隣にこんなに話しやすい人がいるとは思わなかった。
もっと早く知り合えてたら良かったけど
最後にこうして話ができて良かったわ」
と奥さんから言われて、それでさようならとなりました。
その後はもう会うこともないのだけれど
飯舘村を車で通りかかるたびに
『あの方たちは元気でいるかな~』と思いだしてます。
いやいや…^^;
こんな私に勿体ないお言葉です。
ありがとうございます。
いろんなことを知ることができました。
弱者と敢えて呼ばれる方々の思いを知ることで、言葉でなく、言葉以上の何か出来ないかって、
考えるようになりました。
下手に声かけるんじゃなく、見守って、困っているなと思ったときに、
「何かお手伝いできることがありますか?」って、声を掛けるんだということも、
しのみぃさんんから、教わりました。
遠い空から、祈ることしかできませんが、私の近くで、困ってる動作をされてる方が居たら、
勇気を出して声をかけてみようと思ってます。
今なら、出来ると思うのです。(働いてるので、お店のお客様から、始めますね。)
羨ましいです、スレンダーなスタイル^^
ご近所さんも様々な方がいらっしゃるので、日記で書いたような奥さん達とは
逆のタイプの方もいらっしゃいます。
息子と同じタイプのお子さんがいらっしゃるなぁ…と思っても、そういう話題は
避けているように感じたので、私も話題にしないようにしてきました。
人、それぞれですものね。
人に助けを求めたり弱み(困っている事)を話すのは苦手でした。
自分一人の生活で自分だけが絶えればいいのであれば、それでも済むんでしょうが。
だから意識して自分の置かれている状況を発信するように(人は選ぶようにします)と
思うようになりました。
せっかくなので使えるサービスは使わせていただこうと思います^^
今の私に出来る事で気晴らしするとなるとお菓子作りです^^
手が込んだものでなく、気楽に作れるものを検索して見つけて作って…。
まずは家族に食べてもらって何となく感想を聞きますが、リアクションが薄いので
張り合いがあるとは言えず。
知り合いやご近所さんに一通り食べていただいて(迷惑かもしれないけれど)
そちらの方で気晴らし出来ている気はします^^;
大きな筋肉を動かす機会だと思ってやります^^
長らく働く事から離れてしまっているので、今更、働けるとは思ってないけれど
家族以外の人と話せる機会って大事だなって思いました。
福祉関係以外の…ね。
私は家族(主に息子、次に主人、娘は家ではほとんど話さない)以外で会話をするのは
大学病院の先生方、次に巻き爪のクリニック、その次が頻繁に買い物に行くお店のパートさん。
会話に飢えているなぁ、自分って思う瞬間があります^^;
私は、昨年秋から仕事を始めて、痩せましたw
脂肪が減りました。
お腹まわりがすっきりしたので、腹斜筋や腹横筋などが、分かるようになりました。
腕も振袖は、消えて筋肉だけになりましたw
筋力低下にならないように、今は、筋力をつけるためにストレッチ系の体操をしようかと思ってます。
どうしても、人は、隣の芝生は青く見えるみたいで、妬む気持ちが前に出てしまうこともありますね。
でも、言うか言わないかですが、皆、それぞれ、悩みはあり、日々、闘ってると思います。
ただ、一人ではない。
出来ない時は、勇気を出して、他人の力を借りるってことは、必要だと思います。
「自助、共助、公助」という言葉があるように、介護は、自助だけでは、無理になってきます。
共助、公助を利用して、みんなで見守っていきたいですね。
脂肪もついたけど、筋肉はそのまんま残ってます!
なので、若い頃から腕が太いので、袖が入らない事もあるのよねぇ~(笑)
今でも片手で10キロのお米は軽々持てるし、灯油缶も苦も無く持てます^^;
ストレス発散の方法はひとそれぞれ。
仕事で解消する人もいれば、おしゃべりで解消する人、
料理や家事、読書、映画鑑賞や外食など趣味に走る人などなど~
しのみぃさんも、心の余裕が出たらきっと何かしたくなるかもね♪
僧帽筋は人体の中で一番デカイ筋肉です。
ここを動かしてストレッチなどすると、肩凝りの改善や血行が良くなったりと、
メリットが沢山!
なんせ、一番デカイ筋肉を動かすので、結構いい運動になります(^^♪
仕事してて良かった・・・と思った
多分、仕事してなかったら考えすぎて、ノイローゼになってたと思うから。
私も腕は太くて振袖つきw(日々の交通安全旗のせいだ、きっと)
お昼寝する時、自分の腕枕が気持ちいいんで
ゆるしてますw
大人になっても変わらずいじわるな人はいますね…。
「遺伝かな」って感じるケースもありますが^^;
この歳になって最近思うのは、嫉妬。
妬みからくるいじめのような感情。
「わかっちゃいるけれど…」つい、自分と比べてしまって
「こうだよねぇ」と言いたくなっちゃう気持ちっていうのかなぁ。
黒い感情、私にもありますもの^^;
特に骨折ダブルはキツイなぁ。
ぷ~も以前仕事中に右手を腱鞘炎になり、手を使う仕事だったので
なかなか治らなくて、ようやっと治った頃に雨の日にバイクですっころんで
今度は同じ右手親指の付け根を剥離骨折。
で、また右手が使えなくなり、部屋のカギを回す時、蛇口をひねる時
買物した荷物も左手で対応していたら
右腕が細くなり左腕の方が少し太くなって驚きました。
元々学生時代のテニスの名残りで、右腕の方が1センチくらい太かったのに。
今は同じくらいまで戻ったので、バランス的には良かったような…
でも1番辛かったのは周囲の理解がなかった事です。
仮病くらいに思っている人ばかりで、フォローしてくれる人がいないのがね。
小児腎炎で医師に体育を休むように言われ時と同じだったな。
人間は大人になっても、あんまり変わらないものですね。
やはり年齢を重ねると、本当に色々な事がありますね。
健常者でも不具合も出てくるし、ポンコツって事がが似合うようになりました。
痛みを知る年頃になり、他者の痛みにも気づけるようになるといいのですが
そうはならない人も多いのが、残念な現実な気がします。