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五飯田八宝菜の語学学習日記


1677番:仏教日記(4)

仏教日記(4)
 


覚りを得たブッダが最初に教化に向かったのは、嘗て苦行を共にし
た5人の仲間たちのところでした.ウルヴェーラー(現在のブッダ
ガヤー)から300㌔ほど離れたベナレスまで出向きました.そん
な遠くまで行ったのには訳があったはずです.おそらくかれらのよ
うな極端な苦行では、覚りには到達できず、無意味だとわかった以
上、放ってはおけなかったのでしょう.
 
 出向いて彼らと再会したブッダはまず、彼らには、「極端」な方
法では正覚を得ることはできない、と説いて、「中道」(普通にコツ
コツ修行すること)を勧めます.

それから徐々にアシュバッタ樹(菩提樹)下やアジャパーラ溶樹の
下で得た正覚道を彼らに教え伝えました.彼らはすぐに理解し、正
覚を得ました.この世に6人の正覚者、ブッダが誕生したのです.

このグループが最初の仏教教団というわけですが、彼らには教団と
いう意識はなかったことでしょう.この世に6人の正覚者が誕生し
たことは『過去現在因果経』第4巻に記されているそうです.(確
認はいたしません.買うには値が高すぎますので.11000円です)

このお経文に「ここにおいて世間に始めて六阿羅漢あり」と書かれ
ているそうです.ブッダという言葉を使うと、ゴータマ=ブッダの
ことととしてうけとめられてしまうので、阿羅漢ということばを使
います.覚りを得た正覚者のことです.この後、青年ヤサとその友
人4名を教化し、正覚者は11人となりました.正覚者たちは、主
に苦しみからの解脱を説いたのだと思います.

八正道とか、十二因縁という概念は、もっと後の世に作られた教えだ
と思うのです.後の世に作られたものであっても、ブッダのもとの覚
りに叶うものであれば、それは、ブッダの教えにカウントしてもいい
と思います.

 たとえば、如来蔵という考え方があります.これはどんな人にで
も仏性があるので、それを磨くことで、仏道修行となるという考え.
また、瑜伽行学派などの唯識の考えも、仏道には大いに役立つと思
います.いずれも、原始仏教にはなかった教えですが、採用して悪
くないと思います

さてこのブッダの原始教団は、このあと青年ヤサの周囲の人たち
50人の弟子入りにより、一気に61名になりました.それほど
ブッダの教えは、ありがたかったのでしょう.


ゴタぴょん

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2022/08/22 06:54
「モーゼもブッダもキリストもいわんとするところは同じ?」

それは私もそうだと思います.人間の言語は、英語もあれば
ギリシャ語もあって、さまざまですが、いいたいことは
ひとつの意味です.それを英語いうとこう、ドイツ語で
いうと、こう、みたいなものです.

ただ仏教は他の宗教と違って、ブッダの覚りというものは
当然の道理を説いただけのものです.宗教ではなく道理を
説きました.

それはダンマパダの「快楽と不快を捨てる」に言い表されています.
快楽があるから、不快がある、楽しみがあるから悲しみがある.
楽があるから苦がある.これらはセットになっているもので、
片方、「楽しいこと」だけを取るということは道理として
成り立たない、ということです.

そこで、ブッダは、「苦」を辞退します.なので「楽(これを
煩悩と言った)」もいりません.けっこうですのでお持ち帰り
下さい.

そう悪魔に言ったのでしょうね.「苦」を受け取ってもらえなか
った悪魔はしかたがなく、とぼとぼと帰っていった.
悪魔は消え失せるとき、よく何かの実をひとつ残していくのですが
何にしましょうか?
悪魔は消えてサツマイモがひとつ残りました.

きょうはスーパーに行ってサツマイモ買ってきて食べましょうかね.

それから仏教は修行方法が他の宗教に比べて、異質です.
仏教初期は、みんな修行者は、墓場で寝泊りしていました.
墓場と言っても当時は死体置き場だったようです.いわゆる風葬.
カラスがやって来て、死者の肉体を啄ばみます.おぞましい光景
を目の前にしたことでしょう.死者の目はえぐり取られて、半
ドクロ化しています.
 修行者はそういう死体の衣服を剥いで、縫い合わせ、自ら着用
しました.今、仮にそういうことをすれば逮捕されるかも知れま
せん.しかし当時は、そんなこと、全然気にしていなかったよう
です.
 まあ、そういう特殊な環境で無常を覚る修行をしていたわけです.
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2022/08/21 18:24
業務お疲れ様でした.

信者の立場としては、どれも同じようなものと思います.
しかし出家者の立場は、仏教は他とかなり違うと思います.
仏教は快適なものと不快なものは、セットだという考えです.
不快なものを遠ざけるために、快適なものも辞退するのです.
苦を遠ざけるために楽を辞退します.快適なものも、楽しいものも
捨て去ります.

まだ熱があってしんどいので、これで失礼します.
コメントありがとうございました.
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2022/08/21 14:50
コメントありがとうございます.昨日のワクチン接種できょうは発熱して、もう動けません.
お返事はすみませんが、明日書きます.37.8度でもうフラフラ
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2022/08/21 14:04
ゴタぴょんさん、こんにちは。
こちらは今日は1日雨っぽいです。
リアのお庭の水撒きはしなくていいですけれど(笑)。
この時期、蚊が群がって来るんです・・・(>_<)

どのような時代でも、人は心の平安を、よりどころを求めているのだと思います。
その時代において、その土地の人にわかりやすいように、受け入れやすいように、偉人が法を説いたのだと思います。

モーゼ(エジプト、BC1500頃?)
ゴーダマ・シッダルダ(インド、BC600頃?)
イエス(イスラエル、BC4~30頃?)

今、地球は情報網、交通が発達し、また多言語の翻訳も可能になっています。
この方たちが説いた法も、現代に沿って「翻訳」すれば、その本質はほとんど同じではないかと思っています。
もちろん、それぞれの個性、性格はありますけれど。
モーゼの「正義」、仏陀の「慈悲」、イエスの「愛」。

お弟子さんへの接し方は、お釈迦さまは入門は厳しく、難しかったけれど、一度入門を許されればあとは自覚に任せたと聞いたことがあります。
自分には無理だ、と悟れば、言われる前に自分から去ったと。

イエスさまは逆で、入門は誰でも受け入れた。
でも、ついて行くのは厳しく、叱責され破門を言い渡されることもあった。

一般論で、敢えて言えばこんな感じ、ということでしょうけれど。

もし、このような方達が現代に生まれたならば、もしかしたら科学者としての道を歩んだかもしれない、とも思います。
実際、アイザック・ニュートンは万有引力の法則(F=G・(M・m/r^2))を著しましたけれど、宗教者としての一面も持っていたようです。

物質質量M、mに働く力は、両質量の積に比例し、距離rの2乗に反比例する。
その際の比例係数はG:万有引力定数である。

この理論には、エネルギーの概念がありません。
そのため、天体の運動など、微妙なずれが説明できませんでした。
そこで、質量とエネルギーの等価性という概念を導入して、この問題を解決したのがアルベルト・アインシュタイン(特殊・一般相対性理論)です。

暑さもあと1か月くらいかしら?
まだまだ暑い日は続きます。
お体、大切に・・・

今週もよろしくお願いいたしますm(_ _)m



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