Nicotto Town


五飯田八宝菜の語学学習日記


コメントうっかり消してすみません

みきさんへ

コメントありがとうございました.


アマリリスの歌:

https://www.youtube.com/watch?v=5DCk61VZIFY

記憶違いで、この歌はアマリリアでした.


ブッダは6年間の修行で「覚り」を得ました.それは「苦」を知り、
生きることが苦であると覚り、そこからの脱出方法とその実践でした.

その苦からの解放は出家者だけが感得できました.なぜなら
在家信者には、生まれることや、日常の欲望を満たす生活が
「苦」であることを受け入れることはありませんから.

さて、ブッダが亡くなってから、各地に仏塔が建てられると、
その仏塔に遠方からやってくる巡礼者がふえました.
そして巡礼者たちはこう思いました.

「こんな威徳のある方がたった6年間の修行で「覚り」を完成
できるはずがない.きっと前世でも修行を積んでいたに
違いない」

そういう考えが主流になってくると、今度は彼らからお布施
をいただいた仏塔管理者が、彼らの考えに沿った経典を編む
のがふさわしいと考え、既存の仏典を荘厳する形で、ブッダを
如来に祀り上げ、覚りを得るには百千万那由他阿僧祇劫という
とんでもない時間がかかる、としてしまいました.つまり
この数字は、ひとことで言うと、絶対「覚れない」
つまり「神」になりました.

この意味において、仏教はキリスト教に近づいたと言える
かもしれません.

しかし仏教のもともとの姿は、「楽」があるから「苦」がある、
「苦」があるから「楽」があるといういたって単純な教えだ
ったのです.

ですから6年間の修行で覚ることは可能でした.

さてその「神」に祀り上げられた仏教が中国を経て日本に
入ると、もう完全に別の宗教、「ご利益のいただける
ありがたい宗教」になりました.神道の国民に受け入れられる
宗教になっていたのです.
https://elegance555-grace555.hatenadiary.org/
https://elegance555-grace555.hatenadiary.org/

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2022/08/16 21:51
はい、「足るを知る」は仏教の根幹のひとつです.「あくなき探求心」も仏教では「常精進」といって
とても大切な修行のひとつです.ついでに、仏教の根幹の最後のひとつをいうと、
「因果律」(原因があるから結果がある」で、ひらたくいうと、善いことをすると善い報いが、
悪いことをすると悪い報いが来る、という法則です.ブッダが菩提樹の下で覚ったのは、この
原因と結果のつながりでした.それは単にこの世の事象だけでなく、前世、今生、来世と
三世を貫く因果律でした.
ただ現代の私たちには深い瞑想ができないので、心の中にあるというアラヤ識(ここに前世の記憶
があるとされています)にまで到達できないので、天台の教え、「過去を知らんと欲せば
現在の果を見よ、未来を知らんと欲せば、現在の因(行い)を見よ」という道理の鏡で
知ることになります.
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2022/08/16 20:03
「足るを知る」ことが大切なのではないかと思います。
「足るを知る」と「あくなき探究心」は両立すると思っています。
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2022/08/16 14:41
ブッダが覚ったというのは「楽しみ」があるから「苦しみ」がある.苦しまないためには
はじめから「楽しまない」ことだとして、「楽しみ」を捨てました。
楽しみ…それはたとえば、美味なる食事、恍惚の男女関係、金銀財宝、
これらは、いくら満たしても欲望を叶えることはできず、満たしてもすぐに枯渇する
として、欲望のほうを捨てる道を選びました.その結果「苦」から解放されると
しました.ですからその生き方は素朴そのものでした.

また後で書きます
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2022/08/16 14:31
光の話
芸能人がよくオーラがあるといわれますが、そのオーラを光とすると、
オーラの出せる人は神に近いのかも知れませんね.

ビッグバンの話
130億年か160億年か忘れましたけど、そういう昔に宇宙が誕生したとしても
百千万那由他阿僧祇劫には全然足りません.古代インド哲学では前世、そのまた前の前世
を認めているので160億年前の別の世界も認めています.
ブッダが自分の覚った内容を伝えたとき、バラモン教をそのまま認めていて、
自分はそういう先人の歩んだ道をなぞって歩んでいるだけだ。だからこの道は古道だ
といっています.

あとで書き足します.
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2022/08/15 23:20
なお、日記に最初に書いたものと、下記文章はほぼ同一です。
非公開で残してありますので、また消しちゃったら言ってください(^^)v
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2022/08/15 23:01
日記に最初書いてみたのですけれど、いろいろ難しい問題なので、やっぱりこちらに書かせていただきます。
m(_ _)m
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2022/08/15 22:59
(続きです)

「神は人格神ならず」

神さまの姿は、光そのものなのかも、って思っています。
ある方が、神さまの姿はなんだと思う?、という問いに対して、

(x-a)^2+(y-b)^2+(z-c)^2=r^2
|ℙ-ℂ|=r:(ベクトル方程式)

と書かれました。
これ、3次元における球面の方程式です。
高次元の神さまの姿を、無理やり3次元に落とし込むとこうなるのかな、って妙に納得しました。

神さまは、ご自身の姿に似せて人間を創られた。
このことは、頭があって、四肢があって、という形態学的なことを言っているのではなくて、その本来の姿は、光そのものだと言っている・・・ように私には思えるのです。
お釈迦さまが言われた、悟りとか、解脱といった境地に至れば、人もその姿は光そのものになる・・・。

お釈迦さまとか、イエスさま、モーゼさまといった方々は、とても高次元にいらっしゃる方々なのでしょう。

私は敢えて「エネルギー」という表現を使わせていただきましたけれど、これを宗教家の方達は「霊」と呼ぶのだと思います。
高次元に存在するそれぞれの「魂」を「霊格」と。
(まぁ、私はそんなわけで、あまりこの表現は好きではないですけれど。)

ビッグバン宇宙論、虚時間といった概念も、ひょっとしたらこちらからのアプローチで新たな展開もあったりして、とか内心思ってるんです。

いかがでしょうか。
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2022/08/15 22:58
ゴタぴょんさん、こんばんは。
では、ちょっと書いてみます。

私のお家はカトリックですけれど、私自身は出生時の幼児洗礼なので、私の意志でカトリック教徒になったわけではないです。
まぁ、お家自体が「何でもあり」な雰囲気で、お宮参りの写真も残っていますし、幼稚園はプロテスタントで(^^;)
中学生の時だったかな、ある修行僧の方のお話を聴く機会があって。
その方は、「私は縁あって仏教に身を置いていますが、本当に伝えたいこと、言いたいことは、仏教でもキリスト教でも、イスラム教でも、皆同じではないかと思っています。」とおっしゃっていました。
この言葉、スッと胸に入ってきたんです。

私はお仕事柄、宗教者としてよりは、科学者としての立場を取りたいと思っています。
でも、科学も宗教も、行きつくところは同じなのでは?、とも思ってるんです。

私達は生きていて、また生かされています。
私たち自身がエネルギーを持っていて。
そして、エネルギーと質量は基本的に同じものです。
アインシュタインの有名な方程式、E=mc^2です。
質量・エネルギー保存則、質量とエネルギーの総和は不変です。
(質量保存則は中学の化学で学びますけれど、これをエネルギーにまで拡張した考え方は、高3の原子物理、大学の教養の物理学で触れます。)

物理学の超弦理論によると、宇宙の究極は11次元ないし26次元らしいです。
今、私達は4次元連続時空体に生きています。
(3次元+時間軸。残りは余剰次元。)
今の私には、11次元も26次元も全く思考が及びませんけれど、この次元の意識こそが、私達が「神さま」と呼んでいるのかもしれない、って考えています。
人間も、その段階に応じて、本来は5次元以降に存在しているのかも。
(「あの世」というところ。)
今、「生きている」4次元連続時空体(この世)には、いろんな人がいます。
ここは、勉強の場なのかもしれません。

(続く)



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