Nicotto Town


きいてニコタリーナ


スリップダメージ:家


前回のタイトル銀魂みたいだな?

いや銀魂そんなに見てなかったけど。
監督がおそ松さんと同じ人だったのは知ってる。



お盆イベ無事にこなしてきました。

割と付き合いのある人たちなので
そんなに気を張るようなことはない、はずが
なんか帰る頃には若干シャンビリ出たな。
病み上がりだからかな。

そんで帰ってから
ちょっと考えてたことがあります。
親族とか、そういうところからの話。

祖父母が生きてた頃はうちにお客さんが来ることも多くて、
特に祖母はお客さんをもてなすのが好きで
3時間も4時間も話し込んでることもざらでした。

まあ車の免許持ってなかったから
誰かと会って話す機会がそれくらいだったんだろね。

まあそれはいいんだけど、
いや子供の頃自分に全然関係のないお客であっても
誰か来たら出て行って正座して「コンニチハ」って
言わなきゃいけないのわたしはかなり嫌だったけど
(やらないと祖母はともかく父にあとでめちゃくちゃ怒られる)

それ以上に嫌だったのが、祖母はしばしば
わたしたち孫の直近の失敗や恥ずかしいエピソードを
楽しそうにお客に披露するんですよ。
来た人みんなに、何度も何度も。

祖母にとってはかわいい孫の話でも
わたしはすごく嫌だったから
物心ついてからはしばしばやめてって言ったんだけど
聞いてくれた試しはなかったな。
まあ他に話題もなかったんだろうけど。

祖母、ネットのある時代の生まれだったら
子や孫にいくらやめてって言われても
育児エピソードを面白おかしく
SNSで披歴するタイプの人間だったかもな……。

まあとにかく、お墓参りしたからか
自分の尊厳が尊重されてないと感じた
根源的な記憶のひとつがふと蘇ってきたわけです。

いやあの時代の人たち
人権とかプライバシーとか他者の尊厳とか
ましてや自分の庇護下にある子どもの尊厳とか
そういう概念持ってなかったであろうことは
想像に難くはないんだけども。

(祖母が亡くなった直後はほら、
死んだ人のことは悪く言わないとか思い出を美化しがちとか
そんな感じのアレで思い出さんようになってたんだと思う)

……人間、自分の尊厳が脅かされてると感じるときは
「幸福」よりも尊厳の回復(ないし自由の獲得)
のほうを優先させるそうですよ。なんて。

わたしは自分の尊厳が軽く扱われるの哀しかったし
現在進行形でも軽く扱われてると感じて腹立ててるよ。

父に、でもあるし、現政府に、でもあるな。
だからそれらを憎んでしまうんやろな。

自分だけの力でコントロール可能なテリトリー、
自分だけの生活、を希求してしまうのも
そこら辺の侵害に対する抵抗なんだと思う。
せめてシェルターになる場所が欲しい、みたいな。

ただ父がいつか死ぬのを待つしかないのだろうか?

あ、いや殺すか? みたいな話ではなくて。

言葉や行動で、自分の意志をを丁寧に辛抱強く主張して
相手の侵害を防ぐ、みたいなこと……。

できたらいいんだけどなあ。

何を言ってもどうせ伝わらないだろう、
わたしの言動で相手を変えることはできないだろう、
みたいな学習性無力感が強くて。

あと人格否定される恐怖心もまだ根強くて。

苦手な親から離れて、
多様な生き方を許してくれる自治体に移り住んで、
一人で生きていくだけの甲斐性がせめてあればなあ。

(わたしから健康な精神を奪ったのもまた家ではあるが)
(面倒くさいタイプの子供と相性の悪い家であった)



なんか毎回同じ愚痴に帰着しますね。

同じ家で暮らした、血のつながった家族を非難するのは、
結局自分への嫌悪に戻ってきちゃうから
生産的じゃないよな。

あーまあわたしにもそういうとこあるんだよな、
やっぱ年取ったら似たような感じになっちゃうんだろな、
みたいな。

まあ……よし分かった、
じゃあそんな面倒くさい自分と周辺を
どう舵取りして生きていこうか。
そんな風に切り替えられるようになっただけ
成長、なんだと思いたい。

思いたい……。




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